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独裁のラーメン

 ラーメン。いつだってそれを選んで来た。

 「好きな食べ物はなんですか?」と聞かれたなら、僕は大抵「麺類」と返す。小学生の頃から変わらずそう答え続けている。もはやアイデンティティとでも言うのか。自己を確立せしめる大黒柱のようなもの。自我同一性。我麺好き、故に我あり。自分でも何を言ってるのか分からない。
 まぁともかく僕は麺類が好きなのだ。中でも特に好きなのはラーメンだ。ここでよく人から聞かれるのが、「好きなラーメンの味は?」である。その問いに答えるなら「醤油」であるが、僕が1番好きなのは醤油ラーメンの中でも「中華そば」と呼ばれる類のラーメンだ。豚骨醤油や濃厚煮干し、鴨出汁ラーメンなど凝った物ではない。黄金色に澄んだ鶏ガラ、もしくは茶色掛かった魚介のスープに麺と葱とメンマ、海苔、それにチャーシューが入っているタイプのラーメン。というかそれ以外はあまり入れて欲しくないタイプのラーメン。チャーシューは豚モモ肉が良い。硬いやつ。1枚だけ。お店によっては「支那そば」なんて呼ばれたりするコイツを、僕は昔から愛してやまない。
 このシンプルなラーメンはラーメン屋よりも食堂に多い。地元の様々な食堂で、「ラーメンひとつ」と注文したら運ばれてくるのは必ずと言っていい程このタイプだ。僕はこのような食堂で出されているラーメンをあえて「中華そば」でなく「食堂ラーメン」と呼び、事あるごとに食している。そんな食堂ラーメン好きの僕が、今日は「美味しくなかった食堂ラーメン」の話を書こうと思う。なにしろ凄く衝撃的だったので。

 言っておくが写真のラーメンと問題のラーメンは別物である。
 その日は市内で1件仕事を片付けてから、隣の県へ向かっていた。僕は数年前から営業職として、市内、近隣の市町村、そして隣県の取引先へと日々足を運んでいる。なので昼食を外で取る事が多い。コンビニやスーパーでおにぎりを買って済ませる事もあるが、営業と営業の合間を縫って気になる食堂を探し、そこで昼を食べる事も多い。というかそれが好きだ。上に書いたように、注文はほぼラーメン。それが美味しければ次も来ようと思える。逆に美味しくなければもうここには来ないと思うし、午後の仕事はテンションが下がってしまう。美味しい昼食は仕事のパフォーマンスに大きく関わると常に思っている。
 県境を超えて1つ目の仕事を終える。車の時計はちょうど昼時だった。腹も減ったし、以前休みの日に友人と行った蕎麦屋に向かった。あそこならまぁハズレないだろう。今日は冷たい蕎麦にしようか。目的地に着いて車から降りると、通りを挟んだ向かいにKという名前の食堂があった。名前は誤魔化す。駐車場は蕎麦屋と兼用だったため、てっきり姉妹店か何かだと思い、「あぁ蕎麦よりやっぱラーメンだな」と、通りを渡って店に入った。
 カラカラと引き戸を開ける。タイミングだろうか、先客はいない。右側に厨房。カウンター席が3-4席。左側には4人がけのテーブル席が2つと、奥に大きめの座敷席が1つ。天井付近に設置されたテレビにはヒルナンデスが映っていた。店員はおばちゃん3人。僕の挨拶に「いらっしゃい」と温かく返してくれた。「そちらどうぞー」と入口に近いテーブルに促されたので、店内を見回しながら席についた。卓上にメニューはなく、カウンターの上に貼り付けられた短冊のみ。ラーメンが1番端に書かれている。「イカ天ラーメン」なる珍しい物があった。気になりつついつも通りラーメンを頼む。値段は忘れた。550円とかだったような。
 客が僕しか居ない割には少し待った頃合いに、おばちゃんがラーメンを運んできた。使い込まれて若干歪んだアルミのトレーに、ラーメンと小皿のタクアン。具材は葱とメンマ、海苔、チャーシューでなく豚バラ肉。それらが乱雑に盛り付けられていて、食堂ラーメンとしてのビジュアルは100点だった。申し訳程度に添えられた2枚のタクアンが良い。タクアン嫌いだけど。スープは濁っていて、「市販のスープじゃなく自家製なのかな?」と、予想外の期待が生まれた。もしや当たりのお店では?卓上のポットからお冷を注ぎ足す。割り箸は昭和感溢れる透明な花柄の箸立てに入っていた。ここも良いわぁ。120点。
 まずはスープを啜った。濁った薄茶色のスープ。違和感を覚えた。ここまでラーメンを熱弁しておいて何だが、僕は自分の味覚に自信が無い。自信が無いというか、子供舌なのである。そんな子供舌の僕でも、「ん?」と声が漏れた。甘い。さっきまでの期待は早々に吹き飛んだ。想像とのギャップに戸惑う。豚バラの脂が甘いのかと思ったが、どうもそうではない。砂糖なんて程ではない。しかしなんというか、甘いのである。舌に感じるしっかりした甘さ。まぁでも他を食べないと分からないし。麺をすする。おい待て。メンマを食べる。ちょっと待ってくれ。肉を食べる。これはもしや。もしかして、不味いんじゃない?
 不味かった。美味しくなかった。今でも鮮明に思い出せる。まず前述したようにスープが甘い。ラーメンにしては甘すぎる。魚介出汁の旨味や塩気を凌駕している。これははっきりと理由が分かった。メンマが甘い。すごく甘い。何故だ。砂糖で煮たのかって程甘い。そのメンマの甘さがスープに溶け出しているのだ。だからこんなに甘く感じる。豚バラはまぁ特に不満はない。普通に煮たバラ肉だ。だが次のこれが許せない。麺がめちゃめちゃ柔らかいのである。茹で過ぎだ。待ち時間にも納得がいった。もう叫び出したいほど嫌だった。僕は硬めの麺が好きだ。柔らかい麺に人権、いや麺権は無い。即刻死罪、打首獄門。というかもはや硬めとか柔らかめとかのびているとかそういう次元ではない。歯なんていらない。舌で押し潰せる。ところてん。そうところてんなのだ、この麺は。どうして僕はラーメンを頼んだのにホット醤油ところてんスープを飲んでいるのか。悲しくなった。後悔した。数分前の僕を殴り飛ばしたい。大人しく蕎麦にしておけば良いものを。藁にもすがる思いで助けを求め口に運んだタクアンだが、そもそも嫌いだったので当然美味しく感じなかった。それでも残さず食べた。ラーメンもタクアンも。食材に罪はない。あるとするなら厨房で世間話をしているおばちゃん3人だ。ラーメンなんて市販のスープを使えば誰でも美味しく作れるだろう。余計なアレンジを加えるんじゃない。それとも何か、これがこの店のスタンダードなラーメンとでも言うのか。間違ってるよそのスタンダード。今までの客は誰も異を唱えて来なかったのか、このところてんに。少しでも違和感を覚えているなら声を上げるべきだ。マジョリティに屈するな。裸の王様に真実を伝えろ。「このラーメンは間違っている!」と、腐りきった独裁政権に民衆の声を叩きつけろ。そうすればきっと変わる。きっと美味しいラーメンを出すようになる。それまで戦い続けるんだ。僕はもう行かないけども。

 会計を済ませて車に戻り、エンジンをかけた。カーナビが起動する。テレビモード。スキンヘッドの芸人が映った。「なんて日だ」。

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