今も後悔する『父の日』に投げつけた残酷な言葉
父の日が来るたびに、
心に苦い思い出が蘇る。
亡くなって3年。
父の不在はいまだに
僕の胸に大きな影を落としている。
心にぽっかりと
穴を開けたままだ。
中学生の頃、
反抗期の真っ只中にいた僕は、
父に対して残酷な言葉を投げかけた。
「なんでそんなに仕事してるの?好きでもないことをして、楽しい?」
その時の父の表情は忘れられない。
「家族のためだよ」
優しく微笑みながら答えた父の声が、
今も耳に残っている。
父は小学生時代に戦争で
自分の父(僕の祖父)を失い、
母親一人に育てられた。
女手一つで子供を育てる
母の苦労を間近で見て育った父は、
自分も家庭を守ることを生涯の使命としたのだ。
父は営業マンだった。
毎日、家族のために夜遅くまで、
まさに靴底を減らして頑張っていた。
その姿を見るたびに、
「僕はなぜそこまでしなければならないのか」
理解できず、
内心、軽蔑さえしていた。
父の苦労や思いを理解せず、
ただただ反発していた。
父の日の苦い思い出
僕が父に、酷い言葉を投げつけたのは
父の日に自宅にかかってきた
一本の電話がきっかけだった。
休日出勤から戻った父が、
リビングに入ってきたとたん
一息つく暇もなく電話は鳴った。
「ジリリリリ…」
電話越しに大声で怒鳴る男。
薄くなった頭を
床にこすりつけるようにして
詫びる父。
見えない理不尽な相手に、
どうしてそこまで。
心底…
「かっこ悪い」と思った。
僕が残酷な言葉を投げつけたのは、
電話を置いた父が深くため息をついた、
その時だった。
理不尽な要求に四苦八苦しながら応え、
疲れていたはずの父。
にもかかわらず、
父は穏やかに答えてくれた。
その言葉に僕は何も言えなかったが、
心の中では、
父を軽んじる気持ちが消えなかった。
父の姿に自分を
重ねることができなかったからだ。
遺された日記で知る父の姿
父が亡くなった後、
遺品の中から
一冊の日記を見つけた。
そこには、僕たち家族のために
どれだけの想いを捧げてきたかが綴られていた。
病弱な母に代わっての
弁当作りに苦労していたこと、
自転車を買ってくれるために
休日にアルバイトをしていたこと…
はじめて知ることばかり。
そのすべてが愛情の証だった。
僕があの言葉を投げつけた日の
日記にはこう記されていた。
「○○(僕の名前)に『何のために仕事をしているのか』と聞かれて、正直驚いた。○○がそう思うのは、僕が家族にしっかり向き合えてないせいかもしれない。もっと子供たちとの時間を作らないと。みんなの笑顔を見るためなら、どんな苦労も惜しくはない」
その一文を読んで、
涙が止まらなかった。
父は僕たちのために生き、
僕たち家族の幸せを心から願っていたのだ。
僕が無神経に投げつけた言葉にも、
優しく答えてくれた。
そんな父に対して、
僕はどれだけ失礼なことをしたのか…
後悔の念は、
今も消えることがない。
あの時、もっと素直に
父の想いを受け取っていれば、
もっと違った関係を築けたかもしれない。
父が背中で教えてくれた
『家族への愛と献身』。
せめて自分の子供たちに
しっかりと伝えていきたい。
父の日。
写真に向かって感謝の気持ちを伝える。
「お父さん、ありがとう。そして、本当にごめん」
天国に言葉が届くことを願いながら。