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拡散される猫の民間伝承と東村芽依の介入



はじめに

 「猫」は人間の生活に最もうまく取り入った動物である。日本における飼育数は犬の約684万頭を超えて約907万匹だと報告されているほか、インターネット上では猫の動画が溢れかえり、最近では「猫ミーム」と呼ばれるものまで出現した。もはや人間は猫に支配されているといっても過言ではない。それほどまでに、猫は人間にとって身近な動物の代表である。
 猫の方が人間の生活圏に寄ってきたのかあるいは人間が猫に愛着をもって飼うようになったのか、源流のきっかけについてははっきりしなものの、その歴史は古く、古代エジプトまで遡る。紀元前2000〜1000年の古代エジプトで野生のリビアネコの家畜化がすすみ家猫が広まったほか、猫は女神としも扱われていた。ブバスティス(現在のテルーバスタ)に祀られていたバスト(バステト)女神である。もともとは、太陽の豊かな熱を擬人化した獅子の女神であったが、のちにその聖獣であった猫の女神とされ、猫の頭の女の姿で表現されるようになった。猫は聖獣としして尊重され、猫をミイラにして葬るようになった。
 このような古代エジプトに生まれた猫の文化は、やがてヨーロッパやアジアへと広まり、それぞれの地域の文化ともうまく融け合い、また新たな文化を生み出していった。日本だけでなく世界中で猫に関する物語は生まれ(『長靴をはいた猫』『不思議の国のアリス』『キャッツ』など)、『ドラえもん』や『ハローキティ』といった猫のキャラクタは世界中で愛されている。また、恩返しをするのも、魔女が連れているのも、商売繁盛を願う招き猫もすべて猫がモデルとなっている。怪異として化け猫が登場する昔話も少なくない。
 このような猫と人間社会の関わりから生まれたいくつかの文化や物語は、始まりこそ、その地域社会に限定されたローカルなものであっただろう。しかし、(後述するが)全国各地で類似した話が共有されているのは興味深いところである。

 さて。ここで、だ。東村芽依が猫であることは紛れもない事実である(図1)。また"めいわーるど"を介して自由に時空を移動できる存在であることは以前に述べた通りだ。そこでは時間的な制約も空間的な制約も無力となる。ということはすなわち、全国各地に存在する猫に関する言い伝えや物語の拡散に、東村芽依の存在が関係しているとは考えられないか。あるいは逆に、東村芽依の介入によって猫に関する文化や言い伝えが人間社会に浸透していった可能性が考えられるのではないか。
 本論ではその仮説について、民間伝承を中心に検証をしていく。

図1.  猫

山に入る猫と猫の王様

 猫に関する言い伝えで、圧倒的に数の多いのは「飼い猫が山に入る」というものである。実はこれに関する話は非常に多い。そして、このような言い伝えが特に多く残っているのは、熊本県である。
 熊本県の阿蘇山には根子岳と呼ばれる山々が連なっている。根子岳、またの名を猫岳。その呼び名から連想される通り、この地域には山と猫にまつわる話が数多存在している。江戸中期頃に書かれた『塔志随筆』には「猫岳には猫の王が住んでおり、一年に一度近郷の猫が宮仕えのために参る」と書かれている。そのほかにも「家の飼い猫が、年を経ると家から離れ、猫岳にくる(1866年『南郷事蹟考』)」「虎のような猫の王が猫岳には住んでおり、除夜の鐘の晩に、郡内の猫を招集する(1926年『阿蘇郡誌』)」、「猫の会議が除夜の鐘の頃に開かれ、猫が猫岳に登ると、猫は出世してその性が荒々しくなる(1928年『阿蘇』)」など、その数は枚挙にいとまがない。
 それぞれの物語のディティールは微妙に異なっているものの、共通しているのは「猫の王様が山に住んでいる」こと、そして「周辺地域に住む猫が集められる」という点であろう。なお、このような話は、熊本県に限らず九州各地や山口県でも見つかっている。
 これらはいずれも、「飼い猫がふとした時にいなくなる。そして忘れた頃に戻ってくる」といった猫の習性から連想されたものだろう。猫は固定のテリトリーというものを持たない(安全な家に住んでいる飼い猫であろうが、いなくなることがある)。また、「山に入った猫が猫の会議に参加する」というのは、猫が人の社会のように独自の社会を形成していて、それを人間側も認識している、ということがうかがえる(後述する『猫また屋敷』の章で詳細を記す)。
 また、山に入った猫が会議に参加するだけではなく「修行をする」という話も多い。新潟県長岡市には、寺僧の飼っていた猫が山で修行をして猫又になりたいといって寺を出る話もある。そしてどうやらこのような話は熊本県に限らず日本各地に広まってるようだ。

 ところで、だ。「猫」「修行」「出世」というキーワードが出たが、これらから連想されるものはないか。そう、2022年一発目の『日向坂で会いましょう』の企画「寅年イチの強運は誰だ!日向坂46福女決定戦!」(2022年1月10, 17日放送)である。この回、見事福女の称号を手にしたのは東村芽依であるが、東村はその年の目標について「トラになる」と述べている(図2)。当時、私は単に寅年にかけたコメントであると認識していたが、よくよく考えてみると猫(である東村芽依)がトラになることを目標として掲げるのは、まさに「猫が山に入り、修行を積み、出世を目指す」といった言い伝えの通りである。あるいは、東村芽依のこのような目標から、各地に伝わる「猫が入り修行を積む」という言い伝えが発生したともいえる。なお、時系列の矛盾については前述の通りであり、その指摘は意味をなさない。

図2. 虎になることを2022年の目標に掲げる東村

 ところで、日本には虎は生息していないはずだが、お隣の中国では古く前漢の書といわれる『礼記』に「祭りの際には貓と虎をまつる」との旨が記されている(※「貓」は現在では家猫のことと考えられている)。また、中国雲南省の楚雄イ族自治州の南部にあるイ族の村では、村人らは己のことを「羅羅(ルゥオルゥオ)」と自称している。羅は虎の意を表し、羅羅は虎の人という意味である。羅羅人は毎年1月1日の猫節に、虎と猫をまつる。猫と虎はともに祖先であるとされているわけだ。猫を神とする考えは中国に根強く残っており、それが日本の猫の言い伝えになった可能性は十分に考えられる。猫も虎も信仰の対象であったことを考えると、東村の「トラになる」という目標は何らおかしいことはないのである。

 ちなみにであるが、その2022年末頃に開催された「ミート&グリート」にて、私は東村芽依に「虎にはなれましたか?」と尋ねたことがある。東村は「なれたぁ〜」と答えていた。なれてた。

踊る猫

 山というのは日本人にとって、古くから霊的な力を得られる場所として畏れられてきた。それが山岳信仰の根底にあり、山伏として山で修行をする僧もいるわけであるが、その範囲は人間だけに留まらない。だから猫も山に入って修行をするのだ。興味深いのは、山に入って修行を行った猫は、神通力を得て「踊る」ようになった、という言い伝えが多いことだ。そう、猫は踊るのだ。
 「猫が踊る」ときたら、我々は東村芽依の存在をイメージせざるを得ないであろう。東村は日向坂グループの中でもダンスメンであることはよく知られており、その卓越した身体能力を活かしてステージ上で楽しそうに踊る。内から湧き出る「楽しさ」は観ている者にダイレクトに伝播し、興奮させる。「ライブステージで踊る東村芽依」から「踊る猫」の言い伝えが広まったといっても決して過言ではないだろう。

踊る(踊り終わった)猫

 元禄六年刊の『礦石集』(1693)巻一には「飼猫が人の言葉を話し踊る姿」が記述されており、また熊本県球磨郡には「長年飼っていた猫が、箒を右肩左肩と、交互に担ぎながら、後ろ足で調子よく踊り回っていた」という言い伝えが残されている。「猫が踊る」というのは江戸の武家のあいだでもしばしば話題となっていて、肥前平戸藩士の松浦静山の随筆『甲子夜話』(1821)巻七にもみえている。静山は「世に猫の踊りと謂うこと妄言にあらず」と、猫の踊りが実在すると信じていたそうだ。
 猫の浮世絵師と知られる歌川国芳(1797~1861)が、東海道五十三次をもじってえがいた『猫飼好五十三疋(みょうかいこうごじゅうさんぴき)』には、手ぬぐいを持って二本足で立っている猫が描かれている(図3左)。また国芳は『黄菊花都路』の挿絵にも踊る猫を登場させている。さらに、歌川国政(1773~1810)が描いた『嵯峨奥妖猫奇談』の表紙でも、尾が2つに割れた二匹の猫が、手ぬぐいを頭にかぶって、片足立ちして踊っている(図3右)。

図3. 踊る猫の絵

 いずれにおいても「手ぬぐい」を被っていることが共通しているのは興味深い。「手ぬぐい」が踊るために必要なキーアイテムとして認識されていたことがうかがえる。手ぬぐいは人間が使うものであり、それを持ち出すことが、単なる猫ではなくなることの象徴としての効果あったのだろう。またあるいは、この「手ぬぐい」というのは、ライブにおける「推しめんたおる」を指している可能性も考えられる。

推しめんたおるを被る猫。浮世絵に描かれた「踊る猫」と類似している。

 また、「猫の踊り」の昔話には、ときとして、猫が「狐」と踊っているのを見たという伝えがある。青森県外南部には狐と猫がいっしょに踊っているのを見たという体験記が『風土年表抄』巻六(1744)に記されている。西の方では鳥取県東伯郡に「猫壇家」の序段として猫と狐(そして狸も)が輪になって一緒に踊る光景が伝えられている。福岡県の豊前小倉では狐が猫に二足歩行を教えていたという話があり(『筱舎漫筆』1836年)、東京においても『江戸塵拾』巻五(1823)や『耳袋』巻二(1795)に、それぞれ猫が狐の子を生んだ話や猫と狐の子の話が伝えられている。また、狐は昔から「人を化かす」動物として描かれてきたが、そのイメージがそのまま「化猫」として引き継がれている言い伝えも数多く存在する。
 このように、猫と狐はセットもしくは関係の深い存在として考えられ、そのイメージが日本全国で共有されてきたのは興味深い。
 そこには何らかの「きっかけ」があると考えられるが、ここで日向坂46の楽曲に目を向けよう。日向坂46には『キツネ』という楽曲があるのだが、この曲は2022年のNHK紅白歌合戦にて披露された(図4, 5)。当然ながら東村芽依も参加している。そう、そこでは「猫」が「狐」となっているわけだ。これはまさに「猫が踊る」言い伝えとも結びついてる。紅白歌合戦は当然ながら全国で放送されており、また放送される大晦日というのも、猫岳の言い伝えにおいて猫の王様が周辺の猫を招集する「除夜の鐘の日」とも合致している。この紅白歌合戦の放送によって、猫と狐のイメージが全国に知れ渡り共有されるようになったのではないかと私は考えている。なお、繰り返すが、時系列については東村を前にしては意味をなさないので反論にはならない。そこには何ら矛盾はないのだ。


図4. 紅白歌合戦にて披露された『キツネ』
図5. キツネの姿で手キツネをする猫

猫また・猫また屋敷

 猫の怪異として知られているものとして、忘れてならないのは「猫また(猫又・猫股)」であろう。猫または民間伝承、古典の怪談や随筆などに登場する猫の妖怪である。『古今著聞集』(1254)や『徒然草』(1331)など多くの文献に登場しているが、日本において猫またの記述が初めて登場したのは鎌倉時代の藤原定家による『明月記』(1233年)の8月2日の記事である。そこでは「猫又が南都に現れたが、目が猫で体は犬のように長かった」との旨が記述されている。なお、南都とは現在の奈良県であり、東村芽依の故郷であることは付言しておく。
 見た目の特徴としては、尻尾が二股に分かれている猫として描かれていることが多い。猫またの性格は、凶暴な性格のものもあれば、飼い主に恩返しをする穏やかな性質のものおり、文献によって多岐にわたる。また、絵として描かれる猫またのイメージも多様で、前述した「踊る猫」がそのまま「猫また」のとして伝えられているものもあれば、三味線を弾いている姿が描かれているものもある。興味深いのは後者(図6)で、その姿は、日向坂46と恋するアプリゲーム『ひなこい』に登場した「ギターを弾く東村芽依」のひな写(図7)と偶然とは言えないほど一致している。

図6. 佐脇嵩之『百怪図巻』における「猫また」
 図7. 日向坂46と恋するあぷりげゑむ『ひなこゐ』における「猫」

 猫が「猫また」となるには、飼い猫が年を経てなる場合と、山に入って猫またとなる場合の主に2つのパターンが存在している。新潟県佐渡郡では、山に入って猫またとなった話がそのまま「猫また屋敷」の昔話となっている一方、雄猫が山に入り残された雌猫が麓に集まり「猫また屋敷」を形成した、という話も少なくない。実際のところ、野生化した家猫を対象にした研究では、雄猫は広い行動範囲を持つ一方で雌猫はほとんど巣を離れないとの報告もある。「猫また屋敷」では猫またが独自の社会組織を形成し、一つの共同体として言い伝えられており、そこには野良猫の集まりを拡大した世界ととらえられている(図8)。

図8. 山東京山『朧月猫の草紙』で描かれる猫屋敷。

 一方で、東村芽依は「東村男前軍団」と呼ばれる組織を作り、その長の立場をとっているが、ここにも「猫また屋敷」との関連性が考えられる(猫岳において猫の王様が周辺の猫を招集する言い伝えと非常に似ている)。

 ちなみに、猫また屋敷に人間が訪れた話は怪談として古くから残されている。そこでは、大事に飼っていた猫がいなくなり、それを探して山に入った女中が屋敷にたどり着く話(『百物語』など)や、山で道に迷った旅人が偶然猫また屋敷に遭遇する話などがある。いずれにおいても、猫また屋敷の猫は人間の介入を拒み、やってきた人間にも帰るよう促す。人間が介入できない社会が「猫また屋敷」なのだ。

猫また屋敷に人間が訪れてしまった場合のイメージ

 なお、『百物語』では、いなくなった猫を探しに猫また屋敷を訪れた女中に対して、猫は「猫また屋敷に来られるのは選ばれた猫だけであり、それは猫の出世である」と諭す。猫また屋敷というのは出世の先にあるものであり、名誉なことであったのかもしれない。であるならば、東村男前軍団の新入りである濱岸ひよりも名誉であることを胸に刻むべきである。そう、もっと誇るべきなのだ。

猫またとなるのは誉れなことである。

おわりに

 ここまで、「山に入る猫」についての言い伝えから始まり「踊る猫」や「猫また」など、猫の関する物語をみてきた。どの話についても、どこを切り取っても、その源流をたどっていくとやがて東村芽依に行き着く。ということはやはり、東村が民間伝承の拡散に関与している可能性は無視できないものであり、むしろ東村を起点としてそれぞれの物語が全国各地に伝播していったという可能性を示唆している。
 現在(あるいはこれまでもずっと)は空前の猫ブームであり、現実世界だろうがネット上であろうが、どこを見ても猫にあふれている。人間は猫のことを放っておけないのだ。人間はさもペットとして猫を飼っている気でいるが、実は人間の方が猫に飼いならされているのかもしれない。それは、これまで見てきたように、人間と猫についての伝承される物語や文化の面からも読み取ることができるだろう。
 そして、このような猫世界となったのにも、東村芽依が関与している可能性を私たちは無視できないのである。



補足:フィクションと猫をたくさん含みます。にゃん。


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