見出し画像

ツインテール・メイコフスキー時空とその応用


はじめに

 ツインテール・メイコフスキー(Twintail-Meikowski)時空、通称「T-M時空」は、時間と空間についての理論である。この理論の着想は言うまでもないが、その名称からも分かる通り東村芽依のツインテールからきている。今回はこの「T-M時空」論について説明していこう。

基本形

 (特殊)相対性理論は、静止している観測者から見ても、動いている(等速直線運動している)観測者から見ても、(真空中の)光の速度は一定に見える、という実験事実を前提に成り立っている。この特殊相対性理論において用いられる数学的空間が「T-M時空」である。この時空の特徴は「ツインテール変換で結ばれる時間と空間は、どちらかが実数軸であなら他方は虚数軸であるというメイコフスキー時空を構成する」ということであるのだが、まずはこのメイコフスキー時空について考えよう。このメイコフスキー時空を、一次元xで表して描くと次のようになる。

 横軸である空間xを虚数とし、縦軸である時間tを実数としている。空間と時間のどちらを虚数とするかは相対論の範囲だけでは決められないものの、いずれにおいても問題がない(=置換可能であるため)ため、今は便宜上このようにおいておく。さて、この関係からもわかるように、時間と空間は独立に存在するものではない。以前、"めいわーるど"の存在性について述べた「一般めいわーるど仮説」を紹介したが(注1)、この仮説と親和性が良いことも、このT-M理論が支持されている理由の一つである。

注1)めいわーるどと私たちの存在する世界は重ならないものの、実数と虚数の関係を介して記述可能である。

 さて、この二次元で表した時空上に原点0から45度の方向に延びる4本の直線を引いてみる。なお、実際の空間は一次元ではなく三次元空間でないと厳密ではなのではないかというのであれば、式の上で三変数に拡張すれば良い(それについては後述する)。

 赤い線は光子の進む世界線を表す(そのため、本来は縦軸に光速cがかけてctとする)。原点からみたときにこの光の世界線に囲まれた上の領域は未来であり、下の領域は過去である。また、左右の網掛けの部分は因果関係をもてない領域であることから非因果領域とよばれる。
 それでは、この模式図について原点0を中心に90°回転させた場合を考えよう。すると、原点から拡がる光の世界線に囲まれた領域は東村芽依のツインテール可動領域と一致する。右側は未来を表し左側が過去を表す(ただし、便宜上そうしているが、実際のところは未来と過去は置換可能なものである)。そして上下はツインテールの領域外であるため、因果関係をもてない非因果領域となる。

 時間と空間の関係をツインテール変換によって、それぞれを独立したものではなく同一平面上に表すことができる。これが「T-M時空」の視覚的な説明であり、「ツインテール・メイコフスキー時空」と名付けられた所以である。なお、ツインテールは基本的に左右対称であることが基本形であり、それはすなわち、過去と未来を区別するいかなる法則もないことを示している。つまりT-M時空では時間に対して対照的であり、過去から未来へ流れる時間などというものも存在しないこととなる。このことについてはまた最後に述べたいと思うが、このように、東村芽依のツインテールを起点として、時間と空間の関係を結びつけたものが「T-M時空」論なのである。

 ところで、ここで少し脇道にそれるが、宇宙の起点をめいちゃんのポニーテールから説明する「インフレーションめいちゃんポニテ宇宙論(IMPC理論)」という学説がある(注2)。その支持者(通称めいポニ派)と、このT-M時空論支持者(ツイめい派)が犬猿の仲であることは業界内では有名な話である。めいポニ派が「めいちゃんはポニーテールこそ至高」と唱えれば、ツイめい派は「ならば二つ結びはその倍素晴らしいことになる」と譲らない。この論争は長年にわたって続いており、もはや「めい学会」ではその応酬は恒例行事と化している。とある年に開催された「国際めい学会」では、2つの派閥の言い争いがいつものように始まったかと思うと、やがて「初期ショートカット派」や「三つ編みめいめい派」「ひつじヘアーめいちゃん派」をも巻き込んだ大論争へと至った。このことは今でも学会の歴史における一大イベントとして記憶されている(通称「めいヘアアレンジ大論争」)。なお、この大論争は最終的に東村芽依の「めいはめいやでぇ?」の一言で一応のところ収拾がついたとされている(注3)。この論争に至るまでの経緯については参考文献を記載したので(注4)そちらを参照されたし。

注2)IMPC理論については上記が詳しい。
注3)ただし実際には東村はこのよう発言をしてはおらず、中立の立場をとる「めいちゃん髪型なんでも似合う派」がしかたなく場を収めるために持ち出した作り話であるという可能性も否定できない。
注4)『めいヘアアレンジ :その軌跡と現在地』めい学会出版, 2024.

応用形

 ここまで、T-M時空の基本形について述べてきたが、T-M時空の威力はそれだけではない。説明の便宜上、空間を一次元のものとして扱ってきたが、現実では空間は三次元であることは言うまでもない。そこで、(x, y, z)を一つの平面Xで表すとしよう(縦軸は同じ時間:tとする)。すると、X=tのとき、点(1, 1)を通る45度の角度の線が得られる。また同様に(-1, 1)を通す斜め45度の角度で別の線を引くと、原点から出発して時間的に前進する光は、この2本の45度線が形成するV字にそって進むことになる(ここまでは基本形で述べた通りである)。では、第二の空間次元(Xをx軸とy軸で表せる平面とし、t軸はそれらに直交する)を追加し、原点を中心にそのV字を回転させてみる。すると光が進む直線は光円錐(Light Corn)と呼ばれる曲面になる。

 光円錐は四次元空間(三次元の空間と一次元の時間)で考えられ、ある事象が起こったとき、その事象を中心に光が全方向に放射されていく様子を表したものである。このとき、未来光円錐(Future Light Corn)は事象が起こった時点から未来に向かって拡がる光の経路を示し、この内部に含まれる事象は元の事象に影響を受ける可能性がある(=因果関係が成立する範囲)。また、過去光円錐(Past Light Corn)は事象が起こる前に、その事象に影響を与えた可能性のある光の経路を示す。この円錐内部に含まれる事象は、元の事象に影響を与えた可能性がある、ということになる。
 T-M時空が東村芽依ちゃんのツインテールから発展した理論であることを鑑みるならば、円錐で表すことのほうがより「それらしい」ことは言うまでもないだろう。東村芽依の左右のツインテールはそれぞれの光円錐を表しているわけである(基本形と同様にこの模式図を原点0を中心90度回転させるとそれはもはやツインテールそのものである)。

 ちなみにであるが、ここには一つ余談がある。光円錐(Light Corn)は常に「原点を中心としていてそこから放射される(拡がりをもつ)」ことがT-M時空の性質であることはこれまで説明してきた通りである。ところが、2019年8月18日の東村のブログにて、コーンで遊ぶ東村の姿が確認された。

2019年8月18日本人ブログ

 コーンを被った東村芽依が非常に微笑ましい写真であるが、議論となったのはその方向性についてである。「T-M時空」論は東村芽依を原点においてツインテールの拡がりから時間と空間の関係性を統一した理論であるのだが、その理論に対してコーンの向きが合わないのである(=中心から外側に向かうにつれてコーンが収束している)。数学的に正しいとされてきたT-M時空論はここにきて窮地を迎えることとなる。根底を覆す事象にツイめい派の動揺は計り知れないものであっただろう。「どうする?✕3」とツイめい派研究者は緊急招集され、今後の研究の方向性についての会議は数日間にわたった。議論は紛糾し、この事象を説明する理論を新たに打ち立てようとする者もいれば、匙を投げる者もいるなど大混乱に至った。そして最終的には「それはそれ。可愛いからいっか」という結論が下った。まさに歴史的解決である。可愛いからいっか。

 閑話休題。T-M時空では、すべての光線は光円錐の表面にそって進み、もちろん光速で移動する。これらの軌跡は世界線(world line)ともよばれ、あらゆる物体(光子を含む)は四次元時空でたどる経路をさす。そのため、東村芽依がツインテールでなおかつ三つ編みだった場合において、その一つ一つの髪が束なった状態を「世界線の絡み合い」と捉える「パラレルワールド三つ編みめいめい仮説」も提唱されているが、今回のテーマの範疇を超えるためにその説明は他に譲るとする(注5)。

参考:三つ編みめいめい(2020年7月25日本人ブログより)

注5)わざわざ付け加えるまでもないが、この「パラレルワールド三つ編みめいめい仮説」の提唱は前述の「三つ編みめいめい派」によるものである。

発展形とおわりに

 ツインテールにおいては左右の髪の束が対照性をもつように、T-M時空でもその対称性が重視される。右と左はそれぞれ区別されず置換可能であり、それはすなわち過去と未来を区別しないということでもある。と、同時に。そこに生まれる"流れ"も方向性をもたない。過去から未来への流れと、未来から過去の流れは数学上は「同じ」となるのだ。しかしながら、私たちは時間が過去から未来へと一方向に流れるものだと信じており、それが未来から過去への流れるものと同じであるとするのは直感と反する。このことも、T-M時空のアイデアが長年受け入れがたいものだとされてきた所以でもあろう。
 このT-M時空における直感と反する性質を(これもまた感覚的ではあるが)認識する方法はないわけではない。それを説明するために、ここでまた東村芽依に登場願おう。餅は餅屋、蛇の道は蛇。猫のことは猫の手を借りるのが一番である。
 東村は時折、時間を「逆行」しているとしか思えない姿を確認することができる。デビュー時よりも幼い姿が見られることは少なくなく、この現象は「Meijamin Button現象」と一部で呼ばれている(注6)。実際の年齢にかかわらず”五歳児”と呼ばれ続けているのも、その影響によるものが理由の一つかもしれない。

デビュー時(ひらがな写真館)
2020年1月28日本人ブログ

注6)上記は「Meijamin Button現象」の一例である。時間の流れを逆行している様子がよくわかる。

 この現象は「時間は過去から未来へ流れる」という私たちの常識と反するため認識を歪ませるが、T-M時空によれば、私たちの認識のほうが間違っている可能性も否定できなくなる。あるいは主観とはその程度のものなのかもしれない。未来も過去も、ましてやこの空間さえも。T-M時空によって時間の流れすら確固たるものではない「まやかし」となってしまうならば、本当に"真"といえるものはこの宇宙世界には存在しないのか。これは私たちの存在性そのものを揺るがす命題になりうる可能性を秘めている。
 しかしながら、文字通りもう一度原点に立ち返ろう。T-M時空では原点に東村芽依がいて、そのツインテールの拡がりから、時空の拡がりについて述べた理論である。ツインテールはその対称性からいくらでも置換可能であるのは前述した通りである。
 しかし、その原点であり中心に存在する東村だけは(たとえ過去や未来が変換可能だとしても)その位置は変化しない。もしくは、東村芽依の位置が変化したとしても、そこからまた新たに光円錐が現れる。まるで禅問答のようであるが、原点は常に東村にある。そう、原点(=現在のこの瞬間)に存在する東村だけは紛れもない、置換不可能な"真"の存在であるといえる。原点を中心にどの方向にいくら回転させたとしてもそれだけは変化しない。現在の東村芽依。今日8月23日この瞬間に誕生日を迎える東村芽依は真実である。そして私もまた観測者(やんちゃるず)の一人として、彼女が今年良い一年を過ごせれば良いなと願ってやまないのである。


補足:フィクションと猫をたくさん含みます。元ネタはもちろん「ミンコフスキー時空」で、なんとなくの雰囲気だけで書きました。めいちゃんおたおめ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?