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ビジョン ~地域を自然栽培に~
・農薬と肥料を使用せず、自家採種で「しあわせ米」の栽培を行う
・自然栽培を通して、地域に根ざす稲作文化や自然環境の保全を行う
・地域の人が、地域で就農、地域で自立できるコミュニティ作りを行う
はじめに私たちの活動を紹介します。
大分で随一の農村地帯である宇佐平野で、八幡さまの総本宮である宇佐神宮のご加護のもと、農薬、肥料を使用しない自然栽培のお米、「しあわせ米」を栽培しています。耕作面積は水田15ha。平成18年に農業生産法人、有限会社宇佐本百姓として法人化。周辺の農家と合わせ25haで自然栽培に取り組み、しあわせ米®として、北海道から鹿児島まで、近畿、首都圏を中心にお米とその加工品の販売を行っています。
農薬と肥料を使用せず、自家採種で「しあわせ米」の栽培を行う
瑞穂の国。
古来より稲作を行って来た日本。
天照大神より稲穂を頂いてから、農薬も肥料も使わずに、種を継承しお米は作られて来ました。自然栽培こそが慣行農法だったのです。そして思うに、除草にも病害虫にも苦労をしていなかったと思われます。それは私たちが行っている自然栽培でも除草の必要ななく、病害虫の被害もほぼ皆無だからです。この技術の詳細についてはまた後日に記そうと思っています。
自然栽培を通して、地域に根ざす稲作文化や自然環境の保全を行う
農薬と肥料。
年配の農家の話を聞くと「農薬を初めて使った時には感動した!」と当時を振り返り語ってくれます。確かに私も就農当時の草だらけの田んぼを朝から晩まで手で草取りをしていた経験があるので、その感動が如何ほどのものか共感出来ます。そして化学肥料を散布したときの驚くべき早さの成長も。
いやしかし。
私たちの田んぼに卵のようなものが今でも浮いています。その卵のようなものを大学の先生に見てもらったところ、肥料をコーティングするプラスティックのカプセルでした。もう何年も自然栽培を行っている田んぼでも過去に散布された肥料のカプセルが卵のように浮いてくる事があります。考えて見て下さい。過去に散布した肥料がこのよう状態にあるのに、慣行農法では毎年毎年このカプセルを散布しています。そして農薬もしかり。誰も分かっているのです、それが体や環境に悪い事も。でも病虫害に晒された稲を目の当たりにするとき、またはそんな体験をしたくないために、農薬を散布するです。今でも現場では禁止されている薬剤の散布が行われています。
では、草と病虫害はどうするのか?
慣行農法から農薬と肥料を除外するだけでは、草と病虫害は防げません。それは慣行農法が稲の生理から外れていて農薬と肥料に特化した栽培技術になっているからです。もう一度、本来の稲の生理に沿った栽培技術を行えば草と病虫害に苦労することはなくなります。
稲作文化。
地域に伝承する文化、それはほぼ稲作中心です。地域だけではく、日本において、天皇陛下が行う大嘗祭に新嘗祭、宇佐神宮の夏越し祭り。その全ては稲作に纏わるものです。祭だけなく神事行事や慣習、地域の行事は稲作を中心として行われて、伝えられて来たものです。それらのものは過疎にともない、米農家の減少に伴い、稲作文化の継承が途絶えようとしています。
自然栽培を行っていくということは、環境と文化の保全そのものなのです。
地域の人が、地域で就農、地域で自立できるコミュニティ作りを行う
私たちは地域の農作業受託も行っています。それは農機具の高騰と米価の下落により米代金は経費に消えてしまい、農家が新たな設備を導入することが困難だからです。慣行の農家でも、田植機を持っていない方の田植えをしたり、コンバインを持ってない方の稲を刈り取り、乾燥調整をしています。
いまでも忘れられない一言は、ある方の集金に伺った時に「今年は手出しをしなくて良かった」です。その方のお米を米屋に売ってあげて、販売代金を渡し、そこから作業代金を頂いた時の一言です。米の売り上げはほぼ経費に消えてしまうと言うことを目の当たりにしました。
このような現状で、誰がお米を作るでしょうか?
もちろん米を作ろうという若者も現れず、過疎化が進み、農村の疲弊は限界まで来ています。農村というのは、ただ単に集落があり、人がいる場所ではなく、行政の最小単位である地方自治の場です。消防や冠婚葬祭、祭りや神事行事に至るまで、日本の礎や文化の元となるところです。農村の疲弊は、日本そのものの疲弊です。
これを打開する方策が自然栽培です。
大規模化や高効率化でも農地は維持出来ます。しかし農村や文化は維持出来ません。環境と文化の保全にはそこに済む農民が必要不可欠です。そのためには自然栽培しかないと思います。
お米を本来の価値で販売する事により、農業が再び生業なり、若者の就職先の一つの選択肢として農業が挙がるようなになる。若者を農村に呼び寄せるその魅力を自然栽培は持っていると思います。
昔の時報はお寺の鐘。昔はお寺の鐘の音が聞こえる範囲に生活に必要なものがあり、そこでコミュニティが完結していました。自然栽培によるコミュニティのを再構築です。
最後に、私たちが目指すところは、農村に子供がいて、若者が高齢者の世話をして、農業の経営者は納税ができ、収益でマイホームが持てる。雨の日は、多様や生業や趣味で社会に貢献する、そんな百姓になる事です。そして、「しあわせは、家族そろって笑って食う、三度の麦飯」家族そろって三度三度ご飯が食られるそれがしあわせ。亡くなった祖父の言葉です。
農村にそのよう家族が増えて行く。それが私たちのビジョンです。