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ビジョン 〜コミュニティー〜

『お寺の鐘の音が聞こえる範囲で完結するコミュニティー』

子どもの頃はお寺の鐘がなっていました。
お寺の鐘が刻を知らせる合図。農作業を辞めて家に帰る合図だったのだろうと思います。
子どもの頃には自転車で行ける範囲に駄菓子屋があり、駄菓子屋には釣り具や色々なものが売っていました。理髪店もあり病院もありました。農協もあり、農協は銀行の役割でした。
つまり、お寺の鐘の音が聞こえる範囲でコミュニティーが完結していました。しかも伴侶は地域の方で、地域の中に親戚が沢山いる。

今もこの周りの保育園はお寺の住職が理事長でお寺が運営しています。

『お寺の鐘の音が聞こえる範囲で完結するコミュニティー』
素晴らしいフレーズだと思います。


田舎の通貨は「徳」

「ちょっと手伝え」と父に言われ意味が分からずついて行った先はご近所の屋根の上。ご近所さんの屋根が風で飛んだから修繕するとの事でした。なかなかの作業だったのですが、お茶をご馳走になって帰った記憶があります。その他にも誰々の「車が田んぼに落ちた、行くぞ」。「ちょっと兄ちゃん、田んぼに車が落ちたんや、あんたんとこのトラクターは大きいから、上げてくれんか」などで車の引き上げた事は何度もありました。
逆の立場ももちろん。就農してすぐ我が家を自分でリフォームすることになった時、ご近所には左官も大工もいたので、天井の貼り方を教えてくれたり、壁の塗り方を教えてくれたり。建具やさんもいたので、木材をカットしてもらったり。余談ですが大工さんに教えてもらった「壁土ほど作物がよく育つものはないんど」という一言は今でも鮮明に覚えていて、いわゆる乾土効果のことだと思いますが、今の田んぼ作業でも大切にしている事の一つになっています。

つまり、田舎ではかなりの重労働な事でも無償でやり取りされています。持ちつ持たれつにです。様々な職業の方がいてそれを地域の中で提供するときは無償です。
そうそう大事な事が一つあります。様々な職業を持っていますが皆さん田んぼを作る米農家の一面も持っています。どんな職業の方も当たり前に田んぼを持っていてお米を作っていました。

そして大事な事はそこに『徳』のやり取りがあると言うことです。施されたら施す。それは人に対してだけではなく、地域の為に施すとそれを見ていた誰かが施してくれる。それは行為だけでなく、言葉の施しもあります。思いや気持ちでも成り立つ事だと思っています。

もちろん神仏に対しても。財が出来れば地域の神社やお寺に寄進する。神社の鳥居にはその方の名前が刻まれているし、色々なものに名がある。昔の方は徳のやり取りが自然の中で身についていてその使い方を知っていたのだと思います。

金銭ではない取引。特技を共有するコミュニティー。生活の共同体。人と人。人と地域。人と神仏。

鐘の音が聞こえる範囲での(徳を通貨とする)生活の共同体。これが理想とするコミュティーのビジョンです。

徳は表立つより、陰徳が良いので括弧としています。

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