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人間失格から学ぶ人間の本性と人生の目的

日本に帰国して3ヶ月。無性に日本文学が読みたくなって渋谷区の図書館に行った。

そしてふと目に留まった本、人間失格。

とても有名だけど、わたしはまだ一度も読んだことがなかった。高校の国語の授業で扱われていた芥川龍之介の羅生門の面白さが当時全然分からず、ずっと日本文学に興味を持とうとしていなかった。

そんなわたしでも、人間失格には世の中の偽りではない真実が描き出されている気がして無我夢中で読んだ。

日蔭者という言葉があります。人間の世に於いて、みじめな、敗者、悪徳者を指差していう言葉のようですが、じぶんは、じぶんを生まれた時からの日蔭者のような気がしていて、世間から、あれは日蔭者だと指差されているほどのひとと逢うと、自分は、必ず、優しい心になるのです。そうして、その自分の「優しい心」は、自身でうっとりするくらい優しい心でした。

新潮文庫 人間失格 p46-47

生まれた時からの日陰者。太宰治は、日陰者を目にすると、仲間意識の意味で、優しい心になるのだろうか。

私は、この考え方がとても好きだ。

自分を日陰者とすること自体、まるで根本的な人間の悪や罪の部分と向き合っているようなものだから。

人間の悪の部分は、盗みや殺人などの目に見えてわかる悪だけでなくて、嫉妬や無意識の偏見など、内面の憎さもさす。

私は、人は、どれだけ頑張っても、根本的な悪の部分は無くならないんじゃないかと思う。

そういうと一見すごいネガティブに見えるけど、私は、基本常にポジティブである。私にとって、ポジティブでいることと、自分はいい人間だと思うことは違う。

ポジティブでいることは、どんな局面でも、どんな困難でも必ず乗り越えられると信じること。

でも、私にとって、自分がいい人間だと思うことは、人間の悪の性質を棚に上げて、驕り高ることにつながってしまうと考える。

だからこそ、「人間失格」は人間の本性、心の奥深くにある感情の告白であり、自分を美化しない、なんて美しい書物なんだと思った。

人間は決して人間に服従しない

新潮文庫 人間失格   p95

太宰治は、周囲の人々に適応しようと努力しながらも、内心では人々に対して距離や反発感を抱いている。 

この「服従しない」という言葉には、他者や社会の期待に沿って生きようとすることが、自分の本来の姿や自由を見失わせるという意味も含まれているように思う。

帰国後に真っ先に行った就活。

社会の風潮や、他人に従うふりをしながらも、心の底では自分自身を保とうとする人間の心理や、他者からの影響に流されない自分を探す苦悩が、この本に重なった。

結論。

偉くなりたい、高められたい、立派になりたい、という上昇指向的モラルや完成は結果的に悪しき秩序に巡合し、それを強めるだけである。だから太宰治はまず自己を破壊する下降指向に徹した。

人間失格 解説 奥野健男 p148   

オーストラリアで5ヶ月一緒に過ごしたクリスチャンの友達が言っていた言葉がふと蘇った。

「ambitionは人間の悪だよ」

常に向上心の塊の私にとって、ええ、と反感に近い感情を抱いたのを覚えている。

でも、今なら何となくわかる。普通の人間なら誰でも抱く、「成功」や「立派さ」への欲望。これらを人類が追求し続けた結果、社会にある「悪い秩序」や「抑圧の仕組み」が生まれる。

この「悪い秩序」というのは、力を持つ人がその力を守るために、自分よりも弱い人たちを支配する仕組みのこと。奴隷制度も、その一例。上の人が「偉くなること」や「立派さ」を求めることで、下の人は支配される側になり、結果的に不平等な関係が続く。

太宰治はそのような「上に行く」考えを否定し、自分の弱さや心の苦しみと向き合うこと、「下に行く」ことを選んだ。つまり、社会のルールに合わせて偉くなるのではなく、むしろそこから解放され、自由な自分を探そうとした。

私は、彼の悲惨な生き方、特に、内面の弱さや孤独に直視する生き方に尊敬の念を禁じ得ない。


私の人生の目的の一つは、自分の欲望や周囲の期待からの解放だと思う。
休学期間、いろんな国で旅で出会った方によってこれまでの自分の既存の価値観が大きく揺らいだ。

一つ言えるのは、自分が身を置く環境が新しい自分を作るということ。

だから今自分に大切なのは、自分の価値観に合致した、心地よいと思える環境に身を置くことである。

最終的に自分はどこの国のどの地に落ち着くのだろうか、楽しみである。



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