議員や政策はどう選ぶ?民意を反映する意思決定のデザイン
民主主義の機能を促進する仕組みついて、私の前回の記事ではテクノロジーの活用による政策決定への参加や、市民のニーズを把握することに関するアプローチを取り上げました。
今回は民主主義への参加における「意思決定」にフォーカスした事例をみていこうと思います。主に選挙や政策決定に関する投票制度周りについてです。まだまだ実験的なものや、既存の間接民主主義の問題点を指摘した考え方のものが多いのですが、意思決定のプロセスを考える上で参考になればと思います。
キーワード:立法・政策のデザイン、市民参加、民主主義、ルールメイキング、ラディカル・マーケット、経済学
選挙の制度自体をデザインする
民主主義といわれて、「選挙」はもっとも思いつきやすい市民の役割ではないでしょうか。ですが実際、一人一票の多数決による選挙はどれほど民主的か?という問いもあります。
例えばアリストテレスは「一人一票は寡頭政治を招き、力のある個人が大衆に不当な影響を与える状態になる」としています。そうならないよう、アテネでは執政官を市民からランダムに選び出すシンプルな仕組みが用いられていました。これは現代のポピュリズム的な問題を言い当てているようにも思えますし、既存の選挙制度が唯一の道ではないことがわかると思います。
また、一人一票の多数決では少数者の深い困りごとはどのように処理されるのか?などというところが個人的にも疑問に感じているところでした。結局、ニーズが多いところにサービスを提供していく、資本主義と変わらないんじゃないか??と思うこともあり、意思決定のプロセスを設計する事例を調べようと思いました。
■ ボルダルール
まず、一人一票の多数決に対する修正案として「ボルダルール」という考え方があります。既存の選挙制度は一人一票が原則になっていますが、ボルダルールは一人一票ではなく、「1位に3点、2位に2点、3位に1点」のように配点する形の投票システムです。
一人一票では多くの人に2番目に支持される人が当選しづらいですが、このシステムを採用することで、特定のセグメントに強く支持される人よりも、「より広く支持される候補者」を選出することが可能になります。
一人一票の選挙制度は、一人の「推し」を表すことに適していますが、実際は下記の図のようにもっと複雑な感情があるのではないでしょうか。
つまりは相対的に一人の「推し」を決めているということです。一人一票の場合、その政治家をいいなと思っていても、2位以下は切り捨てられてしまうのです。
そんなときにボルダルールを適応すると、例えばこんな風に複雑な感情を投票に反映することができます。
2000年の米国の大統領選は、当初の世論調査では民主党の候補ゴアが共和党のブッシュに勝っていたが、途中で泡沫候補のネーダーが立候補を表明。最終的に支持層が重なるゴアの票を食い、ブッシュが漁夫の利を得て当選するということがありました。
つまり、支持層がかぶる候補者同士の票の食い合いがなければ異なる結果になった可能性があったということです。一人一票の多数決では、票の割れに弱いという課題があり、その点でもボルダルールは有効とされています。
このルールはスロヴェニアの少数民族代表選挙で採用されています。強く支持される人よりも、多くの人に支持される人を、という考え方はより民主的に近いという考え方もできるのではないでしょうか。
ちなみにキリバスで実践された際はボルダルールに合わせて、似た価値観の候補をたくさん擁立して選挙結果を操作する政党も現れてしまったようです(クローン問題)。別途このようなルールハッキングへの対策は必要そうです。
■ Ranked Choice Voting
アメリカの地方自治体ではボルダルールに近い仕組みが、採用されています。Ranked Choice Votingでは、有権者は1人だけに投票するのではなく、最大5人の候補者をランク付けします。
このシステムはサンフランシスコ、ミネアポリス、ケンブリッジを含む全国の18の都市で使用または承認されており、昨年ニューヨークでも可決されました。
POLITICOの記事によると、賛成意見としては、ネガティブキャンペーンが減ること、より広い層の有権者に支持される候補者が勝つこと、かつ支持層の狭い候補者に安心して投票できること、1回で決まらなかった場合にもう一度選挙をするコストが削減できることも挙げられています。
一方で、票のカウントに時間がかかること、有権者の間で混乱が起こることから反対をしている人もいるようですが、フォーダム大学の准政治学教授であるクリスティーナグリア氏は下記のような見解を持っています。
Ranked Choice Votingは政治プロセスをより強固にします。政治家は特定の自治区や特定の選挙区だけを宣伝するのではなく、手を差し伸べる相手を多様化しなければなりません。有権者の混乱について懸念が出ていますが、結局のところ、それほど複雑ではありません。投票率を高める可能性もあると思います。
Ranked Choice Votingの導入前後で投票率はどのように変わったのか?というところも今後リサーチして追記できればと思います。
■ くじ引き民主主義(ロトクラシー)
配点の仕組みではなく、そもそも「議員をくじ引きで決める」ことで民主主義が機能するのではないか?という考え方もあります。(突拍子もないように思いますが、冒頭でも触れたように、民主主義の起源である古代アテネでは、議員は「くじ引き」で選ばれています)
この「ロトクラシー(Lottery+Democracyの造語)」とも呼ばれる考え方は、効用としては以下のような点が大きいと思います。
・候補者の出身、特定の利害関係の影響、人脈と切り離して議員を選ぶことができる
・誰もが議員になれることで政治家の社会的属性の偏りを均すことができる
・政治家が当選のための活動ではなく、政策づくりにフォーカスできる
・市民の主体性の醸成につながる
スイスではすでに、くじ引きの導入を目指す動きが起きています。市民団体「指名の世代」は、国民議会(下院)の議員選出方法にくじ引きを提案。ビール市では「パッセレル運動」が、市議会議員の半数をくじ引きで選ぶよう要求。連邦レベルでは、連邦裁判所裁判官をくじ引きで選ぶ案が提起されているようです。
彼らが提案する条件は以下のようなもので、ラディカルな提案とはいえ地に足のついた実行可能なプランになっているように感じます。
・国民議員は該当する選挙区、すなわち各州の選挙人名簿に登録された人全員の中から選ばれ、全200議席はこれまで通り、州の人口に応じて配分される
・経験の空白が生じないよう、全200議席を一度に決めるのではなく、年に50議席ずつくじを引く
・くじで選ばれた人は誰でも議席を拒否することができる。受諾した人には1年間の研修が義務付けられ、研修の間も任期中と同じ報酬が支払われる
・報酬は選挙で選ばれた議員と同等の額とする
くじで議員を選ぶなんてそんな無茶な、と思うかもしれませんが、誰もが選ばれる可能性があることは政治家の社会的属性を均すという意味でも大きな意味があるでしょう。例えば政治家のイメージには「男性、50歳代、大卒、高い地位を持つ人」といったものがあると思いますが、ロトクラシーはより広い社会的属性の国民を議員に置くことで、より多様なニーズを政策に反映できる可能性を持っています。
また、既存の政治活動はまず当選しなければならないので、まず政治家として票を獲得しにいくことが活動の大きなウエイトを占めることになります。市民の困りごとを解決することがゴールのはずなのに、当選するための活動に時間を多く割かないといけないという構造的な問題も存在します。くじ引きにより議員が決まるのであれば、こうした当選のための人脈作りに励む時間を政策づくりに充てられるので、より本質的な時間の使い方ができるでしょう。
そして個人的には、市民としての自覚を高める上でとても有効なのではないかと思います。公共を「みんなのもの」というならば、市民がサービスの受益者で、「お上」がサービスの提供者という図式だけではなく、自らが社会や政策を担うことができるという自己効力感が重要になってくるでしょう。しかし、政治に関わるのは選挙だけ、政策のこともよくわからない、という状態では社会を形づくることは難しいと思います。ロトクラシーはこうした市民としての自覚を促すという面でも私たちに問いを投げかけるような考え方ではないでしょうか。
実際にスイスの市民からはこのような声もあがっています。
「ロトクラシーより良い仕組みはないだろうね。くじ引きで選ばれた人物が研修を受けることにもなっているから。何が問題なのかを理解せず、そのために経済界で力を持つ者に操られてしまうような代表者が突然現れてしまったら何にもならない。(現在の政治は)ロビイストと巨大コンツェルンに支配されている。民主制のようにみえるが、カネがなければ選挙に勝てない」」
■ ランダムサンプル選挙
また、投票する有権者をランダムで抽出し、投票してもらうという考え方もあります。
現状の選挙では「自分の一票がもたらす影響力を感じない」というところが度々語られます。これに対して、スタンフォード大熟議民主主義センターのジェイムズ・フィシュキンは「ランダムに抽出した少数の有権者で投票を行うこと」を提案しています。一票の影響力を増し、より政策について熟考することを促せるのでは、提案しています。例えば、米国の3億人の人口であれば、10万人ほどの投票があれば統計的に信頼できる結果が得られるといいます。
選ばれた少人数の有権者に対しては、そのまま投票を行ってもらうのではなく、熟議のプロセスを踏んでもらいます。ある政策のメリット、もしくはある候補者の長所について専門家たちが討論するのを1~2日かけて聞いてもらう、といったようにです。
この考え方もロトクラシー同様に市民の主体性を育む方法として有効なように感じますし、少人数で選挙を行うので政治家の広報活動にかける予算も削減することが可能だと思います。
政策ベースで投票できる仕組み
さて、前半は選挙における設計についての考え方を2つ紹介しました。しかし、政治への参加は政治家を選ぶことだけではないですし、多くの人は政治家そのものに関心があるのではなく、「困りごと」に関心があるはずです。政策にアプローチする上での投票のデザインについても、いくつかの考え方があります。
■ Quadratic Voting(二次の投票)
昨年に邦訳版も出た『ラディカル・マーケット』でもボルダルールと通じる思想の投票システムが提案されています。
Quandratic Voting(以下QV)と呼ばれる仕組みでは、国民に投票する上での「ポイント」が配分される仕組みをとっています。具体的には下記のようなものです。
・国民一人一人に「ボイスクレジット」と呼ばれる予算が配分され、それを使って国民投票が行われ、議案の可否が決定される
・ここでは同じ議案に複数票を投じること(二次の投票)が可能で、そのために必要なクレジットは、1票なら1、2票なら4、3票なら9というように2乗で増加する。つまり、票を買うことができるという仕組みになっている
従来の多数決では一人一票なので、その政策に対する「想い」「困り具合の深さ」は反映されません。しかし、QVでは自分にとって一番大切な問題に対して、クレジットを多く払うことでより影響力を持てる設計になっています。さらに同時に購入数が多くなるほど値上がりすることで、アンバランスな形で特定の政策の影響力が強まってしまうことを防いでいます。
例えば同性のカップルなら、割り当てられた予算ををすべて同性婚を認める法律をつくることに投票することもできます。社会全体としての数は少なくても、より困りごとの度合いが深い政策がつくられるようになるので、マイノリティを救う上でも有効な考え方のように思えます。
■ Liquid Democracy
ヨーロッパ中心に提案されている合意形成の仕組みにLiquid Democracy(以下LD)というものがあります。この仕組みは2006年にスウェーデンで生まれたあたらしい政党「海賊党」が提唱したもので、過去にドイツやアイスランドで使用されています。
LDは、既存の民主主義国家で行われている間接民主制では、多様化する市民のニーズに答えられないことを問題点として提起して生まれました。間接民主制では、選ばれた政治家が任期中にほとんどの政策決定をしますが、LDでは常に政策ベースで議論が進みます。市民が法案を起草し、投票を行い合い法案の質の担保を行うことで、熟議に基づくあたらしい民主主義のあり方を提案しています。
主なルールは下記のようなものになります。
・第1フェイズでは、提案された草案はある一定の支持を集めなければならない(X人以上、参加者全体のX%など。アイスランド海賊党の運用では5%を基準として、次のステップに進んだ)
・第2フェイズでは、一定の支持を集めた草案は参加者全員の話し合いによって改訂されたり修正が加えられたりする
・第3フェイズでは草案はかたまり、参加者は自分の票をどのように使う、考える時間が与えられる
・第4フェーズではついに投票が行われる(この時、もし自分で決められない場合は、自分の票を自分が信用するひとに委任して代理で投票してもらうこともできる)
「提案→熟議→投票」また「改定→熟議→投票」と繰り返されるプロセスは、しっかりと市民自体が政策について向き合う必要性を伴います。その点で、LDが目指す形は民主主義のひとつの理想型のように感じます。ただし実用化するには、これだけの熟議が行えるだけの市民のリテラシーが必要なように感じました。
■ Citizens Initiative Review
Citizens Initiative Review(市民主導の審議、以下CIR)はCIRに登録するうち、ランダムで召集された24人の市民が「市民パネリスト」となり、政策のレビューを行う仕組みです。
CIRの実行プロセス(HEALTHY DEMOCRACYより)
政策の提案者が市民パネリストから質問を受け、それに対して第三者の専門家が質問に答えます。市民パネリストは提案、専門家の見解など全体を通して政策の価値や、付随するトレードオフについて熟考します。最後に賛成/反対の投票を行うのですが、その際に審議の理由をレポートにまとめ、州の有権者に公開されるといった流れになっています。
米国のオレゴン、マサチューセッツ、コロラド、カリフォルニア、アリゾナなどの州では、CIRが採用されています。前回の記事で触れたクラウドローや、Liquid Democracyも市民が政策について賛成/反対の意見を示すプロセスはありますが、デジタルでのプラットフォームを持たなくてもこのように実行されている例があるんですね。
CIRで優れているのは、パネリストになる前に政策を適切に評価したり、ファクトチェックを行えるようなトレーニングが施されることだと思います。市民参加、特に政策を審議するには政策リテラシーの醸成も行わなければ衆愚的な意思決定になってしまいます。24名の少人数からはじめるという点は、熟議に臨むに十分なトレーニングも施せる面でも優れていると思いました。
実際のCIRで市民パネリストとして参加した人は、以下のような感想を持っているようです。
とてもいい学習・成長機会になりました。人々がお互いを敵ではなく、仲間として見ることができるようになると思います。お互いの価値観のギャップを埋め、異なる価値観であっても手を差し伸べあうことで、希望をいだけましたし、思考も刺激されました。
投票権を持ったばかりで、CIRのようなプロセスを全く経験したことがありませんでした。CIRでは自分の見解や批判的思考のスキルを広げ、民主的なプロセスに関与することができました。市民に情報を提供することの重要性を教えてくれたし、投票用紙に記載されている情報以上のものを得ることの重要性を教えてくれた。経験が浅い私でも、自分の考えや意見が考慮され、評価されていると感じました。
おわりに
今回は意思決定プロセスにおける設計事例を見ていきました。民主主義の機能において市民性を高めて、より意志を反映しやすい仕組み作りを行うとなると途方もないスケールの作業ですし、実際に実行していくことは至難だと思います。一方で、既存の意思決定プロセスも全然完璧といえるものではなく、まだまだ創意工夫をする余地は多いというところは理解していただけたのではないでしょうか。
個人的にもテクノロジーが発達したいま、ボルダルールのような投票システムはオンライン投票の仕組みをつくってしまえば実装は難しくないように感じます。ランダムサンプル選挙やLiquid Democracyが目指す熟議も、少なくとも特定のコミュニティで実験するところはじめてみることはできるのではないかと思いました。Quadratic Votingは公共のなかで困っている人を包摂する手段として可能性があると感じたので、実際に運用される国や地域が出てくるとおもしろいなと思います。
日本の行政府にとっても、いきなり投票のシステムを変えるところまでいかなくても、市民の政治参加や熟議のきっかけとして、取り入れられそうなものが多いと思いました。
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Reference
・坂井豊貴『多数決を疑う - 社会的選択理論とは何か』
・B. Reilly「Social choice in the South Seas: Electoral innovation and the Borda count in the pacific island countries,」 International Political Science Review
・ダーヴィッド・ヴァン・レイブルック『選挙制を疑う』
・エリック・A・ポズナー, E・グレン・ワイル『ラディカル・マーケット』
更新情報
・2020/9/21 米国のRanked Choice Votingの事例を追加しました。登壇したイベント「参画する都市」でニューヨーク在住の古澤さんに教えてもらいました。