シンプルな答え
「生殺与奪の権を他人に握らせるな」
冨岡義勇は強くなれとキレる。
ひとつだけ、人間には強くならなくても与えられた権利がある。
「自ら死を選ぶことができる権利」
とてもセンシティブな話だ、死の選択肢を提示することは。
そこまで追い込まれてしまっているようである。
死の存在を自認して、死の選択肢を自認する。そうすることでしか、自分を鼓舞することができなくて、自分を保つことができないようである。末期も末期。
3月にポーカーをはじめた、かれこれ20万は負けているだろうか。分散をなめていると言われた、言われてもなおそれが治らない。
職業を変えようとしている、今の自分から逃げるように。積み重ねたことがないくせに。ただ逃げたいだけではないのか?
医者→ブロガー→教師→人事→管理者→作家→ポーカー→データサイエンティスト
何者かになろうとして、途中で難癖つけて、何者にもなれないでいる。
気丈に振る舞っているようで、もう限界なのかもしれない。
友人から言われた
「お前すぐ転職するように見えるよ」
自分のなかに拭いきれない揺蕩が、ここにきて顕在化し、正確なレッテルとして貼り付く。
ここまで自認すると、「どうせ新しいことやっても続かないのでは?」と過去の自分が呪ってくるみたいだ。
話は、戻る。
死を意識するしかないのだ。死を意識してなお、今の自分が変わらなければ、そして恐らく変わらないようにも思えるのだが、「その時」だろう。
遺書のような文章だが、こんなものを書く気はなかった笑。
データサイエンティストをして、創作をする、ポーカーが仕事の人になりたい。
答えばシンプルである。