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2023年を振り返る① ~ウクライナ戦争と次の100年~ 【インタラクティブな社会の創造】
「戦争」を考えるとき、日本人が思い出すのは太平洋戦争だろう。といっても多くの人々にとって、もはや戦争は、「身に刻まれた記憶」ではなく、「歴史から知る過去の事実」でしかない。
ウクライナ戦争はもう二年になる。一年を超える時間は、戦争の趨勢を変える。太平洋戦争で言えば開戦から半年経った「ミッドウェー海戦」にて日本は守勢へと回る。開戦から一年後には、本来戦争をやめるべきであったのだろう。
ウクライナではどうであろうか。9月のハルキウ反攻はほぼ開戦から半年である。今もなお太平洋戦争と同じように戦争は続いている。
では、この戦争はなぜ起きたのか?、戦争はいつ終わるのか?そして私が考える課題解決のためのインタラクティブな社会について、簡易的に記述し、問題発見、課題解決の一歩としたい。
なおウクライナ戦争やイスラエル情勢のような、「インタラクティブな社会」が課題解決したい争いは、この振り返りの後、精緻にまとめていきたい。
先に述べておくが、ロシアからの侵攻によるウクライナの悲惨な現状に深く哀悼の意を示したい。
0章 参考とした文献
先に、専門家でもない私が戦争を語る上で、参考にさせてもらった動画を2本ほど示させてもらう。ここで書いていることは多くを動画からの知見を得ている(合わせて3時間くらい)。普段のニュースや新聞などでここまで参考になる濃い情報は出てこない。
「ウクライナ」(2) 小泉悠・東京大学先端科学技術研究センター専任講師 2022.3.9
小泉悠さんの記者クラブでのこの会見は私がウクライナ戦争について、関心をもつ一つのきっかけであった。ワイドショーやニュースが「雑な」情報を流す中、専門家が自身の専門分野から、戦争について学術的バックグラウンドを持って語るというのをいままでみたことがなかった。
「ウクライナ」(21) 高橋杉雄・防衛研究所政策研究部防衛政策研究室長 2023.3.9
小泉さんが出ている動画の中で、彼と同じくらい説得力を感じたのが高橋さんであった。この動画の冒頭でも述べられているのであるが、実際に戦争について情報を得るときに、どういった形で情報を精査すべきなのか、彼は明確に定めていて、それはとても信頼性を感じた上、他の情報に接する時にも有用であると考えられる。
1章 戦争はなぜ起きたのか?
端的に結論から述べれば、戦争が起きた理由は次の一言につきる。
プーチンが率いるロシアが、米欧とは異なる旧来独自の勢力圏を、簡単に勝てると考えた戦争によって再構築しようとしたから。
戦争が起きた理由を分割すると大きく二つの要素から成り立っている。
①ロシアが米欧とは異なる旧来独自の勢力圏を築こうとしたこと
②ロシアが対ウクライナ戦争を簡単に勝てると考えていたこと
以降では、二面的に深く掘り下げていく。
①ロシアが米欧とは異なる旧来独自の勢力圏を築こうとしたこと
旧来独自の勢力圏と表現したが、イメージとして近いのはソ連だ。ではなぜ今、ソ連のような勢力圏を築こうとしたのか。それは、ソ連崩壊後、歴史の中で人が意図し、翻弄され、志向した中でプーチンを神輿としたロシアが歩み始めた道であると感じる。
ソ連の崩壊を旧KGBであるプーチンをはじめとして、ロシアにいる人々は衝撃的に感じた。
冷戦終了は、ただ終わっただけではなく東側が消えてなくなった
この指摘の通り、大国であったソ連は、自ら改革をしようとする最中に、エリツィン率いるロシア共和国をはじめとして、十数か国へと分裂してゆく。火薬はもうすでにそこに存在してた。
一つにまとまっていた連邦の中には、ウクライナという国家があった。国家の集合体である連邦は、形式上ではありながらもそこにすみ分けがあった。
(プーチンの論文を解釈すれば) ウクライナは行政区の一つで、手違いで独立してしまったのだ
後述するプーチン論文において、小泉さんは彼の論文をこう解釈した。崩壊の最中、ウクライナに帰属したクリミアをはじめとして、この感触は確かにあったのだろう。
崩壊後のロシアには、二つの道があった。
一つは、西側の民主主義市場経済にヨーロッパの一部として組み込まれる道。もう一つは、西側とは違う新しく勢力圏を築く道。
ロシアにおいて国内の混乱をおさめる中では、西側秩序に対抗することはできなかった。
当時のロシア国内に目を向けてみれば、天然ガスをはじめとした膨大な資源を保有していた。国内の混乱の中で、ロシアはヨーロッパの一部になるそぶりを見せることで、西側による資源開発の進展の補助を受けながら、G8のメンバーになるまでになる。これが後のあやになると高橋さんは言う。
このとき、プーチンはこう考えたのだろう。
「今なら、ロシアを中心とした勢力圏を築けるのではないか?」
これが、ロシアのアイデンティティになると高橋さんは指摘する。
ロシアが新しい勢力圏を築こうとする中では、中国の台頭も大きな補助線であったと高橋さんは言う。中国が台頭し、ロシアが中国と協調することで、米欧に対抗できるのではないか。(バンドワゴン) また直近に目を向けてみれば、中国を念頭に置いたバイデン政権の戦略は、ウクライナにさけるリソースの低下をもたらした。
資源開発の進展による内政の復活、中国という協調できそうな外的要因これらの「あや」により、新しい勢力圏を築こうとするロシアは、クリミア危機、そして本題のウクライナ戦争へと進んでいく。
では、ソ連崩壊後のウクライナはどうであったであろうか。分かりやすく言えば、ロシアとヨーロッパの間でさまよっていた。象徴的なのがヤヌコヴィッチ政権をめぐる、オレンジ革命とユーロマイダン革命だろう。
オレンジ革命は、2004年ウクライナ大統領選挙の結果に対しての抗議運動と、それに関する政治運動などの一連の事件。EUに加盟するべきと主張する西部勢力の、親ロシア派ヤヌコヴィッチ政権の選挙不正の主張は、一時、政権を退陣にまで追い込む。しかし、それによりできたユシチェンコ政権も内部闘争で自壊していき、ヤヌコヴィッチ政権へと戻る。
このようにEUとロシアの狭間で揺れていたウクライナは、2014年ユーロマイダン革命へと突入していく。土壇場でEUへの参加を取りやめたヤヌコヴィッチ政権への革命は、ヤヌコヴィッチの亡命と親ヨーロッパ政権の樹立、そしてクリミア危機をもたらした。
ここで、ウクライナは転機を迎える。それは、クリミアの喪失と、ドンバスの分離。二つの地域には、多くの親ロシア派住民がいて、その数は数百万にものぼる。言ってしまえば、ロシア派とヨーロッパ派のいたウクライナから、ロシア派がごっそり抜かれてしまったのだ。
このことは、ロシアが新しい勢力圏を作るというアイデンティティの形成の裏側として、ウクライナはヨーロッパの一部であるというアイデンティティの形成につながったと指摘される。
結果、勢力圏への志向が異なるロシアとウクライナは対立が不可避になっていった。
では、その対立の中で、ロシアはなぜ開戦にいたったのであろうか?
②ロシアが対ウクライナ戦争を簡単に勝てると考えていたこと
開戦の意思決定において、侵攻開始当初、盛んに議論されていたのが「プーチンは合理的な判断ができなくなっているのではないか?」ということであった。この点高橋さんは、判断材料としての情報が政治によってゆがめられたと指摘する。
つまり、彼によれば、プーチンは戦争をするつもりであった。ただその上では、ロシアが侵攻する文脈でウクライナがどれだけ強靭な国家であるか調べる必要があった。そこで情報部門に調査を依頼した。
主体としての情報部門は、プーチンが戦争をするつもりであることを依頼から察知した。そこで、政策サイドつまり、大統領が喜ぶ情報(=ウクライナがそこまで強靭でなく、ロシアが攻め込めば内通者が続出するなど)が出された。いわゆる忖度。
その結果、プーチンをはじめとした意思決定者には、戦争に簡単に勝てるという結論が出され、戦争に至った。これが、侵攻を決断したあらましであり、新しい勢力圏を作るという目的の上で、戦争に簡単に勝てるという前提があれば、それを行うことは決して非合理的な判断ではないという。
ここで思い起こすのが先述したプーチン論文である。小泉さんによればプーチンは長い論文をキャリアの節目で書いてきたという。例えば、2012年のプログラム論文は大統領復帰の選挙キャンペーン中に書かれ、そこからの任期で行う未来のことが書かれていた。
一方、2021年7月に出された論文はキャリアの節目でもなければ、未来について語るものでもなかったという。
論文の中身はこうだ。
ロシア人とウクライナ人は本来歴史的に不可分である。しかしながら、行政区の一つであったウクライナが手違いで独立してしまった。そして今そのウクライナの政権を見れば、富を西側に流し、アメリカの軍事顧問団を受け入れるなど西側の手先になっていて、主権が不安定化させられている。ウクライナが主権を取り戻すには、ロシアとのパートナーシップによってしかないのだ。
小泉さんは過去にプーチンが主権国家を非同盟の核保有国であると定義したことを持ち出し、論文を次のように解釈した。
ウクライナが主権を取り戻すにはロシアとのパートナーシップ・・・というのは、つまり、ロシアと一体だということを受け入れろ、そうすればロシアの一部として主権を発揮できる
このプーチン論文は結果として、侵攻を示唆していた。理念の共有をしていた。ビジョンに向かって協力できることは、権威主義体制の強みであり、ビジョンによって現実をゆがめてしまうのは権威主義体制の弱みである。
プーチンのロシアは、対ウクライナ戦争を簡単に勝てると考えていたのである。
2章 戦争はいつ終わるのか?
文学的な導入も考えたが、やはり結論から述べよう。
長期化して、しばらくは終わらない
しかし、三年目を迎えるにあたって、停戦となる可能性がある。
理由は大きく3つあり、ロシアがウクライナを回収しようとしていること、ウクライナが停戦による妥協をできないこと、そして戦力が拮抗していることだ。
2-1 ロシアがウクライナを回収しようとしていること
前章で見てきた通り、ロシアのパワー増大のためウクライナを回収しようとしている。この点で、ロシアにおいては戦争継続のインセンティブがある。
2-2 ウクライナが停戦による妥協をできないこと
問題はこちらである。この点中立的ではないのだが、ウクライナの戦争継続に関しては支持していることを先に言っておく。
戦争初期、よく言われた言説があった。
ゼレンスキー政権は早期に降伏すべきだ
これは、ウクライナ国内で戦争が起きていて、軍の人的被害のみならず国内へのミサイル攻撃によって民間人被害がでているのだから、その被害を減らすために、抵抗をやめろという論理に基づいている。
この論理には一つ抜けている点がある。
それは、降伏して占領された際に、どんな被害が起きるか想定されてないことである。戦争が終われば、人的被害が止まるわけではないのである。端的な例がブチャの虐殺だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%81%E3%83%A3%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA
ブチャの虐殺(ブチャのぎゃくさつ、ウクライナ語: Бучанська різанина、英語: Bucha massacre)は、2022年ロシアのウクライナ侵攻初期の同年3月、ウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊にあるブチャとその周辺区域で、ロシア連邦軍が民間人に対して行なったとされる大量虐殺。ウクライナの検察当局によれば、ブチャを含むキーウ近郊の複数の地域で410人の犠牲者が発見された[1][2]。ウクライナのほか各国や国際機関は戦争犯罪として非難しているが、ロシア連邦政府は関与を否定している[3]。
占領されたブチャにおける虐殺は、ロシア軍の占領統治を象徴している。人々をロシアに協力的である者と、そうでない者、それ以外の者などに選別し、統治する目的に対して合理的に処置していったのがあの結果だ。
仮にあの占領統治がウクライナ全土で行われた場合、3万人の町で400人前後、つまり100人に一人が殺された計算であれば(実際にはもっと多いのだろうが)、ウクライナ4000万人のうち少なくとも40万が同じような目にあうことは容易に想定できる。
そして、占領統治下では未来に渡って同じような人の命の選別が行われる。ロシアがゼレンスキー政権を初期にプロパガンダとして揶揄したナチスのように。ウクライナが妥協できないのはこの点によるところが大きい。
2-3 戦力が拮抗している中、戦争の終結があるとすれば
戦争終結について高橋さんはこう言う。
戦争が終わる出来事は戦場では起こらない
これはロシア、ウクライナ双方の戦力が拮抗している中での指摘である。この点については補足-戦闘の推移-で言及したい。
つまり、ロシアでの政変など、ロシアによるウクライナ全土占領、ウクライナによる全土奪回以外の終結しかないというのである。
ここに一点付け加えておきたい。そして、その結末は第三次世界大戦による人類滅亡まで想定されるということである。補足の中で言及するが、この可能性は約2年の戦闘の中から低いと想定される。しかしながら、結末の重大さから常に念頭におくべきシナリオであるとは考える。
また3年目になるにあたって、停戦となる可能性はある。アメリカ大統領選におけるトランプの優勢、中東情勢の悪化、これらによるNATOの停戦圧力の増大。ウクライナの意志を尊重すべきであると考えるが、こういった外圧から3年目の停戦は予期されうるものである。
3章 戦争を回避、あるいは管理するためのインタラクティブな社会~次の100年に向けて~
私が提唱するインタラクティブな社会とは、下記によって定められる概念である。
国家という枠組みをある程度解体した上で、個々人が相互作用を持ちながら(インタラクティブに)、力をコントロールする社会。そして、この社会に対する考え方も、人とインタラクティブに変化する社会
2章までで見えてくるのは、ナショナリズムに支えられる国家が、他国への侵略を内在的衝動としてもっているというものであった。それは民主主義体制であるから防げるものではない。
一方で、このインタラクティブな社会は民主主義的な土壌からしか派生しない。本質は、対話であり、人々の生活から感じられる実感が直に力として形成されていくことからしか、インタラクティブな社会は成立しえない。
この意味において、民主主義の次の社会構造としてこういったものが想定される。その上でこの生まれたての概念は、次のような危うさを回避しなければならない。
①共産主義思想の失敗
②権威主義国家、あるいは場合によっては西側民主主義国家からの敵視
③ポピュリズムな社会からの抵抗
4章 おわりに~次の100年に向けて~
ウクライナ戦争から学ぶべきことは、世界のある地域に必要悪としての戦争を押し付けないことである。それは、地球に住む人類が戦争を自分のこととして自覚し、対処しようとすることである。
恐らくこのインタラクティブな社会は、私の寿命では達成されない。そして、次の100年でやっと目がでるかどうかといったところである。
次の100年への視座として、2023のウクライナ戦争を振り返ることができてよかったと感じている。
最後に重ねてになるが、ウクライナの悲惨な現状に深く哀悼の意を示したい。
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2023.12.07 四宮しあん