想像力の「ムダ使い」をやめること
この世で最も怖ろしいものはなんだと思いますか。
逆に、最も美しいものはなんでしょうか。
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若いころ、心の中を常にモヤモヤとした不安が支配していました。
その理由がわからずずっと苦しみ続けていましたが、原因を考えていくと、仕事のこと、将来のことや、他人にどう思われているかについて、色々と悪い想像をして苦しんでいるためだと気づきました。
それから、私は意味のない悪い想像をしないように意識を変えました。
考えても答えがでないことを悩んで自分を苦しませるのがバカらしくなり、どんなこともポジティブに考えた方がずっと得だと考えたのです。
つまり、「想像力のムダ使い」をやめるようにしたのです。
多くの人が、同じように仕事や将来や他人について想像することで、不安に襲われることがあるのではないかと思います。
「案ずるより産むがやすし」というコトワザがあるように、実際にやってみると想像よりも簡単な場合がほとんどだったりします。
仕事のトラブルで悩んで「仕事に行きたくないなぁ…」と悩むときも、覚悟を決めて実際にやってしまえば案外大したことはなかった、なんて経験もあるのではないでしょうか。
話す前はとても怖い人だと思っていたけど、実際に話してみるとよい人だった、なんてこともよくあることです。
私たちは想像するからこそ苦しめられることがあります。
想像力は危険を未然に回避するために備わった、優れた機能なハズです。
しかし、その優れた機能により人間が苦しめられるとなるのは、なんとも皮肉な話です。
「人に備わった優れた機能が逆に人を苦しめる」
そんな話を本で読んだことがあります。
想像力の話ではありませんが、人間のもつ免疫システムの暴走の話です。
本の内容についてカンタンに紹介します。
人間は、その長い歴史のほとんどをあまり清潔とは言えない環境の中で生きてきました。
つまり、腸内に多くの寄生虫や細菌を住まわせ、それに適応するように進化してきたのです。
しかし、人類は歴史からみるとあまりに短い時間で発展をし、都市は清潔になり寄生虫も駆逐されました。
それは良いことでもありますが、人間の免疫システムがまだその清潔な世界に対応できていない、つまり「すでにいなくなった寄生虫を今も退治したがっている」状態にあるといいます。
寄生虫の駆逐されていく過程で発症率が上がってきたクローン病、炎症性腸疾患などの多くのアレルギー疾患は、人の免疫システムが消化器官を攻撃すること原因とされています。
そしてその治療法の一つとして、あえて寄生虫を体に取り込むことでアレルギー疾患の症状を抑えることができるといいます。
なかなか面白い内容の本でしたので、リンクを貼っておきます。↓
想像力も免疫システムと同じように、「ありもしない恐怖」を勝手に生み出して暴走し、私たちを苦しめているのかもしれません。
ただ、幸いにも人の免疫システムの暴走を止めるときと同じように寄生虫を体に取り込む必要はありません。
私たちは意識をすれば、その想像力の使い方を選択できるからです。
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冒頭の話に戻りますが、
最も怖ろしいものはなんでしょうか。
今までの話から分かるとおり、最も怖ろしいものは想像力だと思います。
仕事や将来や他人の気持ちを想像し、それによる恐怖に私たちは苦しめられます。
映画を例に出すと、世界で高い評価を受けている映画「リング」などに代表されるジャパニーズホラーですが、なぜ怖いかというと音や演出などにより「想像力」を掻き立てられるからです。
ゾンビやジェイソンなどの視覚的に分かりやすいホラーと違い、ほとんどのジャパニーズホラーでは恐怖の対象がハッキリとはみえません。
だからこそ見ている人はその姿を想像するしかなく、想像の中の化け物はハッキリと映し出されるものよりも恐ろしいのです。
それでは、
最も美しいものはなんでしょうか。
それもやはり、想像力だと言えます。
世界でもっとも美しいと言われる彫刻の中に、「ミロのヴィーナス」と「サモトラケのニケ」があります。
二つの彫刻に共通していることは腕が欠損していることです。
「こんなに美しい彫刻なのに、腕がなくなっているなんてもったいない。腕がある完全な状態ならどんなに美しいだろう…」
と思われるかもしれません。
しかし、これらの彫刻は「腕がなくても美しい」のではなく、「腕がないからこそ美しい」のです。
なぜなら、私たちがこの像をみて想像する美しい腕を、現実の彫刻が上回ることは困難だからです。
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私たちの想像力は、ただ恐ろしいものを作り出すだけでなく、とても美しいものを生み出すことができます。
だからこそ、想像力を「ありもしない恐怖」を生み出すことに費やすのはムダ使いでしかなく、その力を美しいものや楽しいものを想像することに費やしたほうが、ずっと良い人生につながると思います。
仕事や生活の中で、悪いケースを想定してその対策を考えておくことは大切なことですが、その想定の範囲をむやみに広げる必要はないのです。
「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」
という有名な言葉があるように、私たちはその想像力の方向を場面に応じて適切に使い分けることで、想像力のムダ遣いをなくせるのかもしれませんね。