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霜花——漂泊と残紅 4

 僕ひとりのための暖房を消して教室を出ると、廊下は紫と黝の陰に呑まれていた。学校の蛍光灯の殆どは十七時に自動で消されるから、僕が歩いても蛍光灯は黙っていた。窓辺は、外のほうが明るいというだけで内に光が侵入するのを許した。  暖かさのために重くなった目許を冷えた空気が一瞬、擦過した。  「……惨めだ」  内臓から発する悪寒に身顫いした躰の、その肉躰のほうは精神に引き摺られているように観じた。そして、それを誰れかに見られて「大丈夫?大変だね」と言ってほしかった。  エレベーターホ

    • 霜花——漂泊と残紅 3

       黒板にある文字を写す。指定された場所に時間通り行く。駄目と言われたことはしない——それらひとつひとつを片付けていけば、何を考えずとも真面目な子になれた。僕は頭が良いとか、成績が佳いというわけではない。ただ、敷かれたレールからの逸れ方がわからなかっただけだった。  「なぁ、本当に大学には行かないのか?」 「あ、その、なんかよくわからなくて」  朝のホームルームの終わりしな担任に声をかけられた。年相応の肥り方をした先生は、毛玉の多く実った*、慣れたセーターの、袖口についた白墨

      • 霜花——漂泊と残紅 2

         教室のドアを辷らせたら*、モーターのつくる暖房の匂いがどっと重く流れ出た。机に座って駄弁る*女子たちが僕をチラと見てすぐにまた話し始める。結露した白い窓の、指で書かれた「みな♡」を半目で見て、自分の指先の赤らんだのを互いの手でさすった。  冬の空気のせいで顔は蒼白く見えるが、しかし心は朝が最も丈夫だ。時間が過ぎてゆくにつれて他人が蓄積されていく。孤独や個性は色眼鏡で見られて、故にいろんな憶測が陰で生まれる。それが形となって知らない僕を造る——宅*に帰るころには僕の心は赤黒い

        • 霜花——漂泊と残紅 1

           目蓋のうえに強い光を感じて立ち止まる。今夜は満月だったっけ。叢雲に暈*を落としてただ浮かぶ皓い*月は、私の、きっと心といわれるところをぎゅっと締めつけて微細に顫わせる*。自然に口許が弛んで、そのまま体が蕩けて*、溶解してしまいそう。精神は、私の身体の形容*のまま青い半透明になって、私からぬらりと離れて、宙*を遊び歩いていく。  かくんと、首を折って頭を空に挙げた。しかし、それは月じゃなかった。ただの街灯の明かりだった。にわかに私は情けない顔をして、嘘の光のなかに肩を落とした