"落書き"を侮るなかれ

X(旧Twitter)を眺めていると、他人の描いた絵が流れてくることがある。絵を描く人達は「絵師」と呼ばれており、その人たちによってXには数え切れないほどの絵の投稿がなされている。その中でも、卓越した技能をもつ人は「神絵師」と呼ばれ、X民の崇拝の対象にさえなっている(個人の見解です)。

かくいう私も、XやPixivにて絵を投稿している。最近では、つい先日アニメ化され、金曜ロードショーにて初回2時間SPが放送された「葬送のフリーレン」の主人公フリーレンを描いた。

筆者の拙作。『葬送のフリーレン』よりフリーレン。

絵――特に、既存の作品に登場するキャラ(いわゆる「版権絵」)を描いてアップすると、大抵何人かのユーザーに見てもらえて、いいねをもらえる。これが有難いことに、私の承認欲求をもりもり満たしてくれるのだ。いいねをくださる皆様、そしてこの記事を見てくださってる皆様、本当にありがとうございます。

さて、このまま人間の承認欲求について語っても良いのだが、残念ながらこれは記事の本題ではない。本題は、先述した「神絵師」などが時々投稿する「落書き」というものについてだ。


「落書き」(rkgkと表記されることもある)。インターネットにおいて、本気ではなく遊びや息抜きとしてささっと描いた絵のことを指すスラングである。それに対して、本気で描いた絵は「本気絵」などと呼ばれる。

多くの絵師は、時間をかけて本気絵を仕上げる中、息抜きとして落書きをすることも多い。しかし、神絵師が投稿するような落書きは、もはや落書きの域を超えている。単純に言えば、完成度が高すぎるのだ。

「私の本気絵は、神絵師にとっての落書きにさえ及ばないのか…」と絶望する。「ちくしょう、私はなんて絵が下手なんだ」と嘆きたくなるが、少し落ち着いて考えてみれば、神絵師の落書きが上手いなんて当たり前のことであることに気づく。

有名な話に、ピカソの30秒というものがある。

ある婦人に絵を依頼されたピカソは、30秒ほどで絵を描き上げ、「この絵は100万ドルです」と言う。婦人は「たった30秒で描かれた絵に100万ドルは高すぎる」と言うが、ピカソは「30秒ではない。私はこれまで30年の研鑽を積んできたのだから、これは30年と30秒で描いた絵だ」と返したという。

少しネットで調べてみると、どうやらこの話はネットのどこからが広まったデマらしいが、この手の話は実際に沢山のクリエイターが経験することのよう。

当たり前だ。日々の鍛錬の成果が、落書きという息抜きにまで出てるに過ぎないのだ。それは才能とかではない。

それに、落書きにだって技術はある。いかに短時間で綺麗に見える絵をかけるかというのは、「本気絵」とはまだ違った技術が必要になってくる。

寧ろ、落書きにこそ、神絵師の技術力がわかりやすく表れているのではないかと、私は思う。本気絵の結晶よりも、落書きの欠片の方が、実力を見やすいものがあるのではないか、と。

落書きにこそ、絵の真髄が隠れているのかもしれない。

落書きを、侮るなかれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?