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旅行写真 小樽芸術村ステンドグラス美術館
2024年6月上旬撮影。
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木枠もオリジナルのもの
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右奥に「最後の晩餐」
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壁と手前のガラスケースに分けて展示されている
キリストは左下に逆さに映りこんでいる
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リボンの文字は Worthy is the Lamb that was slain.
殺された子羊は価値ある子羊
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これが見たかった。
いろんな角度から撮った。どこから見ても美しい。
左下の角に1914と1919の数字がある。
第一次世界大戦の戦勝記念に制作された作品だ。
この美術館のステンドグラスは、全て19世紀~20世紀初め頃のイギリス製。
本来ステンドグラスは建築の一部であり、教会に行かないと見られない。約140点ものヨーロッパアンティークのステンドグラスを、国内にいながらまとめて鑑賞できるなんて、大変有難い。
けれど、イギリスの戦勝記念なのに…犠牲者への追悼の意味もあっただろうに…本国で必要とされなくなりはるばる日本へやってきたのか…と思うと少し切なくもある。
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平日かつ開館直後にも関わらず、来館者が意外と多かった。撮り逃しのないように、後で見返したときにどれが何だかわかるように、ほかの人が写り込まないように、作品と解説文を写真に収めるのに必死になっていた。
鑑賞がおろそかになってしまった作品の存在に、帰ってから気付いた。
上の画像、左2枚、中2枚、右2枚がそれぞれ対になっているのに、6枚一緒に撮ってしまっている。
右から3番目。
装飾のない長方形の画面に、複数の人物がぎゅぎゅっと密集している。
気になる。拡大してみたい。
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剣と赤い盾を持っているのはリチャード1世。その奥に、軍服を着たイギリス陸軍兵士が描かれている。ヘルメットが3人、制帽が2人。右上にはナースが2人と、ラクダが2頭。
ガイド本の解説によると、ラクダが描かれている事から、中東戦線に赴く人たちの無事を祈願した作品ではとのこと。左上にちらりと見える赤や青はフランスとイギリスの国旗の一部だろうか。
中東を示唆するものはラクダだけではなさそう。
よく見ると、3人が被っているのは、西部戦線の塹壕兵が使った金属製ヘルメットとは異なる。側面に布が巻かれているのが見える。pith hat等と呼ばれる日よけのヘルメット帽は、中東など暑い地域で活動する際の装備だ。
20世紀の軍服を描いたステンドグラスなんて初めて見た。
こんな面白い一品に気付けなかったとは悔しい限り……。
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一通り見たつもりでも見逃してしまう事はある。満足に鑑賞できたとしても、記憶は時間が経てば曖昧になっていく。
写真に残せば、何度も見返すことで、記憶を反芻できる。あとから気付く事もある。自在に拡大して細部を検分することができるのはデジタル写真ならでは。
一方で、たとえ記憶に残らなくても、その場で知覚し感じることで自分の中に蓄積してゆくものがあるのだとすれば。
多少撮り零しても、カメラ越しでなく自分の目で見ることを優先したほうが良い気もする。
悩ましいところ。