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緑とまちの距離感【暮らしたい未来のまち】

私のふるさとは、とっても田舎で。
「街」と呼ばれる繁華街に出るには、バスを乗り継いで往復で1200円くらいかかった。

家から最寄りのバス停までは徒歩5分位だったけど、最寄りのバス停は街とは反対方向への行き先しかなかったから、よく使っていたのは家から徒歩15分くらいのバス停。

公共交通機関はバスだけで、そのバスも昼頃は1時間に2本くらいあったけど、夕方近くになると1〜2時間に1本くらいになっていた。

しかもその数少ないバスも普通に遅れるし、何故か来ないこともあった。

高校生の頃、家からバスに乗ってバイトに行くとき、バスが来るはずの時間に来なくて、全然来なくて、泣きそうになりながら母親に電話したことが2回くらいある。


田舎だから不便なことは多かった。

家の前には蓮池があって、夏はウシガエルがよく鳴いた。
モーモーモーモー
よく鳴いた。

山の田舎だったからカーブの多い坂道に囲まれていて、走り屋が疾走する音も鳴り響いていた。

そういう音を聴きながらぐっすりと眠った。

夕日や星はキレイで、夏の夕方学校からの帰り道、私を囲む360度山の景色を眺めながら、

きっと大人になったらこの景色を懐かしく思い出すんだなぁ

と、感傷に浸る自分に酔ったりして、のびのびと中二病にかかっていた。


地元を出てから千葉と札幌に住んだ。

札幌は大学時代と今現在。

千葉は新卒1年目の時。

就職したけど、色々重なり仕事を辞めた。
どうせならもう1度札幌に住みたくて、縁もゆかりも無い札幌に今、もう1度住んでいる。

すごく不便な田舎と、すごく便利な都会と、その間のような都市に住んでみたけど、私は田舎と都会の間のような都市が好きだった。


札幌は山と街が近い。とても近いと思う。
街中から山が見える都市ってあまり無いんじゃないかと思う。(いや、よく知らないんだけど…)

だから山育ちの私は落ち着くのかもしれない。


まちは、もっと小さくなったらいい。

街が小さくなって、緑と街が近くなればいい。

そしてバスは遅れてもいいから必ず来てほしい。


緑に食い込むように、侵食するように街ができて、たまに見かける近未来的都市イメージは街に食い込むように緑が入り込んでいる。


わたしの夢のまちは、街と緑が隣り合っていて、それぞれを尊重できるまち。


人口減少に伴って、もしかしたら自然に段々と街と緑が隣り合うまちになっていくのかもしれない。

でもその過程で、人が減っていく田舎で不便な思いをする人が生まれてほしくない。


その都度新しい公共交通機関的サービスが、形を変えて人に寄り添うように生まれてくれたら。

バスが来ないと泣いて親に電話をする若者がいなくなるかもしれない。

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