物心ついた頃から、周りから「肌白いね」と言われてきた。
初対面の人はしばらく話したらほぼ必ずこう言ってくるし、長い付き合いの人もふとした瞬間「やっぱ白いな」と言う。23年間生きてきて、本当に数え切れないほど言われた気がする。
否定するつもりはない。鏡で自分の身体を見ると確かに白いなと思う。ただ、肌の白さが影響しているのか、最近は「肌綺麗だね!」という人まで出てきた。この言葉を聞くと複雑な気持ちになる。だって綺麗ではないから。吹き出物もあればシミもある。褒められて嬉しい一方、「ちゃんと見てほしいな」と思う自分もいる。
さて、友人各位含む全国の女性に聞かれてないけどお伝えします。
白さを保つ秘訣は一切ございません。僕は何もしていません。日焼け止めは年に数えるほどしか塗りません。そもそも肌を焼きたくないみたいなこと考えてないから。日焼けしたらしたで気にしないです。ヒリヒリすんのは嫌だけど。そして気がついたら色は元どおりに。
そう、この肌は生まれつきなのです。
生まれつきって面倒だなと考えたことのある人はいないだろうか。
先天的に与えられたものは自分にとってのスタンダードだ。だから誰かにそれを褒められても誇りに思うことはあまり無い。例えばの話だが、僕の顔を見て「かっこいいですね」と言ってくれる人がいるとする。僕はきっとその人にありがとうございますと言う。でもそれだけだ。
逆に、生まれつきをけなされると傷つくし悩む。誰かに「ブサイクだな」と言われる。僕はきっと「なんでこんな顔に生まれちまったんだ」としばらく落ち込むだろう。
しかも悩むのは誰かにけなされた時に限らない。時々自分で自分の体を見てここが嫌い、もうちょっとこうだったらと考えてしまうことだってある。
自分の心にもたらす利益は無いがリスクは大きい。そう思うと生まれつきは背負うには実に面倒で、だけど死ぬまでおろすことが出来ない荷物だ。しかも一番人の目につきやすい。
ありがたいことに、僕は生まれつきを馬鹿にされたことが少ない。多分ポジティブな評価をされたことそんなに無いが比較するとそっちの方が多いと思う。でも生まれつきを褒められても特別な感情を抱いたりはしない。なるほど、この人はこう思ってくれるのかと考える程度だ。
生まれつきは背負っている本人からすれば宝でもなんでもない。それを決めるのはあくまで外から見る人間だと思っている。たださっきも言ったように、生まれつきという荷物を粗大ゴミだ、おろしたいと考えるのは自分自身だ。生まれつきを自分で評価してもプラスに働かせるのは難しい。大抵はゼロかマイナスに落ち着く。なんと面倒な持ち物か。
たまにこの荷物を見て嬉しくなったり誇らしく思えれば、おろすまでの道のりも少しは楽しくなるのだろうか。そうなる日はまだまだ遠そうだ。皆さんは、どうだろう。