「視座」の上げ方が成人発達理論にわかりやすくまとまってた
成人発達理論というジャンルがある。ここ半年くらいハマって調べていた。ここ数年の自分の変遷にピタリと当てはまっていてずいぶんと面白かった。
この「発達段階」というものがいわゆる「視座」にかなり近い概念なのではないかと思い、今日は紹介してみる。スライドも作ったのでスライドが好きな人はコチラもどうぞ
視座ってなんやねん
尊敬する @soudai1025 や様々な先輩たちが「視座」という言葉をよく使う。
ずっといまいち意味がわからなかったのだが、成人発達理論を学んだ結果、「視座」という単語の意味が自然と理解できるようになった。
学んだ結果として得られた言葉の意味は「自身の価値観から離れ、より広い対象を主語にして見る俯瞰的な観点」という非常にメタなものであった。視座が上がるとは
✕ : 「見えるものが広がる」というシンプルな変化
◯: 不可逆な思考パラダイムの遷移
であり、「前の自分を失う」ような要素を含むのではないかと思う。抽象的すぎるので詳しく見ていこう。
成人発達理論とは
簡単にいえば「大人の発達を段階化して特徴をまとめた分野」だ。
ハワード・ガートナーいわく発達とは
だそうだ。つまり、発達とは自己中心的な考え方から他者の視点を通して現実を理解していくようになるプロセスを指す。
実は、子供だけでなく、大人になってからも発達が起きる。年々、自分のことだけでなく相手や周りのことが見えるようになったり、自分の判断を信じて前提を疑えるようになる。こういった成長を体系的にまとめた分野である。
発達段階とは
"成人発達理論"と一言にいってもいくつか流派がある。
なぜならほぼ似たようなコンセプトを思いつきそれを深めていった人たちが同時に勃興したからだ。黎明期あるある。
その1つの大家、ロバート・キーガンによるとその発達は5段階(層)に分かれるそうだ。一見ムズいので私になりに一度まとめると
といった感じ。それぞれ、なんでも利害で見ちゃう人、みんなに従っちゃう人、自分で決める人、いい感じにする人みたいなイメージだ。
なお、段階はグラデーションかつ領域によって段階が変わりうる(以降、重心)。例えば、友達とはL4で、会社ではL3-4を行き来することはありうる。全体を見通したときの重心が自分の主な段階と思えば良さそうである👌
自分の段階を見分けるには以下のような問いに答えていけばおぼろげに輪郭が見えてくる。
利害だけで考えないか?(L2)
周りの意見に同調して流されないか?(L3)
自分の意見だけを話して対立してないか?(L4)
自分と人の価値観の違いに気づき折り合えるか?(L4.5)
他者とシナジーを生めるか?(L5)
このように段階が上がるとドンドン内的な世界から外的な価値観との親和になっていく。ちなみに発達段階と人間的な価値は無関係である(ここ重要)。
発達段階の遷移
この発達段階の変遷において顕著なのは
今の価値観を知る👀
相対的して離れる。今の価値観の喪失💀
新しい価値観を発見・体現する🙋
過去の価値観を受け入れる🤝
という流れである。つまり「失うこと」から始まる一連のプロセスを踏む。
この「喪失」がきついフェーズである。人が離れたり、自分自身にある弱い負の部分に向き合っていくことになる。それは自己否定であったり、人間関係の見直しを余儀なくされる。時には孤立・孤独が訪れるし、その理由も自分には気づきづらい。また「向き合うこと」そのものにもエネルギーが居る。
それを乗り越え受け入れると、また新たな価値感に気づけて広がりができていく。そうやって発達段階が変遷していく。
遷移した先の世界では同じ世界が異なって見える
新たな価値観を手に入れ、発達段階が変わると、同じ世界であっても全く異なりを見せた世界に見えてくる。
同調的(L3)→自分の価値観(L4)に遷移した時は「自分で決めていいこと」が急増したように思える。一方で、決める怖さと向き合う必要があり、他者の価値観の違いに折り合いがつかず対立が増える。
自分の価値観(L4)→他者とのシナジー(L5)に遷移した時は「他者と自分の違いこそが強さ」だと気づく。他者と自分の価値観の違いにある折り合いやその違いによるシナジーを志向する。無益な対立を避ける一方で「自分は特別な存在ではなく数多ある中の1つ」と残酷な気づきを得る。
と、このように発達段階が上がることで「同じ環境、同じリソース」であったとしても見える世界が変わり、それぞれにトレードオフが存在する。
私における変遷
自分の話をする。こんな感じで内的な成長を段階分けしてみた時、以下のような変化だったように思う。
25-30歳: 同調(L3)→自分の価値観(L4)へ
30-31歳 : 自分の価値観(L4)→相対的な価値観(L4.5)へ
32歳(今): 他者とのシナジー(L5)へ遷移中
自分の経験から感じるに
同調(L3)→自分の価値観(L4)
の変化が一番不安だった。生まれてから得てきた周りの価値観の助けや補助輪を外し、自分の決定に自分で責任を負うことは恐怖だ。しかし慣れてくると自分で決めて動くほうが、人に従い続けるよりも楽なことに気づいてきた。
その直後から人と対立することが増えた。まるで上手くいかず、他の人の価値観を知りその中で折り合いを見つけ自分を変えるほうがうまくいくことに気づいた(L4→4.5)。
今は「自分の価値観を優先せず、シナジーを生める」に挑戦してみているところだ(4.5〜)。私が私のために動くのではなく、より広い対象(他者、会社、コミュニティ、社会)に奉仕していく。その中で生まれた余剰を自分の利益として少し貰う。
自分の考えに固執しないために「自分の意見が数ある中の1つ」というニュートラルなスタンスを取り続けることはすごく難しい。他の人が大切にしていることを精度高く見て、win-winを生み出す着地を見つけることもまた難しい。そうやってゆっくりと「私が私たちのために頑張る」という姿勢を作っていく必要がある。
まぁこれも向き合うしかないのだ。
まとめ
今回は成人発達理論の大まかな地図を描く試みをした。結果として「視座」といった漠然とした概念ではなく、階層化された発達段階という概念にマッピングした。
上記した通り、学んだ結果として見えるものが増えて、構造的に自分の状況が理解できるようになった。成人発達理論の知識は、私にとってはとても有益な知識だった。
成人発達理論の本は読書体力がそこそこ必要だが、比較的わかりやすい『人の器を測るとはどういうことなのか』を推す。また『人が成長するとはどういうことなのか』も続けて手に取ると面白いだろう。
では。