世界には二つの自然がある 国木田独歩がみた空知川の岸辺
空知川へ
滝川の東、赤平に流れるこの川を、明治28年の秋に訪れた青年がいた。
若き国木田独歩だ。
恋人との新天地を求めやってきた独歩は、北海道庁から空知川の辺りを勧められ、空知太駅に降り立った。
後に発表された「空知川の岸辺」は、この時のことを描いたものだ。
クリスチャンでもあった彼は、他の信者がそう望んだように、この地にユートピアを築こうとしたが、しかし、そこには北海道の圧倒的な原生林が立ちはだかった。
空知川の大自然に感嘆する一方で、開墾するには彼は病弱すぎた。12日間の夢は覚め、独歩は東京へ、現実へと戻っていった。
彼が武蔵野を「発見」したのは、その後のことだった。
二つの自然とのはざまで
北海道の時雨と対比させる形で、武蔵野のヒューマンスケールな自然を尊んだ。
独歩は、その後北海道へ2度と足を踏み入れることはなかった。代わりに、武蔵野を自らのフィールドに選び、日本近代文学の祖と評される自然主義文学者となった。何の因果だろうか。
独歩が訪れたその5年後に、僕の祖先は富良野に降り立った。彼らは、そこに残り、土地を耕した。ひいおじいちゃんは、近代人だったのだろうか。それ以前の土の人であったか。
炭鉱、『ドライブ・マイ・カー』、宮本常一の「さみしさ」
ここ赤平は炭鉱町として栄えたが、今は他の炭鉱町の例に漏れず、鄙びている。
映画『ドライブ・マイ・カー』のラストシーンはここで撮影された。圧倒的なさみしさに満ちた風景は、独歩がみたそれと重なるのだろうか。
独歩がみたであろう空知川の流れを眺める。原生林の面影は既にないけれど、東京からきた25歳の青年がみた風景を想像してみる。
ふと、映画『Into the Wild』で主人公が絶望したユーコン川を思い出す。彼もまた、社会と離れ孤独なユートピアを目指しカナダの原野に入ったが、冷徹な荒野と毒ジャガイモに打ちのめされたのだった。
自然とは、理想やユートピアではなく、ただ自然である。
「自然はさみしい。しかし、人の手が加わるとあたたかくなる。そのあたたかなものを求めて歩いてみよう」と、宮本常一は原生林ではなく、里山を歩き続けた。
空知川と武蔵野。二つの自然をどう向きうべきか、もう少し歩いてみよう。
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