蚕が東京タワーに繭をつくる日
武蔵野にも養蚕の歴史はたくさんある。
埼玉西部の飯能は、平地が少ないかわりに桑畑を植え、養蚕を盛んに行っていた土地だし、平地であっても養蚕は至る所で営まれていた。
国道16号線は、飯能をはじめ、"養蚕の村"羽村、"桑都"八王子、"絹商人の街"町田を通り、貿易港の横浜までをつなぐ「絹の道」だった。町田には、その道を偲ぶ石碑が繁華街のど真ん中にある。
「日本は絹で戦艦を買った」と言われるほど、日本の近代化を支えた養蚕業。明治政府の国策に乗った絹輸出により、貧困に苦しむ田舎の農家は救われ、「お蚕さま」として信仰の対象とすらなった。埼玉にも「オシラサマ」と同様な「オキヌサマ」と言う習俗もあったと記録に残ってる。
世界恐慌と世界大戦によって一気に産業としては下火になったものの、この日本を救った「お蚕さま」の記憶は、戦後の日本人の心にも深く残っているのかも知れない。
唐突だけども、そのことを感じさせるのは、怪獣「モスラ」の存在だ。
子どもの頃、どうしてゴジラのライバルが蛾なのか、どうして人間の味方で、神さまとして扱われているのか、とんと理解できなかったけど、今なら何となく分かる気がする。
原爆の化身たるゴジラと対になる、養蚕の化身としてのモスラ。映画のスクリーンに現れた東京タワーと巨大な繭は、かつて世界一の養蚕家といわれた日本人にどう映ったのかしら。
ありゃあたくさん生糸がとれそうだ!とか思った人もいるのかな。
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