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島は、一度入ってきたものを留め続ける
南種子町『広田遺跡』へ行ったときの話。
ここは弥生時代から7世紀までの共同墓地。種子島は、古代には九州本島と陸続きだったことがあり、文化は九州に拠っている。
それでも、貝で制作された装飾品は沖縄・奄美を黒潮に乗って渡ってきた。いわゆる「貝の道」だ。沖縄はというと、縄文・弥生時代がなく11世紀頃まで「貝塚時代」が続いていた。ここの共同墓地は南の海の方角を向いている。
遺跡資料館にある、中央の貝に描かれている文様は、蝶とタツノオトシゴ。紋様は心なしかアイヌのそれにも似ているような。北海道では、この頃はちょうど「擦文時代」が続いていた。
遺跡の側には、これも古くからある『石塔祭り』という、お盆に行われる先祖供養の儀礼が続いている。ソテツ、松の木、五輪塔。周りには一族ごとに石が割り振られており、それぞれ小さな棚にお供えする。
とても昔の形式を残してるのだけど、今も集落の人たちは毎年孫まで連れてここにくるという。周りにある石がほんとに素朴で、でも今も現役のお石さんだ。
種子島の浜には色んなものが流れ着いた。ヤシの実と赤米、蛭子(死者)と鉄砲、難破船と宇宙船。宇宙船はつくばから船でここまで来る。
柳田國男『海南小記』か『海上の道』で読んだか、島は一度入ってきたものを留め続ける性質があるそうな。日本もまた縦に長い群島だ。