なぜ臨床医にとって、公衆衛生は大事なのか? 〜公衆衛生の意義とキャリアの選択肢を増やす重要性〜
前回は、医師のキャリアにおける早期の海外留学の意義について、書かせていただきました。
今回は、公衆衛生の意義とりわけ臨床医にとっての重要性について私の考えを記します。前回の内容と被る部分もありますが、お時間ある時にゆっくり読んでくれるとありがたいです。
医師のキャリアにおける公衆衛生
一般的な日本での医師のキャリアは、大きく以下の3つのパターンに分かれると考えています。
① 大学病院を中心としたAcademicな環境で、基礎・臨床研究を行う/先進的かつ高度な臨床治療を提供する
② 市中病院で臨床医として活躍する
③ 開業をして地域に貢献する
これらそれぞれに非常に大きな価値があり、どれもが不可欠であることは言うまでもありません。
同時に、医師としての活躍する場所は病院のみではありません。WHO、UNICEF、国境なき医師団、医系技官、産業医をはじめ、行政や企業内の医療部門で活躍する医師もいます。医師というのは想像以上に活躍できる場所が広いということです。様々な場所で医師としての価値を発揮する医師が今後必ず必要になると思います。
その上で、私は医師のキャリア早期(とりわけ20代)で最も大事なことは、
「10年後、20年後のキャリアにおける選択肢をどれだけ増やすことができるか」
だと考えています。
今公衆衛生を学べば、将来において公衆衛生分野に力を入れて仕事をする選択肢が生まれます。英語の壁がなくなれば、海外で臨床医・研究医として尽力する選択肢も生まれます。私自身が10年後、20年後どこでどのようなことに興味を持ち、追求したいと考えているかは分かりません。大学病院で臨床や研究に勤しんでいるかもしれないし、開業したいと考えているかもしれないし、海外にいるかもしれないし、未来のことは何も分かりません。ただ、この早期に公衆衛生大学院留学をしたからこそ、見る世界も広がりより多くの選択肢を手に入れることができます。キャリア中盤になって、自分の持つ選択肢が意外に少ないことに気付き、その中から選択せざるをえず、消去法のような決して積極的ではない100%納得できないキャリア選択となることを避けることができます。
どのキャリアも価値があり素晴らしいもので、そこに優劣は決してありません。ただ、キャリア選択の場面で、多くの選択肢を持っていることに越したことはないはずです。将来、自分が前向きに最大限の意欲を持って野心的に楽しく働けるような選択をできる可能性をいかに広げておけるか、これが若いうちに必要だと思うのです。
公衆衛生の意義
ひとえに公衆衛生といっても、その領域は非常に多岐にわたります。ただ、共通しているのは、人々の健康増進のための社会環境づくりを行うということです。医療というのは、病院へくる患者さんだけ診ればいいのではありません。すべての人が健康増進を得られる環境を作らなければいけません。病気にならないような環境構築、病気になった時には早期に発見できて治療できる環境構築が必要です。
特に、いわゆる健康寿命といいますが、今健康である人たちがいかに病気にならないようにしていくかが非常に大事であると私は考えています。今後の記事でも書きますが、高齢化が急速に進行し医療費の増大が進む現代日本において、その財源確保のため社会保険料や高齢者の医療費窓口負担のあり方の議論が進んでいますが、並行してそもそもの医療費増加を抑える対策をしなければ元も子もありません。私はそのためには、「患者数を減らす」ことが極めて重要なことであると考えています。例えば、高血圧や脂質異常症などの生活習慣病は年齢と共に増加しますが、やはり外来では若い人の通院も見られます。もちろん、遺伝等不可避な要因がある場合もありますが、概して病気のonsetを遅らせることが重要だと考えます。40歳で発症しているものを65歳までその発症を抑えることができれば、25年分の医療費が削減できるわけです。そしてこれは、医療者の過酷な労働環境の改善の一助にもなります。
あくまでもこれは一例にしか過ぎませんが、医療というものが「木を見て森を見ず」にならないように、社会全体として健康を増進する公衆衛生という分野は、今後ますます重要な役割を担うのは自明であり、海外では明らかに日本よりもその意識が高いです。
臨床医が公衆衛生を学ぶ意義
日本では、臨床医が公衆衛生を学ぶことはそう多くなく、むしろ珍しいことです。しかし、欧米では臨床医が公衆衛生を学ぶことは、なんら珍しいことではなく、多くの医師が公衆衛生修士を持っています。そして、公衆衛生修士は海外では100年以上の歴史がある一方で、日本において初めて導入されたのは名古屋大学での2017年です。これらだけ見ても、いかに海外において公衆衛生が重要視され、日本が遅れをとっているかがわかると思います。日本では、公衆衛生と臨床を分けて考える場合が多く、公衆衛生に精通していない臨床医が多いのと同時に、公衆衛生を専門とする医師の中には臨床経験があまりない方もいるのが現状です。
臨床医が公衆衛生を学ぶ意義は、現場で感じる社会に対する医療課題・問題意識を直接生かせることです。臨床と公衆衛生は相互に深く関係しているものであり、決して別物として捉えるべきではありません。臨床に携わっているからこそ見えてくる公衆衛生課題は間違いなくあります。実際、医師3年目の若輩者の私であっても、その経験の中で公衆衛生への課題意識を感じ、早期の公衆衛生留学を決意しました。より多くの臨床経験がある医師は、それ以上の課題意識を感じることはそれだけ多いと思います。その多くの経験から裏打ちされた確かな課題意識を直接公衆衛生の改善へと行動に移すことができるのです。臨床の経験がない場合よりもずっと説得力を生むことができますし、その需要は間違いなくあります。そして、臨床医としてのキャリアの幅も間違いなく広がるはずです。臨床医としての経験と課題意識こそが医療社会を変えていく大きな原動力になるはずで、そこに臨床医が公衆衛生を学ぶ意義があると考えます。
最後に
以上が、公衆衛生の意義、そして医師とりわけ臨床医が公衆衛生を学ぶ必要性についての私の考えであります。
「10年後、20年後のキャリアにおける選択肢をどれだけ増やすことができるか」これが一番私が心がけていることです。
そして、「患者数を減らす・病気にならないはずの人を病気にさせない」取り組みこそが現代の日本の医療において極めて重要なことだと思います。これを実現する上で、次の記事で記しますが、私は市民とりわけ学生に対する医療教育の普及拡充を通した予防医学を進める活動をしており、一緒に活動していただける仲間を募集しております。もしよければ、次の記事もご覧いただき、もし興味があったり一緒に活動したいという方がいらっしゃいましたら、気軽にコメント、もしくはnoteの「クリエイターへのお問い合わせ」を通してご連絡ください。
お読みいただき、ありがとうございました。