うーとーとーして
いつもの夜勤。
いつもより少し早い電車に乗った。
まだみんなが来ていない間に制服を持って早歩きで更衣室へ向かう。
リュックを下ろした。
ロッカーを開けた。
ガチャっと誰かが入ってくる。
大好きな先輩だった。
ウートートー仲間(東北と沖縄の言葉は似ていて、その先輩と私の地域の言葉はイントネーションも言い回しも似ていて、岩手と沖縄の言葉で喋っているのに全部通じる。まるで地元のお友だちみたい)で、もはや魂で通じ合ってる先輩。
先輩は私を見るなり涙を流す。
私はそれにあんまりにも驚いて、なにも言えなかった。
『…無理しなくていいのに』
彼女は涙を溜めて、私の目の前でメソメソ(という表現を敢えて使いたいくらい、優しい泣き方を)している。
声は震えているし、涙も出ている。
なんてこった。
そうして私は一瞬にしてこう思う。
“今日はやっぱり此処に残って良かった”
この日、4/15は
岩手のおばあちゃんの葬儀・告別式の日。
前の日記の通り、私は東京に残った。
最期、触れずにお別れした。
私はまだ、“なんとなく”かなしいだけ。
それにしても。
なんにも話してない。
その先輩に、私はなんにも話してない。
でも何故か、あやかちゃんには全部伝わっている。
不思議だった。そういう人っているんだ。
私の“うーとーとー”が、あやかちゃんに伝わっていた。
「ばあちゃんきっと、こっちに来てくれてるから」
私はそんなことを言ってみる。涙に濡れるあやかちゃんとは正反対に、ケロッとしながらそんなことを言ってみる。
『うんそう。そうなの。見ててくれるからね、絶対見ててくれる。』
ぱっちり二重の素敵な目からは、やっぱり涙が出る。私より出てる、私の分まで出てる。
震える声であれこれ口ごもり、ぐっと黙り込んだあとであやかちゃんは私に近づいた。
そうして彼女は私をぎゅーっとした。
すごく大事に私を抱きしめた。
それでまたあやかちゃんは泣いた。
こちらが(ちっちゃい子みたいでかわいいな)と思うくらい優しく泣いていてくれた。何かを一生懸命伝えてくれようとしているのが分かった。
多分あれが、居ても立っても居られないってことなんだと思う。
『ごめんね、こんなして泣いて』
あやかちゃんは、あの優しい沖縄弁で言った。
おんなじ言葉、だけど岩手弁で私は言う。
「もう、これで全部救われた。ありがとう。」
私もそれでぎゅっとした。
『ホントにごめん、こんなして泣いて』
「んーん、ホントにありがと」
とにかくギュッと合った。
なんでこんなにやさしい人が、私のそばにいてくれるんだろう。
なんでこんなことって起こるんだろう。
『うん、そう。おばあちゃん、絶対見ててくれるから』
私を離した後、あやかちゃんはまるで自分の事みたいに、自分に言い聞かせるみたいに、頷きながらそう言った。
すてきな光景すぎて信じられなかった。
それくらいうれしかった、ありがたかった。
二人で涙を拭いて、制服に着替えて更衣室を出る。
そのあとは何事もなかったみたいに仕事する。たくさん笑って、たくさん励ます。だから一晩中、“いつも通りに”過ごすことができた。
朝日。
夜勤を終えて帰宅した頃、母からのメッセージ。
おばあちゃんの祭壇と、素晴らしい遺影の写真。
その遺影が妙に一緒に過ごした日々を生々しく思い出させるから、カーテンが閉まったままの部屋で私は遂に泣いた。あやかちゃんのくらい泣いた。もう触れないことを想い、いよいよ寂しくなった。
でもその途端、昨夜のあやかちゃんを思い出す。
それでもうひとしきりオイオイ泣いたあと、照れた気分と共に元気が出た。
私のためにあんなして泣いて抱きしめてくれたあやかちゃんのおかげで。
すごく寂しくて、すごくあったかい日にしてくれてありがとう。
本当は、私の心の中だけにしまっておこうと思った。けれどももし私がいつか死んだときにも、この事は誰かには覚えてて欲しいと思ったから、敢えて此処に書いておくことにした。
ごめんねあやかちゃん。
でもそれくらい、あなたはとても優しくてすてきな女性なのです。
本当にありがとう。
そんな素晴らしい一日の終わり、お歌の相方yuitoくんから19日に迫ったストリートライブの連絡が入っていて、つくづく、『生きてると退屈している暇があんまりないな』…なんて思う。
何があっても歌おう。
私は書き綴る事か、歌う事しかできないんだから。
この日の出来事は間違いなく、私のこの先何十年を支えてくれるはずです。
【何があっても、人生。】
さ、ウートートーして、おやすみなさい。
本記事執筆BGM:藤井風『満ちてゆく』
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