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私よ、わたしであれ。 〜「頑張って生きる」を卒業した、その先にあったもの〜

「世界に一つだけ あなたについてのSTORY」
わたしが感じるあなたを綴るshutter

この企画は、
「あそゆかの言葉でわたしについて書いてほしい」と
ご依頼をくださった方にインタビューをして、
(もしくはその方と重ねた時間を通して)
どこにもないその人だけの生き方を
ご紹介させていただく企画です。


今回綴らせていただくのは、高知県で農業と牧野植物園をこよなく愛しながら暮らしている、田上聖子さんをご紹介します。

PHOTO by Yoshitsugu Maruyama

彼女とわたしは10年来の友人で・・・
今回このshutterを書くことになった経緯は、ちょっと風変わり。

そもそもは、昨年、「自分のホームページの文章を自分で描けるようになりたい」とわたしの継続セッションに申し込んでくれたのが、はじまり。

そこから当時彼女が提供していたサービスについて、その言語化のセッションをしていくうちに・・・・

もう今は、本当にしたいことじゃないのかも・・・

と気づいてしまい。


(おっと・・・そうきたか笑)


それならば、と、急ぐことなく、どんなふうに生きていきたいのか、今ここからのライフデザインをしていこう、とセッションの方向をシフト。

話していくうちに・・・・

大好きな牧野植物園に通う日々を送れたら人生は楽しい!ということがどんどん明らかになり

植物のことを書くならブログも楽しめるかも!という流れから、新たにホームページを立ち上げて、趣味の植物と農業ブログにしようとなり、それならば、ホームページに掲載するプロフィールを書いて欲しい!と、ライティングの依頼をいただいたのですが・・・・

初めてのセッションから約一年半経った今。

立ち上げたはずの新ホームページは稼働することはなく、なんなら、完成さえしておらず、笑
でも、彼女は、毎日をなんだかとても楽しそうに生きている。

大好きな牧野植物園にて。 PHOTO by Yoshitsugu Maruyama


ご自宅の裏の畑にて。 photo by Asoyuka

ので

ご依頼いただいたプロフィールライティングはどうしようかねぇと、話した末の、この、shutterなのです。

自分とは何者なのか。
何をしていて、どんなことを大切にしていて、何を伝えたいのか。
自分を確立して、世界に伝えようとしていただろう、私にセッションの依頼をした聖子ちゃんの今は

自分を世界に対して確立しようとすることを手放したことで、
自然と確立した自分を楽しんでいる

そんなふうに、わたしには見えます。

この一年半歩んだ彼女の道は、もしかしたら・・・・

何者かになろうとしているけれど、何者かになりきれず、なんとなく自分にピッタリした感じがない、ちょっと居心地悪い思いをしている人の、光になるのではないか。

そんなことを感じながら、今回のshutterを綴らせていただきます。

野菜の苗を楽しそうに選んだ高知の直売所にて。


高知県いの町で生まれ育った聖子ちゃん。
お祖父様の代に事業で成功され、それを引き継ぎながら農業を営まれるお母様と、教師を勤められるお父様との間の、一人っ子。いわば、お嬢様。

中学高校の頃は、学校にお迎えに来てくれる親御さんが軽トラでやってくるのが実はちょっと嫌だった、と言いつつも

「世間はこう言うもの、って言うのを疑うことなく、当たり前に親が敷いてくれたレールに乗って生きてきたんだと思う」

そう教えてくれました。

普通はこうよね。
こうするのが当たり前よね。
こうしないと、これをやっておかないと・・・なんか言われそうだし。

家族や地域の中で当たり前に受け継がれてきた、でも本当は狭い世界の中だけのルールを、この世界で生きる条件だと思って生きてたし、それに対して、大きな疑問や反抗心を持ったことも、なかった。でも、「だってそういうものだから。そうするしかないよね。」という小さな小さな妥協や諦めを、感じるでもなく感じながら生きてきて。

それが変化したきっかけは、大学入学。

親のレールに沿って生きながらも、どこかに窮屈さを感じていた聖子ちゃんが選んだ大学は、東京農業大学。

農業を営まれているお母様が、トマトの青枯病に悩まされている姿を見て、青枯病について知りたい、と言うことと・・・
青いスイカを作りたいと言う思いから、東農大で土壌学を専攻。

親のレールに(実は自ら)乗りながら、親の目から離れた東京での大学生活は、初めての「自由!」を感じさせてくれた新境地。
4年間、たっぷり好きに自由に遊んだ!とはっきり断言できるほどに、土壌学を学びながら大学生活を謳歌したのち、とはいえ選んだ就職先は「実家(高知)に本社がある商社」

長女だから、いつかは実家に帰って家を継ぐ・・・

いつも何処かで、実家への思いがあった聖子ちゃん。

この時、会社員生活が始まって1年経った頃に、大きな業務ミスを起こしてしまい。社内でフォローしてもらったものの、心が折れて挫折。退社する流れに。

実家に戻ることを考えていたものの、当時の彼に「実家に帰るなら別れる。」と言われ、Uターンを断念。(断念したおかげで、今はその彼が、旦那様♡)

そんな時に、アメリカのガーデンで働いている大学時代の友人から、こちらに来ないかとのお誘い。1週間ほど渡米して、彼女の働くガーデンにも行きながら植物に囲まれて楽しそうに働いている姿を見た時に「好きなことで仕事をしながら生きていく世界もあるんだな・・・」ぼんやりとそんなことを、思ったとか、思わないとか。

それまでの彼女は、自分で選んで生きているようで「とはいえこうした方がいいよね」を選びながら生きていて。
植物が好きだけど、それは幼い頃から当たり前すぎるほどに普通に溶け込んでいた「日常の風景」の一つだったから、そこまで「好きだ」ということにも、気づいてなくて。

それよりも、親の敷いたレールで生きる、期待されているだろう方を選ぶ、普通はこう、きっとこれが当たり前よね、という思い込みの中で自分をどこか強制して生きているということに、自覚さえなかったし、そうやって生きている自分が不幸だとも違和感があるとも思ってなくて。

むしろ、私は普通に考えたら恵まれてるんだから、感謝しないと、と思っていたくらい。

だからこそ・・・・・

期待に応えるためになら、一生懸命に・・・・時には苦しくなったって、やるべきこと、求められた結果のために頑張るのがふつー。の世界に、いた。

その後、大手フローリスト会社フローリストゴトウ( U.GOTO)に入社。お花に囲まれた華麗な表向きのイメージとは裏腹に、過酷な一面もあるフローリストの現場で、お局アタックも交わしながら、朝から晩までお花づくしの中お仕事。大好きな仕事だったから頑張れたけど、マネジメント担当にならないかと言われ、「マネジメントはしたくない」と退社、結婚。

結婚後は数年ごとに転勤族の旦那様と共に愛知、大阪、姫路、青森、と各地を移動する暮らしに。

引っ越しを重ねる中でも、植物が可愛くて、アパート暮らしでもいつも自宅には鉢植えが何十個とあり、多い時にはなんと20鉢以上と同居。寒い冬には、室内に入れてあげて、お世話をしていたとか。


一つ一つの鉢植えから、新しく芽が出たり、花が咲いたりするその変化を見届けるのが楽しくて嬉しくて、引っ越しする時もいつも一緒。

植物好きが全く高じていないわたしとしては、お部屋に鉢植えが20鉢なんて、想像しただけで「居住スペースが圧迫される圧」「水やりの圧」「枯らしてしまう罪悪感の圧」に慄くのに、聖子ちゃんは「え?そうなの?」と何も気に留めることない当たり前感。
そう、実は・・・・好きって、当たり前すぎて、自覚できなかったり、するものです。

好きだと自覚しないくらい、当たり前にいつもそこに植物がある、そばにいて当然、お世話をするのも息をするのと同じレベル、それが、他の人が普通にはできないだろう聖子ちゃんの「普通」。

高知の実家に戻り広いご自宅になって、庭も畑も裏山もあってもなお、鉢植えがずらり。



そして、青森で出産、子育てがスタート。
頼るところのない場所での初めての子育てを支えてくれたのが、地域の子育て支援。
まさに、「助けてもらった」と感じた聖子ちゃんは、この時の経験がきっかけになって、「自分がそうしてもらって子育てができたように、子育てに奮闘する人の力になりたい」と思うように。

その思いを抱いて引っ越した次なる新天地、千葉県市原市では、子育て支援活動をスタート。「いちはら子育て応援団」と名付けられた団体の運営の中心となって、さまざまな活動を展開。お母さんのための居場所作りから、セミナーやワークショップ、年に1回の何百人もの人が来場するビッグイベントまで。(似たような団体運営をしていた私の目から見ても、このイベントの規模と影響力の大きさは、尊敬に値するものでした)


イベントに関わったスタッフ総勢の写真。
団体運営陣の聖子ちゃんとその仲間、筆者。若いなぁ。(2016年)

さらには、お母さんに代わって料理の作り置きなど、家事を手伝いながら、産後の女性をサポートする「産後ドゥーラ」の資格も取得し、活動を始めて。



当時、千葉県木更津市で、子育て支援活動を展開していた私は、この時に
「お互いの活動が何かつながれば」と活動のパートナーを介して、聖子ちゃんと出会ったのです。

初めて交わした会話は、カフェで何を頼むかについて。モンブランを頼もうとしたのになぜか「私、もんぶりん!」と堂々と赤裸々に言い間違えてしまい、爆笑を生んだことで一気に打ち解けたのは、今でも笑い合える懐かしい思い出。

お互い、とっても、とっても、とっても。頑張っていた時で。
子育てを頑張っている人、不安の中でも一生懸命我が子と関わっている人たちが子育てしやすいように、力になりたい。貢献したい。

そう思いながら、あの当時お互いの心のうちにあったのは「仕事をしてなくても、社会に貢献できる私でいたい」「そんな自分を認めてほしい」そんな気持ちも、あったのかもしれなくて。

不安と闘いながら子育てしていたのは、誰より自分かも、しれなくて。
助けを求めていたのも自分で、助けられることのありがたさも痛感していて。
そんなふうに感じる人が、少なくなったら良いな、って心から思ってもいて。

だから、頑張れたし、だから、ちょっと、しんどくって。だけど、そこに楽しみだって、たくさんあって。
やると決めたことなんだから、行けるところまで、やりたくて。

責任と義務と、やりたいことと楽しさの混ぜ合わさった中で、形にしよう、結果を出そうと頑張っていた、あの頃。

当時を聖子ちゃんは・・・・
楽しさもあったけど、(心の中で)嗚咽しながら頑張ってた、と。笑
私も、そうだったなぁ。

自分のためでありながら
誰かや何かのためにのベクトルが強くなると
それは時として、義務感と責任感となって、苦しさの錨に、なる。

のちに、私が当時提供していた、親子コミュニケーション講座も受講してくれて、お互いに認定ティーチャーとして、子育てコミュニケーションも伝える立場に。


とにかく、子育ての世界の中で、自分が感じた辛さを誰かが感じないように、自分が助けてもらった喜びを恩送りするように、精一杯に、子育てをしている自分と誰かのために、力になりたくて頑張っていたあの頃の聖子ちゃんは、いつも持っている手帳が分厚くて、細かく書き込まれていて、行政や関連企業とも常に連携していて。NPO設立まで、やって。
しっかり者のやり手の地域団体の運営者さん、という印象。

そう、私みたいに「もんぶりん」なんて、絶対言い間違えないんだろうなぁ、って。笑

そんなにしょっちゅうやり取りを交わす仲ではなかったけれど。
でも、いつも何処かで「同じように頑張っている仲間がいる」「いざとなったら相談できる人」という感覚があって、その存在を意識していた、人。

そんな聖子ちゃんの雰囲気が、変わり始めたのは、ご実家のある高知に、戻ってから。

家の敷地内に手入れされた丘まである、立派なご実家。丘を越えたら、畑。

8年前に、いよいよご実家の敷地内に自分たちの家を建てて、高知に戻った聖子ちゃん。

戻った地でのお仕事は地域の子育て支援センター勤務に産後ドゥーラと、マザーズコーチング。やっぱり、子育て支援。

学び続けるためのコミュニティにもしっかりジョインして、オンラインセミナーに参加したり。

地域新聞や地域誌にも取材されたりして。

地域のママと話すのは楽しいし、何より赤ちゃんは可愛い。この地域の子育てママたちが、楽しくなるようなことがしたい。自分が助けてもらったように、助けになりたい。子育て支援で自分が救われた恩返しが、したい。
親子コミュニケーションも、学ぶほどに気づくことがあって面白い。

時々話す時に教えてくれるのは、いつもそんなこと。


聖子ちゃんは、ブレないなぁ・・・・


そんなふうに感じながら、私は我が子がひと足先に大きくなって行ったので、母親モードから女性モードへの切り替え期に突入。

要は・・・・あんなに頑張っていた子育て支援のための活動の諸々、だったのに、自分ごとにできなくなっていったのです。目も手も掛かる子どもの時期・・・赤ちゃん〜学童期が過ぎてしまって、自分たちの世界を持ち、あとは見守りお金を出すだけの年齢に向かっていって。「子育て中のママ」という当事者感覚が薄れて行った時に、それでも子育て支援に携わっていきたい、と思う情熱は、私にはなかった。

むしろ、それまでに家庭の世界に十分過ぎるほど没入したからこそ、私は「私と言う1人の女性としての生き方」を取り戻したくなっていて、そちらに大きく舵を切り始めて、いろんなことを試したくなって行ったのです。



 
自分でお仕事をしてみたい。
行ったことないところに行ってみたい。
理由がなくてもやりたいと思ったことに一歩を踏み出したい。

子ども、や子育て、を理由にしないで、言い訳にしないで、
誰かや何かの機嫌や目線を気にしないで
「わたしがそうしたいから」で、一つ一つを選択したい。

私をレンタルします、なんてサービスもして、そのサービスを彼女が依頼してくれて、高知のご自宅まで、ごはんを作りにいって、お泊まりさせていただく、なんてこともして。

「子育て支援団体を頑張って運営しているもの同士」と言う関係と距離感だった2人が、この頃から「子育て」を関係性のタスキにしない、1人の人と人としての関係に変わって行った気がします。

思えば、いつ頃からこんなに距離感が縮んだんだろう??
書きながら、もう過去が過去として薄れているので謎なのですが

すっごく密な関係ではない、のに
折に触れて聖子ちゃんは私にお仕事を依頼してくれて
コーチングのセッションをしたり、
プロフィールを書いたり
時々話したり
お互いの家に行き来したり。

それが高知と千葉という距離感になってからの方が
加速して。

なんとなく行き来して、自宅にも泊まって、子どもたちとも仲が良くて。
友達以上家族未満、いや、親戚以上家族未満?そんな関係が自然と、紡がれていったこの8年。

植物が大好きな彼女の地元高知にある、モネの庭マルモッタンにて。2022年。


子育てに没頭していた私たちは、少しずつ、我が子の成長に合わせて、お母さん色一色だった生活から、少しずつ、少しずつ、1人の女性としての色に人生をグラデーションに変化させていて。


きっと私は、彼女と、その景色を一緒に見たくなったのかもしれない。


あんなにも、子育てと子育て支援に頑張ってきた私たちの、「母親」という役割にどっぷり、浸かり過ぎなほどに浸かっていた私たちの、ひとりの女性として変化していく「これから」を。


だから、子育てが始まって以来、子供達を置いて1人で家を出る(それもただの娯楽で!)なんてしたことなかっただろう彼女に、
突然、沖縄撮影旅行を持ちかけて!引っ張り出したり。

お母さんなら、子どもたちの面倒を見るのが当たり前、送迎してあげなきゃ、自分の好きで家を出るなんて、という沓(くつわ)をしっかりはめていただろう聖子ちゃんは、わたしの誘いに答えを出すまで、1ヶ月半、かかって。笑

でも、体験して欲しかったんですよねぇ。

私たちは母親であるけれど
「母親という生き物」ではなくて
母親という、足枷をはめているのでもなく
母親という役割を全うするためだけに生きているのでもなく

むしろ

その役割を引き受けすぎているから
自分でも気づかないうちに
世界が窮屈になったり
どこか生き苦しくなったりする。

外の世界に飛び出してみることで見える世界から
次の生き方を選び直すことで

私たちの毎日は
驚くほどに
軽やかに主体性を持った楽しいものになる

母親という生き方も含めて。

ということを。

自分が「こう生きるべき」鳥籠の中にいるなんて
自分では、気づけない、から。

PHOTO by Yoshitsugu Maruyama
PHOTO by Yoshitsugu Maruyama

想いや情熱を傾けて頑張っていた、その世界は大切だけど、
でも
その世界に、居続ける必要もないし

次の世界に、踏み出してもいいし


終えていくこと、変わっていくことは
決して薄情や裏切りではなくて


もっと自由に
もっと楽しく

「わたし」として生きる楽しみを
軽やかに、悠々と選んでいいし
 
 
そうやって、楽しみながら変化していく
その姿を見せることこそが


子どもにとっても、素敵なことなんじゃないか、って。

PHOTO by Yoshitsugu Maruyama 

そんなふうに時間を重ねた先で、2022年の年末に、彼女から依頼されたのです。

自分で作ったホームページを、もっと作り込みたい。文章を自分で書きたいから、そのためのサポートをしてほしい、と。

ずっと大切にしてきた、子育て支援のお仕事。
親子コミュニケーションや、産後のお母さんのサポート。
それらを、もっと仕事として、形にしたほうがいいんじゃないか。

そのために、ページを整えた方がいい気がするし
作るのであれば、自分で自分の思いを、言葉にして表現したい。

それが、聖子ちゃんの依頼で
だったら精一杯お手伝いさせていただきます、と走り出しだのだけど。

打ち合わせのセッションが進んで行った先で、
気づいてしまった。


もしかしたら・・・
本当は・・・

もう、子育て支援のお仕事は
心から喜んでやりたいことでは、ないかもしれない。
私の旬は、すぎているのかも、しれない。


と。


嫌いになったとか、
やりたくない、とか
そういうことでは、決して、ない、のだけど。

でも、
心が踊るようなワクワクするものかと言われたら、
もう、違うのかもしれない。


あんなに、ずっと頑張ってきたけれど。
あんなに、ずっと頑張ってきたのに。
やりたかったことのはずなのに。

PHOTO by Yoshitsugu Maruyama

人間て。
良くも悪くも。
慣れてしまう生き物だから。

慣れてしまうくせに、
変わらずにはいられない生き物だから。
 

好きで始めたこと。
やりたくてやってきたこと。
使命だと思ってたこと。
絶対これだって、思ってたこと。
夢中になってたこと。
 
 
そういうのも、
長い年月を経ていくうちに
 
 
実は、
 
 
好きな気持ちや
熱量は
じわりじわりと
平熱になり
いつしか
一つのフェーズを終え、
区切りを迎えているのに
 
 
好きだった日常の慣れ、が
 
 
それを見逃して、しまう。
 
 
好きなことさえ
ルーティーン化してしまってる、というか。
 
 
そして
 
 
好きだからこそ
夢中だったからこそ
大事だったからこそ、


認めたくないのかもしれない。


もう、自分の中で終わっているなんて。
もう、実は飽きているなんて。
もう、そのフェーズは古くなっているなんて。


大事で大好きだったからこそ
ルーティーン化していたとしても
慣れの中で続けていたいのかも、しれない
  
慣れていたとしても
頑張りたいのかもしれない

 
けれど。
 
 

同時に人はまた
 
 
自分に嘘はつき続けられない生き物でも
あるのかもしれなくて。


だから、どこかのタイミングで
ちゃんと、気づくべき「何か」が
用意されていると思うのです。


終わっていること
気持ちが変わったことに、気づいて
そっと決別をするべく、きっかけが。

 
きっと、聖子ちゃんにとっては
言語化をきっかけにした
私とのセッションの時間が
その「何か」だったような気がするのですよね。

PHOTO by Yoshitsugu Maruyama


沖縄撮影旅行の時に私がとても新鮮だったのは

彼女はいつでも・・・
どこにいても
何をしていても

植物を見ている

と言うこと。

道端の雑草
植栽された木々や草花

街中でも
田舎でも
 
いつでも、何かを見つけては

「あ。◯◯だ♡」
 
と、何かしら植物を見つけては、感動している。


PHOTO by  Asoyuka

独り言のように
ぶつぶついうのです。笑

そして、言うのです
「ねー、見てみてー!ここにこんなのがあるー!」って。^^
 
それはもう頻繁に。

 
それは
 
頑張って
使命感(のようなものを抱いて)頑張ってきた
子育て支援のそれとは、違っていて
 
 
とっても自然に
いつだって当然のことのように
肩の力を抜いて
ごくごく、するりと
 
植物を見つけては
何かに、感動している。


PHOTO by Yoshitsugu Maruyama


 
その地域だけの植物の特異性や
本来の生息地ではないだろうところで
生きている植物を必ず見つけては
 
「こんなところに咲いているー!!」と 
 
目をキラキラさせて、感嘆の声を、漏らす。
 

その表情が、
まるで宝探しをしている純真無垢な子どものようで
たまらなく、可愛いのです。

PHOTO by Asoyuka


ずっと続けてきた子育て支援活動、頑張ってきたその仕事を、一度ちゃんと確立したい
そう思っていたはずの気持ちが実はもう違うかもしれない
そう気づいたときに
 
ごくごく自然な形で
 
果たすべき任務でも使命でも役割でもなく
 
 
ただただ、「私の心が躍りときめくもの」として
 
ずーっとそばにあった「植物」が、
 
確かな輪郭を持って、ふわっと、湧き上がって、きた。
 
そうだった、実はすごく、好きだった、と。


きっと、大好きって
毎日食べても飽きない白ごはんのように

時に当たり前のように、
自分のライフスタイルに
染み込み、在るもの、なのでしょうね。

当たり前すぎて気づかないけど
気づいてしまったら

もうそれなしの人生なんて
考えられない、みたいな。


植物が好きなこと。
農業も好き。

子育ても好きだけど
 
その共通点は
成長していく変化を見つけることが
たまらなく楽しいこと。

だからいつも見ていること。
見つけていること。

NHKドラマ「らんまん」で一躍有名になった、
高知にある
牧野植物園と
創始者の牧野富太郎さんがとにかく大好きなこと。


いつも車で片道40分かけて
あしげく通っては日々の草花の成長を楽しんでいること

(出勤前でも!)

そんなふうに時間があれば植物園に行ったり
いつでも植物を見つけてはあーだこーだ言ってる人(笑)なんて
そうそういるもんじゃないと、気づいたことで

聖子ちゃん自身が
私、めちゃ植物好きだわぁ、と自覚してしまい
自覚してしまったらなおのこと
好きが炸裂し出した、のです。

PHOTO by Asoyuka


そして、同時に、もう一つ、大切な節目に、気づいた。

それは、一緒に、香川を旅行して、素敵なホテルに泊まって
翌日、雰囲気の良さげなカフェに入って
つらつらと、いろんな話をしていた時。

ずっと、子育て支援を頑張ってきていたのは
頼るところのなかった青森で、子育て支援の人に助けてもらった、
その恩返しをしたかったから。
・・・うん、もう、恩返しは、十分、したかな。
恩、返し終わってる。返し終わったね。
私・・・卒業してたんだ〜〜〜〜〜

振り返ることもなく、ずっとずっと進んできていたはずのその道は
もう、節目をとうに迎えていたんだということに、初めて、気づいた。

頑張った。頑張ってきたね。お疲れ様。
もう、十分だから、いいよ。
ここからは、好きに、次の道に行っていいよ。

よくしてくれた分は、お返ししないと。

受け取ってきた恩義を
その感謝を
溢れるほどの優しさと愛、
そして、努力に変えてお返ししようと進んできた自分自身を
やーっと、もういいよ、って
認めて許して、労って、大丈夫、って言えた、瞬間。

「卒業、だね」


あのたわいない対話の時、
子育て支援で、恩義を返したかった私、から
義務や恩義から自由になって
もう、好きに生きてもいいって

きっと、道が切り替わったんですよね。

子育て支援フェーズから卒業して、
自分の、好き に気づいてからの聖子ちゃんは・・・
それまでにもまして

時々のセッションタイムでも
お仕事にしていたはずの子育て支援の話はどんどん少なくなり
 
休んでいた農業も再開



PHOTO by Asoyuka


牧野植物園にはますますと暇さえあれば通うようになり・・・・
 

PHOTO by Yoshitsugu Maruyama


PHOTO by Yoshitsugu Maruyama


 
植物のことをブログにしていくなら、
立ち上げたHPも役立てるかも!
 
ゆくゆくは野菜のオンラインショップとかしてもいいよね


そのHPが牧野の公認になったら嬉しいし

私、
牧野植物園の公認ガイドになりたい♡


PHOTO by Yoshitsugu Maruyama

そんな想いまで、できて。
(あのマニアぶりならいつでもなれると思う。)
 

今までにない、嬉しそうなワクワク顔でニヤニヤし始めた、聖子ちゃん。


おぉ、やっと、立ち上げたワードプレスにも、お役目が、きたか!
そう思ったんだけど。


それから、どうなったか、というと。


子育て支援に関するお仕事は全てクローズしたものの

HPを構築したり
ブログをこまめに書くことなんかより
 
植物にふれあい
日々、お野菜を育て
牧野植物園にはやっぱりまめに通い
 
日々の暮らしを楽しみながら

今までできてなかった
友達とのランチやお茶の時間を味わい尽くし

なんだかとっても楽しそうに、生きている。


PHOTO by Asoyuka

そこには

子育て支援の・・・・という肩書きはもはや何もなく

だからと言って

植物関係のお仕事を始めた・・・という何かも、ない。


そう、ただただ、

わたしがしたいように
好きなことをただただ、楽しんでいる、毎日。


PHOTO by Yoshitsugu Maruyama

そうそう、聖子ちゃんは
不動産管理の実業もされているから

頑張って、何者かになろうとする肩書きなんて
実はなくてもよかったんだよね。笑

もう、お仕事もしてるし
残った時間を
何者かになろうとすることではなく
 
自分の心が動くままに
したいように生きて、いい

好きなこと、
植物に触れ合う三昧の私を、楽しんでいい。

私が私として、
自由に好きに生きる第二の人生の時間が
今彼女の中で、ゆっくりと、
とっても楽しげに、始まっている。

そんな気がしています。


ホームページは結局できてないし。
何者かなんて、わからなくなったし。

でも

毎日が、楽しい。


それでいい
それが、いい


何者か、なんてのは
きっと、その先に・・・・


なるかもしれないし
ならないかもしれない。


でも、それが、大事なこと、じゃないから。


私の好きに囲まれて生きて幸せであること。

日々が、楽しさに溢れること。

PHOTO by Yoshitsugu Maruyama

きっと、それが、いちばん。


聖子ちゃんのfacebookの写真は、大好きな写真で、見事なほどに、ずらり。

好きが溢れる、って、こういうこと、なのでしょうね。


大人になると
なーんか、肩肘張っちゃって。

好きなこと、やりたいことを
「何者か」に結びつけたくなったり

何者かであることに、
安心や承認、評価を求めたりして
 
目的が手段になり
手段が目的になるという
おかしなかけ違いが起きたり、するけれど。

大人、だからこそ、
もっともっと、シンプルに

結果や、評価や、何か、を求めることなく

「好きなことを好きなだけ」を楽しむと、きっといいのでしょう。

何者か、なんていうのは
きっと、その先で・・・・・

なるかもしれないし
ならないかもしれないから。

なってもいいし
ならなくてもいい。


生きたいように、生きたらいい
どんなライフスタイルでも。

私が楽しく生きて喜び溢れる人生なら、それでいい、それが、いいのだ。
なんだって、いいのだ。


わたしよ、わたしであれ。


今では「植物学者になりたい!」と言い始めた聖子ちゃん。

わたし的にはもう、なってますけどね❤️


PHOTO by Yoshitsugu Maruyama

子育て支援活動の同志から始まり
時間を共にし、
クライアントとコーチでもあり
そして旅行をする仲へ
(正確には、わたしは聖子ちゃんに旅行に「連れて行ってもらってる」仲)

いろんなことを
いろんな立場で
ともに過ごし話してきた友の
ちょっと意外な形の、shutterを書かせていただけたこと。

歴史がありすぎて
どこをどう書こうかうんうん言いながらも
楽しい時間でした。

聖子ちゃん、これまでもこれからも
ありがとう、そして、よろしくね♩


植物まみれ、牧野植物園大好きな聖子ちゃんのInstagram


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