私が私を生きて叶えてゆく〜柴田晴子さん〜
私が感じたあなたの魅力を切り取り綴る shutter
この企画は、あそゆかがご依頼者様と対談、感じた魅力をあそゆか視点で遠慮なく書かせていただくというもの。2021年は100人の人の魅力を切り取る「100人ライティング」にただいま挑戦中です。
年齢を言い訳にしたくない
30代から40代へと歳を重ね、そして50代も射程距離に入ってくると、あちこちでそんな言葉を聞くようになりました。
年齢を言い訳にしない
諦めない人生を
いくつになっても、などなど。
私自身のことを振り返ってみると、年齢を言い訳にしたことは、自覚している限りあまりない気がしていました。(自覚する限り、で。)
でもね。
この方のお話を聞いた時には
「私、年齢を言い訳にはしてないかもしれないけれど、そもそもチャレンジできないって諦めてることがすっごくあるのかもしれないな。」
そんな気持ちに、なってしまったのです。
どうして??
それは、これを読み進めていただければ、わかること・・・かもしれません。
これを読んでいるあなたは今、何歳でしょうか。
そして、少しだけ、振り返ってみてください。
あなたはこれまで、やりたいと思ったことに、挑戦してきたでしょうか。それとも、諦めてきたでしょうか。
しょうがないと、もっともらしい理由をつけて、自分を宥めすかしたことは、なかったでしょうか。
もしかしたら、
諦めているという自覚なく、「年相応」の選択に、自分を、収めてないか??
あなたはあなたを、諦めていませんか?
あなたはあなたを、信じ抜いているでしょうか。
性別も、年齢も、
そして
「自分だから」って、
遠慮したり、逃げてること、
それがもしあるとしたら、なんでしょうか。
待ち合わせのカフェに現れたその方は、想像していたよりうんと、小柄な方でした。
事前にSNSで知っていた「トランポリンをする方」とは思えないくらいに。
それが、今回のshutterでご紹介する、柴田晴子さんです。
御年56歳。その、晴子さんは、どうやらトランポリンを飛ぶ方、なようなのです。(それがSNSに投稿されていました)事前にいただいたエントリーシートには、「トランポリン施設にて、受付、インストラクター」と書いてあり。
トランポリンて、あの、ビョンビョン高いところまで飛んで、回ったり、捻ったり、するやつ。
受付、だけじゃなく、インストラクター?!!
それを、このご年齢で・・???
(こう、思ってしまった私は、実は無意識にも年齢を制限にしているんですよね、きっと。)
どうして、トランポリンをすることになったのか、何が、良いのか、どうなってるのか、それをお聞きしたくて、私は晴子さんに会うのをとても楽しみにしていました。
初めてお会いした晴子さんは、とーってもキュートで。ショートカットにアースカラーのお召し物。そして、足袋のような靴。個性的でありながら、その色合わせが優しい雰囲気で、きっと晴子さんもそんな方なのかしらと、感じるもの。
この小さなお体が、トランポリンで宙を舞う・・・?舞ってるの??
思わず、気になってすぐ聞いてしまいました。
きっかけは、お子さんがトランポリン教室に通い始めたこと。それが晴子さん45歳の時。今から10年前です。今の私と、同じ歳の時。
子どものお稽古ごとには親の送迎は必須。そうして送り迎えをしているうちに、お子さんがトランポリンで飛び跳ねる姿を見ていたら「楽しそうだな」「やってみたいな」と思ってしまったそう。
だから、聞いてみたそうです。
「私も、やってみていいですか?」と。
そこから、お子さんのレッスンに合わせて、晴子さんもトランポリンを飛ぶようになり、そうこうしているうちに楽しくなってきて、だんだん、「もっと上手になりたい」という気持ちが膨らんで。一つ一つ、技にチャレンジしたそうです。
トランポリン、やったことありますか??
私は、公園にあるようなものでしか体験したことはないんですが、その時の体感で覚えているのは「案外ただ真っ直ぐ飛ぶだけでも難しい!」ということ。(そして、ちょっと飛ぶだけで、息が上がる)
娘がまだ小さかった(そして私も今より10年若かった!)当時でさえ、飛び続けるのって簡単そうに見えて大変、と思ったのに
今の私と同じ年齢だった晴子さんが、やってみたいからとトライされて、練習して
そうしてできるようになった技は
おしりをついて立つ(腰落ち)
おしりをついて空中で向きを変えてそのままおしりをつく(スイブル)
おしりをついて1周横に捻っておしりでつく(ローラー)
背中で跳ぶ(背落ち)
そうして
前方宙返り
前方宙返り1/2捻り(バラニー)
後方宙返り
まで、できるようになったそう!!!
宙返り・・・・です。トランポリンで、飛びながら、宙返り。やりたいって思って、楽しくって、続けた先で、宙返り。
とんで、背中側からくるんとまわる、あの、後方宙返り。
(ちなみに、トランポリン 後方宙返り、で検索して出てきた動画はこちらです。よかったら見てみて下さい。)
私、今の年齢で、「自分にもそれができるはず」って思って挑戦できるかなぁ・・・・。あの日晴子さんの話を聞いて、私は何度も自分の中で考えてしまいました。
でも。晴子さんがこのお話をされたその表情は、とにかく、楽しそう、嬉しそう。「頑張った!!!苦労した!」という感じがあんまりなくて。
「できるのが嬉しくて一つ一つやっていくうちにできるようになった」
とおっしゃったのです。
こんなにキュートなお顔で。
すごいことできたの!じゃないの。嬉しさが溢れる「できるようになったんですよ^^」なんです。
私、だったら。
考えちゃう。
怖くないかなぁ。怪我しないかなぁ。上手くできるかなぁって。
だって、あのトランポリンです。ビョンビョコ高く跳ね上がる、あれです。
不安定感しか感じないあれを、きっとどこまでも私を跳ね返すだろうあれを、この体の、この脚力の、この体力の、この私が飛べるんだろうか、って思ったら
飛んでみたいけど、小さくポヨンポヨン戯れるくらいで十分、と思ってしまいそう。
こう書いていて気づきました。最初から、自分で「このくらいで関われればいいかな」って、どこかでフレーミングしてしまっているのかもしれません、私は。誰かや何かとの、関わり方を。てっぺんの一番すごい状態を想像して「いやー、あそこにはいけないわー、このくらいで十分」って、いきなり高みを見て、「今の私でいけるかいけないか」を考えている。
でも、晴子さんにとってのトランポリンはそうじゃなかった。
「できるようになること」が嬉しかったから、一つできるごとに、きっととても喜んで、そしてまた、次の一つへって、そうして、コツコツ、一歩一歩、目の前の小さな小さな「成功」を重ねて、ただただ、登っていったんですよね、きっと。
後方宙返りに大股一歩で届くかじゃなくて、そこにいけたらもちろん嬉しいけれど、それよりも嬉しかったのはきっと「自分に「できた」の体験を、その時感じる喜びを、重ねてあげられること」だったのかもしれません。
そう、今、未来の到達点にいけるかいけないかじゃなくて、ただただ、一つ一つを、重ねていくことを喜べるか。その自分を、一緒に味わい、楽しみ喜んで、よかったね、次はどうしようかって、自分に、伴走してあげられてるか。そこ、なのでしょうね。私からみた晴子さんの清々しさであり、クッキリとした強さは、そんなところから感じるのかも、しれません。
私は、ついその小さなステップをすっ飛ばして「未来の到達点にいけるかいけないか」を「今のじぶん」で測ってしまう。そして「厳しいなぁ」なんてやる前から決めつけてしまう。
あぁ、自覚はなかったけど、私は私を、そもそも諦めていたのかもしれない。できるかできないかで判断して、「そこに向かう私、その日々、その積み重ね」を信じれてなかったのかも知れない。
そして、その日々を、重ねる時間こそを、「楽しむ」ということを。
あなたは、どうですか??
未来に向かう、今日の一歩を、あなたご自身とともに、進めていますか?
それとも未来に望んだ「あの姿の私」と今を比べて「ほど遠くて無理そう」なんて思っていたり、しちゃってますか??
晴子さんが私に教えてくれたことは、とても、大きい。
そんな、晴子さんにとってのトランポリンとは。さらに聞いてみました。
晴子さんが夢中になったトランポリンは、お子さんの大事な体験と成長の場でもあり、子どものスポーツには、いろんな大会もあり、それは、親子で、チームで関わり合いながら、やっていくもの。
トランポリンの楽しさとは裏腹に、一時期はコーチの子どもとの関わり方などでの大きな揉め事やトラブルも、あったようで、どうやらその時期、晴子さんはとても大変な思いをされたようです。
私も、娘がミニバスケットボールのクラブチームに以前は所属していて、行く先々でいろんなチーム、親、こども、監督やコーチをみてきました。
自分の子どもに、一番に活躍してほしい。自分の子どもこそ、成長してほしい。その成長を、認めてほしい。もっと、伸ばしてほしい。
親の多くがそれを我が子に、そして関わるコーチや監督に望みます。そして監督やコーチだって同じように思うでしょう。成長してほしい、活躍してほしい。伸ばして上げたい。子どもそれぞれにかける、思い。それはどれが正しくてどれが違う、どっちが多くてどっちが少ない、ということではなく、「それぞれに違う想いや愛情の形だったとしても、確かな想い」ではあるけれど。
時としてそれが行きすぎたり、行き違いが生じてしまって
本来なら愛情から始まったはずのいろんな人の想いが、
期せずして絡み合い、思わぬいざこざのタネになる
そんなことが、人生には時々、起こってしまうのかも知れません。
お子さんの身近なサポーターとして
そして、大好きなトランポリンプレイヤーとして
その施設のスタッフとして、インストラクターとして。
一生懸命やってきた晴子さんの立ち位置だからこその絡まりがあり
最終的には、店長とともに、施設を退き、新たなるトランポリン施設を立ち上げ、そちらで関わる決断をされます。
新たなる土地を探し、施設を作り、オープンさせ、生徒さんを募り運営していく。
そんな心機一転の時期に、昨年のコロナ禍。
古巣を離れてゼロからスタートさせる、新しい教室。状況は決して楽ではない、けれど、晴子さんの意思は固く、これまでのトランポリンとの時間を支え助けてくれた店長とともに、「私を支え育ててくれた人たちにお返しをするためにも」なんとかこの施設を、軌道に乗せたいと、今心に決めてらっしゃいます。
これまでの道のりと、これからも、頑張っていきたいんだとおっしゃり、思わず涙がこぼれた瞬間の晴子さん。
あの日の、奥底からの、大切にしてくれた人を大切にし続けたい、その恩義を忘れることなく、お返ししたい、そんな強い晴子さんの想い、しっかり、私は感じました。
応援する、なんて軽々しい一言では言い表せないけれど、その晴子さんが進む道を、それがどんな道であっても、私はこれからも、見届けていきたいなと、思っています。
そんな晴子さんが今夏、もう一つの新たなる人生のステージに、立たれます。
DRESS CHANGE 2021
一般女性(20代〜60代)が自分のありたい姿を思い描き、そんな自分のための「私のための最高の一着」をフルオーダーで作りレッドカーペットを歩くランウェイイベント。
昨年初回開催だったこのイベントで、晴子さんと同年代の女性が出場しているのを目の当たりにし、「私も出てみたい」そんな気持ちになり、今年は思い切ってエントリー。
もちろん、多くの葛藤や迷いはあったそうです。
でも。
出たいって思ったなら、やってみようって、迷いに迷いながら、エントリーボタンを押した、晴子さん。
現在、7月の当日に向けて、さまざまなご準備をされています。
今日(4月25日)から始まるクラウドファンディングのページには
こんな言葉が。
いくつになっても美しくなることを諦めない!本当になりたい姿を表現できる女性を増やしたい!その想いをより多くの方にお伝えするため、私たちは、一般女性がランウェイのステージを歩く、大人が表舞台に立つDRESSCHANGEというイベントを成功させ、今を生きる女性に夢や希望、勇気や活きる活力をお届けします!
私の友人知人が、このイベントに携わり、出場もしているので、気にするとでもなく、でも気にしつつ、様子を見続けているのですが
このイベントに出る女性は、本当にすごいなぁと思う。自分自身で、ステージに立つ。ランウェイを歩く。それは、誰のためでもなく、自分で立ちたいと願い、自分で歩きたいと想い、そう思ったのならば、素敵な自分でスポットライトのもと立って歩きたいと、そう願うならなればいいと、自らエントリーして、とことんご自分と向き合っていく、わけで。
どんな一着が着たいか、それを決めることの奥深さ。
何が好きなのか、どんな人でありたいのか、どんな雰囲気を醸す人でありたいのか、誰に、どんなふうに感じてもらいたいのか。
とことん、「自分が着たい世界に一着のドレス」に拘ればこだわるほど、それは「その人のあらゆる要素」が剥き出しになって、その一着の要素となり染み込み、そして醸すものになる。
なんとなくの既製服、みんながそこそこに着れる一着ではない
本物の、プロの、オートクチュールを手がけるデザイナーが、たった1人のために仕立ててくれるその一着を、来て
「私が私として生きていくために、人生の道を歩く決意がごとく、ランウェイを歩く」のだから。
晴子さんは、ここに、エントリーして、出場される。
今頃きっと、たった1人のご自分のためのその一着で、それを纏って歩く、そのためにとことん、ご準備されていることでしょう。
晴子さんが、晴子さんとして、生きて歩んでいくその道に、華を添える一着は、どんな服なのか。それがとても楽しみです。
ここでも私は、思ってしまったのです。
もし自分があと10年後の55歳の時に、このイベントを知って、エントリーするって思うだろうか、その気持ちがあったとして、エントリーできるだろうか、と。
いやぁ・・・・・
きっと、躊躇して、躊躇して、躊躇して、最終的に、躊躇して終わる、と思うのです。だって・・・って、思っちゃいそう。
「世界に一着の私だけの、私のための服」は着たい。その気持ちはある、のに。
でもね、晴子さんはあの日、おっしゃったのです。
迷うし葛藤するし、私なんて。。。って思ったけど、それでも
出たいって気持ちがあったんだから、出てみよう、って思った。と。
胸を、打たれました。
ご自分の気持ちを、その「やりたい」を、不安や迷いを超えてそれでも
「やりたいって思うならやってみよう」
そこには、私だからとか年齢が、とかそんなものはなくて
ただただ、純粋なる
「私がやりたいと思ったことなら叶えてあげよう」という想いが
内側から、内側から、やってくる。
そしてその声を、晴子さんは、聞き逃さない。なかったことにしない。
聞き届け、叶えてあげる。
怖くても、不安でも。
だって「やりたい」って思ったんだから、と。
すごいなぁ。
私は、きっとまだまだ、自分の声を聞き届けられていない、ような、気がしてしまう。
「やりたいな。ケド………」
小さな小さな「ケド……」の弱気な呟き、そこに内包された
こんな自分で人前を歩いても・・・とか
モデルじゃないし、とかいろんな言い訳で並べては
自分の本音を、まぁ、うん、なくてもなんとかなるし、生きてるし、なんて
やってしまうことが、少なくない、よなぁ、って。
晴子さんを見れば見るほどに、思うのです。
私は、一体、何を気にして、誰の、何の声を採用して、自分の望みを、なかったことにしてしまってるのかな。なんて。
あなたは、どうですか?
あの日から、何か「やろう」という気持ちが湧き上がるたび、晴子さんを思い出します。
「やりたいって思ったなら、やってみよう」だよね、と。
歳を重ねるってとても素晴らしいこと。
でも、歳を重ねるから、知らず制限してしまう自分だって、実はいて。
でも、でも。
「やりたい」その気持ちを、その心の声を
一番身近で、一番そばで、聞いてるのは紛れもない私で
それを諦めているのを
一番身近で、一番そばで知っているのも
思ったなら叶えてあげようって決めるのを
一番身近で、一番そばで知っているのも
私
なのですよね。
じゃぁ、どのあなたで、いたい?
どうして、あげたい?
あなたは自分に、どんな経験と感情を体験させてあげたい?
シンプルに、シンプルに。
そう、問いかけ問いかけ
湧き上がってきた答えを、叶えてあげたいもの、ですね。
晴子さんのように。
あの日、晴子さんの耳に輝いていた、マクラメ編みとスワロフスキーのピアス。
とても細やかに揃った網目に、キラキラと美しいスワロフスキーの輝き。
対談の時から「テリのある石だな〜、スワロフスキーかな〜」と思って見ていたのですが、なんとこれは晴子さんの手作り。
以前から色々なハンドメイドを経験されていて、現在はマクラメ編みのインストラクターとしても、ご活躍中。たくさんの作品が、インスタグラムにずらり。
これもまた、とても目が細かくて繊細な作りのものばかり。お話を聞いた後なら、きっとこれも、一つ一つ、丁寧にコツコツ、編み続けた、晴子さんの丁寧さが十分に頷けるし、感じられます。
できるかできないか
できる理由があってできない理由があって、ではなくて。
理想の、なりたい自分、目指したいゴール、その姿にそのゴールにいけるかいけないかの勝手な予測じゃなくて。
やりたい
なりたい
そう、思ったなら
一歩ずつでいいから
歩いたらいいんだよ
一歩ずつね
楽しくね
道が遠いからと諦める前に
まず歩き始めたらいいんだよ
一歩ずつ進めば必ず
近づくし
歩むことをやめなければ
諦めなければ
いつか、届くのだから。
晴子さんはきっと、ご自身の生き方でそれを伝えてらっしゃる方のように
私は、感じています。
年齢が、なんだっていうの?あなたの気持ちはどこにあるの?
そんな風に聞こえちゃうなぁ。
10年後、また晴子さんのストーリーを書けるくらいに、
書いてと依頼されるくらいの、やりたいことをやってきた55歳の私でいようと、思います。
そして、こんな風に、軽やかに可愛く、笑っていたい。
晴子さん、この度はありがとうございました!
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