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その全てで楽しみながらランウェイを。〜串田かなめさん〜

私が感じたあなたの魅力を切り取り綴るshutter

ご依頼者様と対談を通して感じたこと、気づいたこと、その、魅力。ライター視点で存分に書かせていただく企画です。


母でもなく、妻でもなく。一人の私として。

そんな言葉が行き交うことが多い昨今。わからなくはありません。確かにそうだとも思う。

母親になることで、私たちは必要以上に「母親になろうとしてしまう」ことや「【いい母親】になろうとするあまりに、本来の自分を押し込めてしまう」要は「母親という役割で自分を包み隠してしまう」ようになることが、少なくないから。

でも、実際はどうなのかというと

やっぱり、必要なもので。「母親」という自分だって、「妻」という自分だって。そう、なくてはならない自分の役割であり、大切な側面。

だから思うのです。

「母でもなく、妻でもなく、一人の私であろう」よりも

「母でもあり、妻でもあり、あらゆる全てで私であろう。」

そんな風に思って生きることができたら、私という存在のすること全てを内包して、受け入れ、そしてその中で心地よく生きれたら、最高だろうなって。

そう、役割の中に「私」があるのではなく、私の中に役割がある

私を切りはりすることなく、全てを私として生きるだけ。


母であり、妻であり、はたらく人であり、いろんな役割を生きる私がいて、全ては私である。


もうすぐ開催される「ドレスチェンジ2021 Mask Of Princess」に出場される、串田かなめさんは、そんな「私」を育て上げ、7月2日の舞台に立たれるのではないかな。

今回のshutterは、4児の母親であり、そしてまた、ハイヤーセルフを味方につけて、幸せマックスな未来を100%叶える スピリチュアルヒーラーでもある、串田かなめさんをご紹介します。

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私のライティングは、メモも録音もしないことが一つのユニークさになっているようですが、メモも録音もしないことで、お一人お一人との対談を通して残るものは全く違い、お聞きした話がストーリーのように記憶に残る場合もあれば、不思議と、ごく僅かな部分だけが強い印象として残る場合もあります。

かなめさんの場合は、後者。ピンポイントの言葉や印象が強く残っていて、後の点はゆらりとたゆたう記憶。だから。こうして書いていて、これがどんな文章になっていくのか、自分でもわかりません。運命に委ねます。でも、全ては必然で必要と思っているので、今ここで残っていることと、表現していくことが、何かのベストなんだろうと思って、したためます。 


名古屋からお越しくださっての対談。びっくりしたのは「4児の母」であるということ!

私の二倍!(私は女子2人の母親です)

それもまだまだとても小さいお子さんがいらっしゃる。3歳〜小学3年生のお子さん。

4人のお子さんがいる生活の多忙ぶりを想像して・・・

そして、私が娘たちが2〜3歳だった頃の日常を思い出し、つい思ったのは「どうして名古屋のかなめさんがここにいられるんだ?!!」ということでした。笑 私は娘たちが小さい頃、子育てと暮らしに精一杯で、自分のために時間を使うことなんて、ほとんど考えられなかったのです。ましてや、新幹線に乗ってこうして遠く離れた地に出張するなんて、そもそも選択肢にさえ浮かばない、空を泳いで宇宙に行こうとするようなもの。

なのに、今目の前にいるかなめさんはそうじゃない。かと言って「無理くり自分のために強引に動いてる」感もない。とてもナチュラルで、力みなく、私との時間の前にいてくれる。

なぜどうしてこれが可能なのだろうかと、思ってしまったところから、この対談は、スタートしました。


我慢している自分に気づいた

あの時のかなめさんとのやりとりで印象深かった言葉。

二人目のお子さんを出産された時のこと。それまでは子育ても楽しむことができずに、イライラしたり、自分にも我が子にも、暮らしにも仕事にも不満を持て余していたかなめさんが、バランスボールのレッスンに参加したことが、変化の始まり。

今からもう5〜6年前でしょうか。


やってみたバランスボールが、すごく楽しかった


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本当にシンプルに、その気づきから得たものがとても大きかったそうです。

子育てをするお母さんとして、自分を枠の中にはめ、すごく、我慢していたし、楽しいことをしてなかったんだ、と。

だから、自分を楽しませることを、そこからは選んでゆくようになったそうです。


この、率直さが、本当に素晴らしいなぁと。


私の娘はもう高校生で大きいので、子育てに忙しかった時期はもう15年も前の昔ですが、それでもあの頃を思い返してみると


子育てに忙しすぎて、自分が母親という役割、そこで「やらなければならないこと」や「いい母親になるために」というものに埋没させていた自分がいたこともわかっていたのに、それでも私は「母親という役割に生きる自分」に囚われ、それをなかなか手放すことができなかった。

頭の中で勝手に作り上げていた「いいお母さんってこういう存在」という答えの枠の中に自分を当てはめようとしていたし、そこから抜け出すことはいけないことと、罪悪感がなかなか拭えなくて。一方で、もっと楽をしたい、自分のために生きたいという自分ももちろんいて、その綱引き状態がしんどいなーと思うことも、何度もありました。

こんなにシンプルに「もっと楽しさから生きよう」とは思えずにいたんですよね。時間をかけて、少しずつ、楽しさから生きることへの許可を増やして、今に至る気がします。


でも、かなめさんは違った。


楽しさを感じて、楽しさを我慢していた自分に気づいた、

だから、楽しさから生きようって思った。


本当にシンプル。でもそのシンプルこそが全てな気がします。

そのシンプルなことさえ、できないままの人がどれだけいるんだろう。


だって、でも、どうせ、と言い訳つけたり

こんなことしたら、誰かに何か言われるんじゃないかとか

嫌われるんじゃないかとか、思って。


でも、今この時代に何より大事なのって、このシンプルさじゃないかと私は思う。


私たちは、ついね、名目とか意味とか、大義名分があることなら、自分にOKを出しやすくなっているのです。誰かのためとか、何かのためになるとか。

そして、そうじゃない・・・


ただただ、理由なくやりたいと思っただけのことには、案外OKが出せない。

だってそんなことやって意味あるの?とか、役に立つの?とか、仕事にも何にもならないよね?とか言っては。


もう、そういう言い訳から自分を正当化して生きるような時間からは解放されていい、そんな時代になってきてるんじゃないかな

私は今、肌でそんなことをますます感じています。


とは言えもちろん、かなめさんだって、最初からうまくその道に、ロイヤルストレートフラッシュのように、上がっていたわけではなくて。

もともと、文系だったけれどお勤めすることになったSEとしてのお仕事。4回の育休を通してお勤めされ続けた中では、もちろん、いろんなことがあったし、

楽しさで生きようと思ってからも、いろんな資格をとったりしながら(バランスボールのインストラクターや、体力指導士、親勉などなど、たくさん学ばれています)、「私として生きる道」を色々試行錯誤されて。資格に頼っても、自分としての自立が手に入るわけではない現実に直面したり、起業しようとしたものの、それがすんなりと形にならない日々もあって。

でもそれでもきっとかなめさんは、あの初心を忘れずに進んできたんじゃないかと思うのです。この5年を、「私は楽しさで生きて行きたい」と。

そして「楽しさで生きていった先の未来」を思い描き、自分の中の内なる自己・・・ハイヤーセルフとの対話を、「未来の私からの言葉」を受け取り続けてこられた。

その道を歩み続けてきた先で、今かなめさんは

子育ても、パートナーシップも、お仕事先の人間関係も、どんどん好調になり、その経験を生かして

なりたい未来を描きながら、「SE時代に培った分析力と設計力」を生かしつつ、ハイヤーセルフを味方につけて、幸せマックスな未来を100%叶える スピリチュアルヒーラーとして進むことを選ばれ、2019年に50人セッションをスタート。2020年は予言カフェとして、8ヶ月で約70人の方のセッションを実施。

現在は「未来会議」として、多くの人が少し先の未来を思い描きながら、かなめさんとともに叶えたいビジョンを描き、それを叶えています。

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今はオンラインがどんどん主流になっていますが、その中にあって私がこのshutterを「対面」で行っているのには、理由もあって、それは「肌で感じたものほど正確なものはない」と思っているから。

為人は何より、その表情や立居振る舞いから現れる「雰囲気」となって、その人を表します。それは、リアルに対面してこそ感じられるもの。

時代に逆行していると言われても、やっぱり私はそれを大事にしたい。


あの日のかなめさんから感じたものは、くすみやひずみのない、とても正直でするんとまっすぐな、健やかさ、でした。

本当に、それに尽きるのです。

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なんと曇りのない人なのだろう、と。


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お話しされる表情に、かなめさんの全てがあらわれている気がしてしまった、あの日。

彼女は私と話していて、いつもこうして少し上を見上げ、笑うのです。

未来を描き、それを信じている人の視線だなぁと、思う。

鬱々と、過去に生きる人は、この目線はできない。いつも少し下を向いては、過去の話、できない言い訳、自分ではない誰かや何かのことを語る。

かなめさんは

真っ直ぐ人を見て、そうして、思いを馳せる時はいつも見上げている。

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起業の人がたくさんいるこの世界・・・・SNSの世界に身を置いて10年、いろんな人たちを遠くから近くから垣間見てきました。

そうして思うこと。


最終、正直な人が残っていくし、正直に素直な人ほど、人と気持ちよく繋がれるし、結果、幸せな未来を繋ぎ続けていくのではないか、と。

かなめさんはきっとそんな人だと思うし、彼女がSNSやブログで綴る言葉たちは、いつだって楽しげで健やかだなと、私は思っています。

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そんな彼女が、今チャレンジしていること、それが

Dress Change 2021 Mask Of Princess

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いろんな役割や立場を生きる女性が、世界にたった一人の唯一かけがえのない存在として生きるならば、どんな自分で生きたいのか。それを明らかに、私として生きることこそが自立であり、そんな女性を増やしたい。だからこそ、「私のためのオーダメイドの一着」を身にまとい、ランウェイを歩く。昨年初めて開催したイベントが、多くの応援を得て今年も開催されます。

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2回目の今年、かなめさんもエントリー。3日後の7月2日にはランウェイを歩かれます。この半年は、そのために・・・私として、どんな姿でランウェイを歩くのか、ご自身と向き合いながら準備された時間だったのだろうと。

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タイムラインでお見かけするかなめさんは、どんどん、きれいになられて。


とは言えかなめさんは、このイベントに出場することがそもそもの目的だったというわけではなくて。

ご自分のことを受け入れ続けながら、楽しさと共に生きようと、望むご自身の姿を描き続けた先で出会った、植吉紘子さんのボディメイク。

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そこで、ご自分に与えられた体の魅力を生かすことの大切さに出逢われます。

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与えられたこの体は「ギフト」であり、それぞれの体つきに魅力がある、だかこそ、自分に与えられたその体、ギフトを「手札」として最大に活かし、美しくなる

画一的な美しい体になるのではなく「私に似合う美しい体になる」ため、ボディートレーニングを続け、体が劇的に変化することを体験。もっと、綺麗になれる、なっていい、そんな未来を見たい、そう思えたときに見つけたのが、このDress Change のエントリー告知。


「出たい」


そう思った気持ち一択で、エントリー、そして出場権を獲得。

私とお話しされた時も、かなめさんはおっしゃっていました。「他の人は、ドレスチェンジに出たい、というのが1番の目標でエントリーされたと思うけれど、私はちょっと違っていて・・・・もっと綺麗になれるし、なりたい、だからボディトレーニングを受けていた、綺麗になれるんだな、もっとなっていこうと思った、その中でこのドレスチェンジを見つけて、「出たい」って思ったんです。」と。

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あぁ、やっぱり、正直でまっすぐで素直だ。

出たいって思った、だから・・・・怖い気持ちもあったけど、エントリーした。


楽しさを感じて嬉しかったなら、楽しさを選ぼう。

出たいと思ったなら、出るための選択をしよう。


夢を叶えるって、大それたことじゃきっとなくて

ただただこうやって、したいと思ったことのための一歩を自分で歩むだけ、なのだろうな。

そして、叶えたい未来に近づく一歩を、今日も明日も、進むだけ、なのだ。


それを、ひたむきに、着実に、今日の一歩を重ねているかなめさんだから、きっと、なりたい未来をマックス叶えるセッションができるのだろうな。

誰より、かなめさんがご自分の未来を・・・叶えてきてるから。


だから、かなめさんにとって、きっとこのDress Chenge は、ゴールではなく、「大きく大切な通過点」

きっともう、Dress Change の先の未来を、かなめさんは、描いているような気がします。マックス幸せな、未来を。そしてそれを、叶えられるのだろうな、と。

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楽しさとともに生きる

やりたいと思ったことをやる


私が、心が、それを望むなら、叶えてあげる


あと三日で訪れる、ランウェイ本番。

かなめさんはどんな姿で歩くのだろう。


でもきっと、その日の全てを、味わい楽しんで一歩一歩、歩まれるのだろうなと

あの日の真っ直ぐな笑顔を思い出し、私は思わずにはいられません。


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私は私を楽しみたい

だから

私が私を楽しませてあげる

やりたいことを、やる


そんな風に生きる姿を見る、かなめさんのお子さんたち。


子どもというものは、親が言ったことよりも「親がしていること」を必ず見ています。


生きるとは、自分であることを楽しむことだ

自分であるために、楽しむのだ

やりたいことを、叶えてあげるのだ

未来は、マックス幸せなのだ


そんな、無言のメッセージを、きっと母親であるかなめさんから受け取っていることでしょう。「生きるは楽しむこと」と。これほど素晴らしい子育てはないなーと思う。


だから、ますますと

ランウェイの道を、堂々たるお姿で、歩ききってほしい。

いや、きっと歩き切りますね。^^

未来の幸せマックスな姿のための、一歩として。

そう、それは、ゴールではなく、未来へ続く、通過点、一歩、だから。^^



ランウェイが終わったら・・・・

私もかなめさんに、幸せマックスな未来を叶えるための、未来会議、お願いしようかな。


いつだって、今と未来に希望と可能性を持って、笑顔で空を見上げて、生きてゆきたいですものね。

さて、今日この日をどうやって歩こうかしら♪ と。^^

   

かなめさん、この度はお会いできたこと、嬉しかったです。本当にありがとうございました。また、お話をぜひ聞かせてくださいね。

   


かなめさんのブログ


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