My Nostalgic Life 〜フォトグラファー東山弥生さん〜
私が感じたあなたの魅力を切り取り綴る shutter
この企画は、あそゆかがご依頼者様と対談、感じた魅力をあそゆか視点で遠慮なく書かせていただくというもの。2021年は100人の人の魅力を切り取る「100人ライティング」にただいま挑戦中です。
今回は、100人ライティングをしようと思う、と言った私に、真っ先に申し込んでくれた、友人でもある フォトグラファーの東山弥生さんをご紹介します。
まず、今回、彼女から執筆の依頼をいただき
こうして改めて彼女とひと時をともに過ごしてみて思うのは
今のこの、彼女に出会えたことが、私はとても、嬉しい。
共通の師でもある、人柄写心家丸山嘉嗣さんに出会ってから
記念の記録のためでもなく、思い出のためでもなく、
「自分の人生をもっと輝かせるために写真を撮る」という世界を知り、
この3年で私に「心を写す【写心】の世界」が大きく広がりました。
撮られることから生まれる気づきや変化
その波及の大きさ
そして
こんな色で撮りたい
こんな風に切り取りたい
写真を撮ることで見えてくる
「私の世界の見方、好きなこと」
そして
「こんな世界が見たい」と言う、望み。
世界が、ふわりとカラフルに、なり
その広い写真の世界の中で出会った彼女は、
「これからも撮り続けてもらいたいと思う写真家の一人」
だからこうして今彼女のことを綴ることができることは
嬉しくもあり、
さて、どの側面から書こうかな、と、相当に、悩ましい。
でも、正直に言うと・・・
弥生ちゃんに撮ってもらおう、と思えるまでには
ちょっと、時間がかかってしまった。
(敢えて今回は、親しみを込めて弥生ちゃん、と書かせていただく。)
それはなんでかって
彼女は長いこと
黄昏・・・と言うか
悲恋の世界にいる「悲劇の憂いの人」だったから。
(ごめん、弥生ちゃん。正直に書くね。)
今回のshutterは、悲恋の弥生の
あの時と今を、
「あそゆかに一任する」と言ってくれた彼女に遠慮なく
わたしが感じたままに。
正直に書かせていただこうと、思います。
儚げは悲劇の世界と紙一重
弥生ちゃんを初めて見たのはFacebookだった、と思う。
記憶に一番残っているのは
私たちの写真の師でもある丸山嘉嗣さん・・・つぐさんが撮った
彼女の写真。
透明感の人だなーーー。
そんな、第一印象。
この写真から約5ヶ月後、だったかな。
2018年10月。
「好き」を仕事にするための講座で、私たちは出会います。
彼女は独特の雰囲気を持っていて。
テンポが、ちょっと違う。
人それぞれ、その人の生きるベースになるスピード
みたいなものを持っているなと感じるのだけど
弥生ちゃんから感じられるそれは
なんとも、独特。
京都出身で
なんともまろやかに京言葉を話すのも
その一因、だとは思うけど
私にとっては、彼女のテンポが
「ちょっと想定をずらしてくる」感じがして。
対話のやりとりの「間」が、
一呼吸の、さらにもう半呼吸、みたいな
音階で言うなら、ファでもなく、ファ#でもなく
ファ#とソのその間の音、みたいな。
当時、彼女と話していると
ただ、ゆっくり、ではない、
「不確定な揺らぎの波」の中でうつろうように対話をしているような気持ちに、よくなって。
ペースが、掴めない。
ゆっくりで、そして
何かが、とろんと私をなだめすかしていく。
言葉の後の微かな残り香が、足元に、落ちていく。とろりと。
そして返ってくる言葉も
なんとも儚げ、なのである。
儚げな彼女の目線は
ほんの少し、どこかの世界をうつろって、
この世界に言葉をポトンと落とす。
「そうなんよ。」
「そやな。・・・それって、◯◯、やな。」
そっと視線を落として、返事する。
そんな感じだったから。
弥生ちゃんて、何に黄昏てるんだろう。
どうしてこんなに、儚げなんだろう。
これが、正直な感想。
掴み難い人だなー
でも、その掴み難さ、が
弥生ちゃんへの興味になっちゃうんだなー
ずるいなー、この独特感。
そんな感じ、だったけど。
話していくうちに、
その、とろりとした揺らぎがなんなのか
少しだけ、感じられるようになってきて。
あの当時の弥生ちゃんは
「望みがかなわないことを悲観」していたし
その悲観の世界に、いた、きっと。
だから、話していても
何かと「憂い」があって。
全部がうまくはいかないこと、
それを諦め受け入れなければいけないだろうため息と
人と人との関わりの難しさ
自分は尽くしても報われない事への落胆と悲観
手にしたいものが、届かないことへの、黄昏を
いつもどこか携えて
もう、そういうことなんよ。
視線を落として、ポツリと言う。
でもその一方で
もっと。
幸せになりたい
愛されたい
私だって、欲しい
人生、自分で、掴みたい。
それが、チョロリと、でも
とっても物欲しげな
底力のマグマになって
伝わってくる。
諦めや憂いの裏にある
幸せへの、切望と渇望、羨望。
もう、そっちに、いきたいんだ。いくねん。
でも、それは
なかなか手に入らないんだもんって、思っていそうで
いやむしろ、あえて自分にそう言い聞かせている
そっちを選んでる、そんな感じもあって
でも、本当は欲しい。
綱引きしてる、ような。
そしてまた、視線を落として
思いを馳せるように、ふっと、遠くに視線を泳がせる
むーん。
わたしにはできない表情だ・・・
そんなに人生って切ないのかなぁ
なんでそんなに、遠くを儚げに見ちゃうんだろ。
ないものはないけど
あるものだってあるのにな。
現実って、そう・・・悪く、ない、よ??
弥生ちゃんの世界って、ちょっとむつかしーなー。
正直、そんな風に思っていた時間は
短く、ない。
私自身に
人生の深みを捉える視点が少ない
とも言えるのだけれども。
でも、そんな彼女のことが
嫌かと言うとそうじゃなくて
不思議と
同士のような
仲間のような
そして時々姉のような
そんな繋がりの予感、もあって。
私たちの間の距離感も
きっと、ちょっと独特だったような気がする。
あれはもしかしたら
互いの背負ってきたものと和解したときの
ど真ん中の思いの糸が
私たちをつなげてくれてたのかも、しれないな。
今と未来の喜びのために、繋がっていこうね、と。
だから、思っていたの。
弥生ちゃんが悲劇の世界から足、抜け出したら
私、撮ってもらお。って。
軽やかに笑い合って、撮影してもらいたいな、って。
うん、きっと、わたしにとって弥生ちゃんは
未来で落ち合いたい人
だったんだろうな。
出会った当時の互いが
まだまだこれからな場所にいることがわかってて。
慰め合わない。
傷なんて、舐め合わないよ。
話もするし聞くけれど
悲観の世界に同情なんてしない。
お互い、今よりもっと素敵になった未来で
肩組もうぜ、
そこでこそ、だよね。って言う。
きっとね。
だから、わたしはわたしの人生に
夢中(時に必死、時に狼狽、時に翻弄、時に脱落)してたから
正直、弥生ちゃんがどんな風に
この時間を向き合ってきたのかは
知らない事の方が多いかもしれない。
でも、いつもどこかで思ってたな。
この先で、望んだ姿で、もっと繋がろうね、って。
いけるよね。いくよね。
だから、わたしも自分の時間を進むよ。と。
悔しい夕陽の始まり。
今回shutterの依頼をいただいて
初めて弥生ちゃんのこれまでの流れを
聞かせていただきました。
2021年1月。七里ヶ浜のbillsにて。美味しいものが好きな弥生ちゃん。
派遣でPC関連のお仕事について
息苦しかった実家を出て、一人暮らししながら、お勤めして。
営業アシスタントの仕事を通して、教える事の楽しさに出会って。
結婚して出産、大阪から東京へ。
そして、母の時間にどっぷりと。
寝つきの悪かった我が子との時間を変えたのが
ベビーマッサージ。
そこから、資格を取り、
さらにはベビーダンスに出会い開眼し
おんぶと抱っこのインストラクターにも。
キャンセル待ちになる人気の先生として一時期を過ごすも
忙しさに見合わない料金設定にじわじわと疲弊。
そうしていくうちに
心のうちに積み重なっていった、不満や不服。
報われなさ。
どうして、うまく行かないんだろう。
でも、母親のわたしなんて、主婦の生き方なんて
きっと、これでも、不幸じゃないし
十分、幸せなんだろうし。
そう、言い聞かせ、なだめすかして、一人のわたしとしての本音や生き方を、
その道を諦めて暮らしていた頃。
ある日の夕暮れ時の多摩川でふと見た夕日を
どうしても、撮りたい!そう思った衝動が
彼女の転機だったそうです。
お父様が写真を撮る方で、譲り受けた一眼レフカメラも
実は持っていたのに、活用していなかったその頃。
ふと多摩川を見れば
写真を撮っている人がたくさんいて。
この夕日を撮りたい。でも、今、カメラ持ってない!!
撮りたいのに!!!
あれはもう、衝動だった、と。
どうしても、撮りたい。
そんな気持ちが、抑えきれず
次の日に一眼レフカメラを携えてもう一度多摩川へ。
その時の写真がこちら。
どうして、写真撮ってこなかったんだろう。
そう、思ったそうです。
そしてね、シャッターを切るのが楽しくて楽しくて
そうしていたら、涙がいっぱい、溢れてきて
とめどなくね
ずっと、
楽しさよりも「正しさ」「しなきゃ」を
そして
自分を幸せにする選択ではなく
自分を諦め妥協させる説得ばかりしてきたことに、気づいてしまった。
母なら、主婦なら、この生活で十分よね、なんて
本当は、諦めたくなんて、なかった。
写真が、楽しい。
もっともっと、撮っていきたい。
もっともっと
わたしの「好き」を選んでいきたいんだ。
この、一眼レフのシャッターを切り始めた時が、弥生ちゃんの大きな転機。
そこから、写真を習うことを決意。
(この写真の約2週間後!)
つぐさんのマンツーマン講座で写真の世界へ。
そのマンツーマンレッスンの時の写真がこれ。2018年2月。
当時わたしはまだ彼女と繋がっていなかったはずなのに
この時の投稿をどこかで読んだことは、覚えているんですよね。
なんとも純粋な楽しそうな横顔。
わたしもこんな風に、夢中な少女みたいな顔する瞬間
あるんだろうか。
こんな顔ができる時間を増やしていったら
老けようがないよね。
そんなことを思った記憶。
ここから、弥生ちゃんの人生は
新しい舵を切り始めたのだろうな。
不幸じゃない、母なら、わたしには、このくらいが十分幸せなはずと、
言い聞かせて妥協する生き方ではなく
幸せと言えるための選択を自ら選ぶ生き方
「わたしがわたしを幸せにする生き方」へ。
わたしは、彼女がその道をあゆみはじめた頃に出会い
その変化のこの三年を、少し離れたところから感じてきたのだと思うのです。
人は習慣の生き物。
思考も物事の感じ方も、その反応も
幼い頃から身につけ染み付いてきたものを
無意識のうちに選択してしまうし
それがその人の人生を作る。
だから、それを変えるって
地道な修正作業の繰り返し。
妥協して生きてきた自分に気づいたからといって
いきなり妥協ゼロの自分になんてなれなくて
望む生き方、選択(慣れない新しい方法)と
染み付いた、本当は望んでなかった、習慣の選択を
行ったり来たりしながらすすむもの。
時には、ぐいんと引き戻されたりも、する。
そこを超えて、グッと、進める時も。
それでも、すすむ。
それでも、望む生き方を、見据え直して。
弥生ちゃんはその道を
カメラとともに
写真とともに
歩んできた人。
あの多摩川の夕日を撮りたいと思った日から
弥生ちゃんにとっては
写真を撮ること
シャッターを押すことは、きっと
自分自身への誓いのようなものなのではないかな
「これが好きだと言った自分を
わたしはずっと、選び続けるんだ」って言う。
あの日の自分を、
好きに出会って泣いたわたしを
もう、見放さない。
そんな、ね。
だからこそ、きっと今日まで進んできたのだと思う。
深い過去は聞いてないけれど。
ずっと、長いこと、憂いてきちゃったから。
自分を諦め説得したり
誰かのためにいい人したり、我慢したり。
そうやって、生きてきちゃったけど
でも
もう、それは、十分したよね
だから、もういいよね
わたしの「好き」を「楽しい」を
選んで、いいよね。
選ぼうね。
欲しがっていいし、
自分の声を、もう、うんと聞いてあげていいよね。って。
そうやって一つ一つ確かめながら
一つ一つ、自分に許可を、赦しを手渡しながら、
進んできたんだと思う。
憂いを手放し
望みに手を伸ばし
カメラと、写真とともに。
どんどん、変化していった弥生ちゃん。
それは写真を見れば、明白。
2018年春
2018年秋
2019年早春
2019年春
2019年夏
2020年春
2020年夏
2020年12月
撮ったカメラマンさんは、様々。
どんどん、綺麗になって
どんどん、軽やかになって。
黄昏だった目線は、
うつろうことなく今にいて
いっぱい、笑うようになった。
2020年春 あそゆか撮影。
この間に、
お子さんもいる、母でありながら、
カメラマンとして100人撮影も達成、
現在は年間2回、50人撮影を実施。
日頃から多くの女性の写真を撮り続けていて
そしてその写真が、どんどん、変化してる。
弥生ちゃんが、
自分の好きを、やりたいを、その道を選ぶほどに
美しく、軽やかに
歳を重ねてなお、艶を増したように
彼女の写真もどんどん、女性ならではの
しっとりとした質感を持つ写真へと変化して。
出会ってから2年近くたった昨年
2020年、夏。
50人撮影に挑む彼女に、撮ってもらいました。
倍額払って、お願いしたの。
「この金額で撮影している、未来のプロカメラマン弥生で
わたしを撮って!」と。
彼女が撮ってくれた写真には
これまでとはまた一味違うわたしの姿が、そこにありました。
今を撮っているのに、どこか、ノスタルジック。
そこには、あたたかく愛しい懐古のような
不思議な温度があって。
そして、こんな写真を撮ってくれた彼女は
とても、嬉しそうで、楽しそうで、幸せそうだった。
過去を憂い、今も憂いて諦めの目を遠くに投げる弥生ちゃんは、
そこにはいなかった。
すごく、撮影を楽しんでいて。
それが、とても。
嬉しかったな。
あの、多摩川の夕日を撮った日から。
たくさん写真を撮られ、
たくさん写真を撮って。
やよいちゃん自身が、体験して
何より知っている。
自分の好きを、自分で選んで生きる
諦めない生き方を
その、歩み方を
自分を、見放さずに生きたら
女性は、年齢を重ねてもなお
艶やかになれるし、美しくなれるし
人生は
歳とともに諦めていくものではなくて
歳とともに、面白みを増していくものなんだ、ってこと。
それを、自分でつくれるんだ、ってこと。
そして、
写真は、そんな風に生きていく誰かの
生きた証になること。
証としてだけでなく
選びたい未来を、指し示してくれるもの、
道標にだってなるんだ、ってこと。
自分が決めさえすれば、誰もがそう生きれる
けれど、
時として一人でそれを貫くのは、難しい時もあるのを知っているから。
そう願う女性をわたしが、応援していきたい。
そのために、これからも
カメラと、写真とともに、生きていきたい。
そうして、遺されていく写真は・・・・
諦めや妥協から生きた過去は憂いになるけれど
あなたがあなたのために選んで生きた過去は
あたたかく愛しいノスタルジーになる。
自分のために
その好きや喜びのために人生の選択を
そうして、美しく今と未来を生きて
あたたかく愛しく過去を振り返ることができる人生を
その証となる写真を、
自分にも、誰かにも手渡していきたい人。
それが、弥生ちゃん、
フォトグラファー東山弥生だと思うのです。
わたしはもっと、わたしになる。
だからあなたももっと、あなたになれる。
憂う過去を積み重ねるのではなく
あたたかく、懐かしめる、愛しい過去を積み重ねていくように
今この時を、わたしの心を抱きしめて、
本当に好きなこと、やりたいこと、楽しいことを
選んで、いきましょうよ。
一つ一つの悦びのひとしずくをあなたが選び続けたら
あなたはどんどん、潤って、美しくなるのだから。と。
わたしが、そんなあなたを、撮り続けますよ、って。
弥生ちゃん。
お互い、いきつ戻りしながらも
結構、いいところまで進んできたね。きっと。
出会えてよかった。
あなたはわたしの、心の同志です。
ほんとねぇ。
気づくとす〜〜〜ぐ、弱音吐いて泣き言言って
人と比べて嘆くんだから。暇人め。笑
もうね、そう言う時は、これからも遠慮なく
「それ、脇見だから!」って言うからね。笑
一緒に嘆いてなんかやらないからね。
そしてこれからも
そうやって生きていくわたしを、撮ってください。
あなたが写してくれるわたしが、
わたしは、とても好きです。
斎藤工が大好きな弥生ちゃん。
彼女に会ったときにはぜひ、彼の話を。
もう・・・・
でろんでろんのニヤニヤの顔になって、喜んで
よだれをたらしそうな顔で、工の良さを語ってくれます。
写真集を持ってて、夜な夜な、眺めてはにやつくとかそうじゃないとか。
これは、斎藤工にうっとりの証拠写真。ごはん食べながら、ずっとたくみ。
弥生ちゃん。
これからも自分にたくさんこんな顔を、させてあげてね。
嬉しい話を
楽しい話を
これからもたくさん、聞かせてください。
嘆きは、時々だよ。時々!笑
フォトグラファー東山弥生のページはこちらから。
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