Shutter Vol.3 野本由美子さん ~星とともに歩んできた8年、そして10年目へ~②
私が感じたあなたを切り取り 綴る shutter。
三人目は、東京都で占星術・・・「星詠み」とともに起業、メデル株式会社の代表取締役 野本由美子さんをご紹介します。
占星術でも星占いでもなく「星詠み」
星を読み解き、
星とともに豊かに生きるためのヒントを伝える由美さんは
どんな人なのか
まずはその大まかな経歴を。
親子2代で理髪店を営む家に生まれ育ち、
大学卒業と同時に日本香堂に入社、11年間勤務。
お子さんの妊娠&出産をきっかけに
産後の女性の心身をサポートするNPO法人「マドレボニータ」に出会い
参加者から始まり、関わりを重ね、事務局メンバーとしても活躍。
そこで、恩師となるまついなつき先生に出会い、占星術の世界へ。
WSに参加するうちにその面白さの深みへとハマり
「占星術の講座をやってみたらいいのに」の一言がきっかけとなり
2014年夏、占星術WSスタート。
口コミで星詠みの依頼が続き人気になり、
2015年、占星術一本で仕事にすることを決意、
主に起業家をお客様として
星の動きを味方につけたビジネス成長をサポート。
以来口コミと紹介で星詠みを続け、業績は右肩上がり。
2017年、法人化。メデル株式会社誕生。
現在、法人化3年目を迎えます。
2022年、独立10周年を迎える予定。
こんなかっこよすぎるキービジュアルから連想する由美子さんは
ビジネスに精通したクールビューティー
と思い、待ち合せの新宿へと向かったのですが。
私の予想とはちょっと裏腹に
待ち合せのカフェに訪れた由美子さんは
静かで、
でも
その日纏っていたオレンジのカーディガンの温かみが
そのまま、お人柄・・・
心の中の情熱に感じられるような方でした。
クールビューティーな代表取締役とお会いするのか、と
ちょっと(かなり)緊張していた私は
思わず、肩の荷が下りまして。
ふたりで
イチゴのスイーツをいただきながらのインタビューとなりました。
初めましてでも、不思議と・・・・
カチカチとした緊張はなく・・・
私の正面に座る由美子さんからは
ご自身のベースを、静かに守られている
それは・・・相手を隔て遮る「殻」とはちょっと違う
土台を持っている人の安定感、というのかな、
それが伝わってきて。
「これまでも、経歴は書いてもらってきたけれど
私のことを知らない人にそれを書いてもらいたい。
独立して8年、もうすぐ10年の節目が来るから
これまでをまとめてもらいたいなあと思っていて・・・」と
淡々と、でも、決して冷たくなく
静かに、冷静に、
ご自身の歩んでこられた道を
少しだけ、上から・・・俯瞰されたようなまなざしで
話し始めてくださいました。
◆家が自営業だからこそ選んだ、会社員の道。
もともと、ご実家は親子2代で営む理髪店。
祖父と祖母、父それぞれが理髪店を守り抜く姿を見ていた
おばあちゃん子。
壁1枚隔てて、家族がそこで働いているのが日常の中
自営業で、自らお店を仕切り、育てていくことを
肌で感じ続けていた由美子さん。
そこには、学ばずとも心身に染み入ってゆく
経営感覚があったのでしょう。
言葉以上に感じる、伝わってくる
経営の楽しさ、深さ、むつかしさ。
自営業というライフスタイルが与える、
さまざまな家族への影響。
今振り返れば
家のことをこなしながら
家業の経営を引き受け守り抜いていた祖母の姿が
由美子さんにとっての人生で初めて出会った
ワーキングマザーのモデルだったのかも、知れません。
だからこそ・・・・
「仕事に就くときは、会社員を体験してみようと思った。」
と言います。
自分が見たことのない、経験したことのない世界を、あえて選ぶ。
そこの世界で体験することを、血肉にしたい、と。
大学卒業後は、大手企業 日本香堂に入社。
営業職に就き、会社が掲げる目標、成績達成に向けて仕事に専念。
入社当初から
「いつか取締役になりたい!」
そう周囲に宣言してたそう。
実家で染みついた「経営者であること」のDNAでしょうか。
「会社の規則を守って成果を出す人が評価される」会社という世界の中で
いかに社内で誰かや何かと協調しながら成績をあげるか。
数字を熱意に変えて、
いつかの取締役を追いかける時代を過ごします。
その一方
10年以上前の日本社会の産休育休制度は
まだまだ、保守的だった時代。
せっかく女性が育休後復職しても、
責任も少ない代わりにやりがいも減っていく
そんな姿を幾度となく目の当たりに。
女性であるが故の
望まざる不利益、不公平さを感じながら続ける、会社員人生。
心のどこかで
女性が年齢を重ねることが、
決してハンディキャップとならない・・・
「年を重ねることこそがキャリアとなる」
そんな働き方、生き方はないものか、
それが当たり前の世界ができないのだろうか
そんなことを思い続けながら
育休後の働き方のロールモデルが不在のまま、会社員として勤め、
そのまま自身も結婚、妊娠し産休、育休へと突入します。
会社員として、その世界の中で
「いつか取締役に!」
そう願っていたあの頃の由美子さん。
営業という仕事自体は、数字という明確な目標を前に
部活のように熱意をもって過ごしたこの時代。
由美子さんが産休育休に入られる頃
日本香堂は企業の果たすべき社会的使命や企業の目標、
そして社員一人一人の日々の活動に求められる行動規範を盛り込み、
企業全体の羅針盤として
「ミッションステイトメント」を制定した頃でもあります。
会社としても働き方を大きく見直しながら
新たなる進化のステージを上がっていただろう時期。
そんな中勤めていた彼女は
決して、不幸ではなかったし
きっと、すごく一生懸命だったし、充実もあった。
でも、何かが・・・
「女性である私という存在、そのままを活かしきって生きる」ということに
小さな違和感があったのが、この時代だったのかもしれません。
そんな彼女の人生の時間は
授かった命と重ねていくの時間の中で
出会いと転機を繰り返し
ゆっくりながらも大きく、大きく、
私そのままで生きていく時間に向かって、舵を切り始めます。
続きは、次号で。