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「天気の子」は進路選択に悩む人こそ見るべき映画だった!?

もう公開から3ヶ月ほど経っている『天気の子』を、まさかのこのタイミングでテーマにします…(笑)

先日、新海誠監督の『天気の子』をやっと見てきました。『君の名は。』の公開時は、劇場に4回も足を運ぶほどのめり込んだ過去が懐かしい。今回は、そこまでのめり込まないだろうけれども、相変わらず美麗で、そして新海誠さんらしい脚本、世界観であり、満足できました。
※ちなみに、ギリ、まだ都内劇場で上映してますね。未見の方はぜひ。

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今日、noteを書いているのは、感想を書きたいわけではありません。天気の子を見て、自分の高校時代を振り返りながら、やっぱり高校生のときって、色々縛られているよな…ということに改めて気づき、HLABの活動で多くの高校生や大学生と触れるなかでの共通の視点に気づいたからです。

己と「社会規範」との葛藤に悩む主人公

主人公の帆高(男子)は高校生。彼は、本作品では、ただひたすらに「社会規範」と「何が正しいのか」と「愛」に葛藤し続ける。いや、葛藤はほぼない、というのが正しい。もう、正しいことが彼の中では決まっていて、それに向けて突っ走っている。

その過程で、彼は社会規範を破りまくる。法律という破っちゃまずそうなものも思い切り破るし。社会規範を代表する「大人」と戦い続ける。「大人」たちは帆高を「狂っている」とラベリングする。映画の中で、「大人になれよ、少年」と、編集者をやっている須賀という「大人」が声をかけるシーンからも、「大人」vs「少年」の二項対立が映画のテーマですね。

この「大人」というのは「常識」を持ち「規範」を守る人間のことだと思っている。この映画を見て、私が感じたのは、自分もややもするとこの「大人」になってしまっていて、仕事上触れ合う高校生や大学生、はたまた同世代や先輩を「狂っている」と断じていないか、心配になったのです。大人の我々は、学びの過程にある高校生や大学生に大して、こういうことをやってしまっていないか?という疑問がわきました。

実は自ら「規範」にすがってしまいがちな私たち

これまで、HLABの活動を通じて多くの高校生や大学生と出会ってきた中で、彼らはこの大人と少年の狭間にいて、それに葛藤していることがほとんど。
ただ、目の前に選択が迫られると、急激に大人になっていくことが多いのです。特に、就活が見えてくる年齢になってくると、いきなり「大人」になって、給料とか、安定性とか、そういった「規範」をいろんな理由として自ら持ち出してくる。
小さな頃は「将来はこんな職業について…」という思いや夢を持っていたのに、気づけば「この会社で働いて…」という、就「職」から就「社」の考え方になってしまうのって、まさにそのケースですよね。

そのときに、「本当に自分がやりたかったことはなにか?」とか、本質的な問を自分に投げかけられる人だけが、納得してその先の進路を選んでいる、そんな気がします。要は、「大人」にならないといけないと俯瞰して理解していながら、自分の「少年」の部分を見つめ直し、狂いたいくらいの対象に目を向けてみることが大事なんだろう、と思います。

進路選択のとき「規範」にのらずに考えてみる癖をつける

企業に就職するな、起業しろ!とまでは思ってるわけじゃないですよ(笑)ただ、その「大人」になるときに、「あ、今、大人になろうとしてる。規範で物事を考えている。」と自覚していないと、ずっとそのあとも「常識」や「規範」に則り続け、狂っている人を排他的に扱い、無意識に自分の行動範囲を狭め続けてしまう。「狂え!」と言っているわけじゃなく、意識的に「規範」にのらずに考えてみよう、というのが今回の映画からの改めての気づき。まさに、進路選択について自身が考えるときにこの癖があると、自分が思いも寄らない選択肢に気づく要素になるはず。ひとりで気づくのが難しい場合は、やっぱり対話でそれに気付かされるんですよね。まさにHLABのサマースクールで創り出している場の目的は、それだ(笑)

AppleのThink Differentキャンペーン

この話を弊社のオフィスで学生チームとしていたら、AppleのThink Differentと似ている、という意見をもらいました。ここにCMを貼っておきます。「しかし、彼らを無視することは誰にもできない。」との一文、『天気の子』を見たあとだとなおさら響きますね。

クレージーな人たちがいる
はみ出し者、反逆者、厄介者と呼ばれる人達
場に馴染めない人達
物事をまるで違う目で見る人達
彼らは規則を嫌う 彼らは現状を肯定しない
彼らの言葉に心を打たれる人がいる
反対する人も 賞賛する人も けなす人もいる
しかし 彼らを無視することは誰にも出来ない
何故なら、彼らは物事を変えたからだ
彼らは人間を前進させた
彼らはクレージーと言われるが 私たちは天才だと思う
自分が世界を変えられると本気で信じる人達こそが
本当に世界を変えているのだから

『天気の子』の映画では、帆高はまさに「狂っている」と言われてもおかしくはない大きな選択をします。「規範」を恐れずその選択をすることに覚悟して、納得して、そして行動にうつして、その世界を楽しもうとしています。うん、彼の進路選択はこうだった。さて、自分たちはどうなんでしょうかね?

読んで面白かったら、是非サポートしていただけると嬉しいです!大学生との食べ語り代にします笑