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9月第3週:「親ガチャ」という言葉の違和感

ある人(個人的に勝手にめちゃくちゃ信用してる)と話してて「 "親ガチャ" という言葉が嫌い、というかモヤっとする」という話になった。大変同意である。

「親ガチャ」という言葉の言いたいことはわかる。どんな親の元に生まれるかを子供は選べないし、どうすることもできない。つまり運要素しかない問題だ。これを「ガチャ」と流行りモノに乗せて表現するのは、なかなか面白いと思う。

じゃあなぜモヤっとするのか。何が気に入らないのか。しばし、考えてみたもののコレといった解はその場では見つからなかった。

というわけで、その後いろいろ考えてみたんだけど、どうしても、どーーーーーしても、個人的で偏見に染まった解しか出てこなかった。もし、もっと一般的で多くの人に受け入れられそうな解が出たら、その時はまたnote書くかもしれないし、書かないかもしれない。

さて、その「個人的で偏見に染まった解」をここから書き散らしていくわけだが、ガチャのあるゲームが好きな人、ガチャのあるゲームの企画や開発等に関わっている人はおそらく気分が悪くなるので、今ここでこのnoteを閉じることを推奨する。







まず、大前提として、俺はガチャのあるゲームを全てクソゲーだと思っている。

ゲームだぞ?ゲームつったらアレだ、キャラを操作して対戦相手を倒したり、何かして得点を入れたり、ステージをクリアしてったり、それがゲームだ。どうやったら相手に勝てるか考えて操作の練習したり、ステージクリアするために隠しアイテム見つけたり、高得点を出すためのコンボを考えたり、経験値を積んだり。それがゲームってもんだ。

だが、ガチャのあるゲームはなんだ?ガチャで良いアイテムやらキャラを引き当てることが目的になっちまってるじゃねえか。ガチャで当てる良いアイテムやらキャラがねえとマトモに対戦もできねえ。「今なら10連ガチャ無料!」じゃねえんだよ。そんな運試しがしたいなら永遠にヤッターメン食ってるわ。

……とだいぶ話が逸れてしまったが、ガチャがあるゲームはガチャで良キャラや良アイテムを当てないとマトモに戦えないのだ。或いはガチャで出る何かをコレクションすることが目的なのだ。即ち、ガチャが全てなのだ

で、「親ガチャ」って言葉だけど。確かに人生において親の影響、または親が用意する環境の影響はめちゃくちゃでかい。親がまともに教育を受けさせない家庭で育った子が東大に合格するのは難しいだろうし、親が痩せ型で小柄の子が相撲取りになろうとしても難しいだろう。親から心身共に大きな傷を負ったりした人もいるだろう。

だがしかし、人生は東大に合格するゲームではないし、相撲取りになるゲームでもないし、心身共に大きな傷を負ってはいけないゲームでもない。というか人生はゲームではない。東大に入れなかったら他の大学に入っても良いし就職しても良い。相撲取りになれなかったらスポーツ記者になっても良い。親と縁を切っても良い(それで傷が癒えるわけではないが)。ガチャが全てのゲームだとそうは行かないけどな。

人生にガチャのような運要素はめちゃくちゃ沢山ある。でもガチャのように良キャラや良アイテムを引けなかったら課金してさらにガチャを回したりリセマラしたりしなくていい。ってか出来ねえ。何かしらの運要素で悪いことが起きても、そのまま進んで、飯食ったり寝たりしなきゃならんのだ。

仮に人生がゲームだとしたら親ガチャ外れた時点でもう何も進まなくなるが、人生は進んでくぞ。人生には「ガチャ」と言いたくなるような運要素が沢山あるが、人生はガチャがあるゲームみたいにクソゲーじゃねえ。

俺はガチャのあるゲームを全てクソゲーだと思っている。そして、人生クソだなって思うことも沢山ある。けど人生はクソゲーほどクソではない。俺はそう思う。

だから「親ガチャ」という言葉に違和感を感じるのだ。



気分良くこのnoteを読み終えたい人は今ここでこのnoteを閉じてほしい。








さっきまでの話と逆のこと言うけど、人によっては……いや、多くの人は「ガチャで良キャラや良アイテムが出ない」より悲惨なことが人生で普通に起きるぞ

えっ、てか皆んなさ、「これがガチャだったらな〜」とか思うこと無い?

俺はある。


◆今週の一曲
きっとこの命に意味は無かった
キタニタツヤ


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