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『怪獣少年時代』Vol.6「ウルトラQ」始まる!野田の赤ずきんはウランちゃん
“怪獣ビッグバン”が始まったきっかけであるTBS『ウルトラQ』を、10歳の1966年正月2日から見始めると、困ったことに放送時間である日曜日の7時半と言えば、先にフジテレビで手塚アニメ『W3(ワンダースリー)』を前年秋の番組改編期から見続けていたので、『ウルトラQ』CMの時にはフジテレビに素早くチャンネルをまわし、1分くらいで戻すが、1分かそこいらではストーリーなど把握出来ない。断腸の想いでワンダースリーは諦めることになった。
残念だが『ウルトラQ』の方が重要であった。
『W3』は手塚治虫の原作では、高度な文明の宇宙人3人が、危険で愚かな地球人類を生かして良いものか一年間観察して、もしダメだったら地球ごと爆破するという任務を背負って地球の動物(ウサギ、ウマ、アヒル)に変身しているという面白い設定で、アニメになる前、最初は「少年マガジン」に連載していたが、連載1ヶ月で地球を爆破してイキナリ終わってしまったのでびっくり。そして「少年サンデー」で最初からほぼ同じシチュエーションで連載が再開され、地球は爆破しないで続くという、奇妙な事態の後にテレビアニメが始まっていたのである。
当時の僕の理解では、「鉄腕アトムクラブ」にも手塚先生の言葉が載っていたと思うが、『W3』のウサギ=ボッコは、当初のアイデアではリスだったのに、同じマガジンで連載される予定の「宇宙少年ソラン」(これもすぐにアニメになった)が肩に乗せている宇宙リス=チャッピーはイメージが全く同じで、ボッコのアイデアを盗んだものとしか思えず、手塚先生としては「マガジン許せん!」となり、サンデーに乗り換えた、というハナシだった。(当時の理解ね)
ウイキペディアには「W3事件」として詳しく載っている。https://ja.wikipedia.org/wiki/W3事件
本質的には、アニメ制作プロダクションの機密漏洩とスポンサーの問題だったようだが、完全な真相は未だに解明されていないようだ。
その後、『W3』は再放送時で全話見て、把握した。
土曜日の日記には「あすたウルトラQがやんのたのしみだよーん」と書き、日曜日にはナメゴンの画を描いて「ウルトラQソノシート買ったよウルトラQやった じろうこうふんしちゃってしゃあねえね、ボクもこうふんしたけど」と書いている。
第2回は「五郎とゴロー」で巨大猿がロープウエイにぶらさがる合成画がクオリティ高いぞと興奮し、第3回は「宇宙からの贈りもの」で、ナメゴンが巨大化しても海の塩分で泡にまみれて死ぬ場面に興奮し、第4回「マンモスフラワー」では巨大花がビルを突き破って天空に花開くアオリのシュール画に興奮し、第5回「ペギラが来た!」では雪の中に立って叫ぶ新型怪獣ペギラの勇姿に興奮し、第6回「育てよ!カメ」では、浦島太郎のパロディ風なコメディタッチもあってバリエーションあるシリーズ構成に感心し、第7回「SOS富士山」では新機軸の岩石怪獣ゴルゴスのカッコ良さに興奮し、第8回「甘い蜜の恐怖」では、モグラが巨大化しただけのモングラーにはガッカリして、キグルミとはっきりわかる“膝つき怪獣”だし、それも戦車砲撃の一回で倒されてしまう弱い展開にも失望したが、30分という時間では仕方ないのかな、と思ったりした。第9回「クモ男爵」は、ありがちな西洋屋敷内ホラーで、毒グモ・タランチュラも糸操演怪獣で個性薄く、員数合わせ的怪獣なんだろうと思ったが、第10回「地底超特急西へ」は新幹線を遥かに越えるスピードのリニアモーターカー先取り超特急の中で人工生命M1号が誕生するというSF的スピード展開に興奮し、オバQの歌を歌う石川進の車掌のコメディ演技も斬新で、ラストには地球を回る軌道で「わたしはカモメ」とテレシコワさんの決まり文句を言ってくれる衝撃、第12回「バルンガ」は空を覆い尽くして太陽に向かうバルンガのSF的発想に感動、第13回「鳥を見た」では、鳥が巨大化する場面と少年の想いが交錯するジュブナイル展開に胸キュンとなり・・・しているうちに4年生の3学期も終わり、ガラモンが登場する第14回「ガラダマ」はもう春休みの放送ではないか。
ウルトラQの合間というか・・にも・・人生はつづいていおり・・・
2月4日
「せつぶんをやった。全日空のジェットきが、しょうそくをたった。まあ、たすからないだろう。みんなね のっていたのは133人であるよ〜ん」
全日空羽田沖墜落事故で、当時としては世界最大の航空機事故である。
調べたら、今でも事故原因が分かっていない。父の知り合いが乗っていたらしい。(岩淵五郎 春秋社編集長)
この年は、1ヶ月後の3月4日、5日にも連続して飛行機事故が起こり、世の中どうなっているんだ、となったが、5日は、我がクラスは「早朝訓練」というのをやっている。
3月5日
「きょうは、そうちょうくんれんで、朝5時に起きて、学校で野球をやって、女の子の作ったおにぎりとみそしるをくった。おにぎりはしおけがぜんぜんなくってみそしるがしょっぱすぎた。たくわんもついていたよ〜ん」
女子が朝食を作っているあいだ、男子は手伝わないで野球をやっていた、ということであろうか・・・早朝に学校へ行って面白かった記憶はあるが、詳細は覚えていない。
この後、先生が宿直の日に、みなで学校に泊まることが多くなって、これはその前哨戦、予行訓練だった。
3月11日
「今日は、朝から先生がおくれ きょうとうがきた やあなやつだぜ。きょうとうってのはいつでも悪人なのかね」
先生が遅刻した時は、日直が出欠板を「出」の方に回転しておき、上履きを裏口に出しておく、というクラスの決まりは、この後に出来た。
3月12日
「今日はいそがしかった。文集「ぶどう」のてつだいをしたし、不まじめにやろうっていう赤ずきんちゃんの演出にされたし、てんてこまいだ。がくげいかいだけんど四年だけの学げいかいさ」
学年末にガリ版印刷でクラス全員の詩や感想文や小説を載せた文集を出すことになり、その名前は「ぶどう」になった。
国語の教科書の一番最初のページに載っている詩が「ぶどう」で、「ぶどうのように ひとつひとつがまるく ぶどうのように みんなでひとつのふさをつくって」という詩内容が、このクラスの「カタチ」にふさわしい、という・・・これも浜野先生の提案か、いや誰かが学級会で提案したことなのか・・・そんな気がする。先生は、そういうネーミングとかは弟子たちに任せたのでは・・・
3月14日
「今日から、学年の出しもの大会の不まじめにやるというげき赤ずきんちゃんのれんしゅうをやった。さんかしなかったやつもいる」
3月15日
「きのうときょうはげきのれんしゅうでてんてこまいマイッタ」
3月16日
「今日は文集「ぶどう」のいんさつをやった。べとべとべとべとインキがくっつ(青インキ)あらうとよけいべとべとになるもういんさつはやだ。げきのれんしゅうもやった。すごくつかれた。あたまがいたいくなった。げきのれんしゅもやだ」
3月17日
「今日は、みんながやりたくないっていうからげきのれんしゅうはやんなんだ。というのはウソPTAでつぶれたのさ」
3月19日
「今日はげきの本番であった。せいこうしたんだけど赤ずきん役の野田くんが、お母さんが女の子だと思ったってさアッ。マイッ太マイッタまいった」
これはとても良く覚えているから何十回も喋って、喋ると野田秀樹も「またその話か」と呆れて苦笑するのだが・・・
この不真面目な「赤ずきん」というのは「6年生を送る会」だったと思う。
野田の赤ずきんを、6年生のお姉さんは「あの子かわいい!」と言っていた。
演出として困ったのは、赤ずきんが舞台上手の自分の家から下手のお婆さん(おタカ=高橋くん)の家まで行くのに距離感がなく、すぐ到着してしまうということだった。
どうするべきか、ゆっくりゆっり歩いてもスグ着く。舞台の真ん中をぐるぐる回るか?という提案を演出の僕がしたのか、野田が率先してやったのか、分からない。僕が言ったのだと思いたいところだが・・・
ただ、いきなり野田が「ウランちゃんの歌」の「♪たりらりら〜んらランランラン」と歌いながら舞台の中央をスピード感をもって走って2周した時に、「おお!」と衝撃を受けたのである。
本当に遠くへ行っているような気がしたので。そのように見えたのだった。
森も見えた気がした。
ただ回っているだけで、遠くへ行っている表現になっている、コレだよ、コレ、と思って、コレが演劇空間というものだよ、と認識したのであった。
「演劇空間」なんて言葉はまだ知らないけど、「劇」の表現てこういうことなんだ、と思ったわけであった。
そして、その効果を予期できず、そこまで細かく指示し得なかった演出家としての自分を情けなく思い、野田にチョイ嫉妬したのであった。芝居も後に見ることになる”野田秀樹の芸風”そのものだった。
『ウルトラQ』第14回「東京氷河期」は人気怪獣ペギラの逆襲と東京の純白雪景色ミニチュアに興奮、第15回「カネゴンの繭」でお金を食べるガマ口形態のカネゴンの造形はグロテスクで良いが、話はありがちで別に面白くないと思った。金の亡者がカネゴンという怪獣になっちゃうってありきたりじゃん、もう一工夫欲しいね、衝撃がない。第16回「ガラモンの逆襲」は、ガラモンが二匹も三匹も出て来て東京タワーを壊すダイナミックな映像に興奮、第17回「8分の1計画」では桜井浩子さんがミニサイズになって佐原健二さんがミニチュアビルのあいだを歩く姿に興奮、第18回「虹の卵」は美少女が草原で、お祖母ちゃんのためにパゴスの卵を引っ張っている姿に興奮、第19回「2020年の挑戦」では、ケムール人のゆっくり走りが合成バックで高速になっているセンスに興奮、第20回「海底原人ラゴン」では、ラゴンの子供が手のひらサイズなのに興奮、第21回「宇宙指令M774」は未消化なストーリーに不満、ボスタングもただのエイじゃん、しかも一発で倒されて呆気ない。宇宙人の女性は美人だったが。第22回「変身」は人間が巨大化して森の木を薙ぎ倒すのに興奮、裸で腰巻きしているのが不自然だけど、本当は素っ裸でやるべきじゃ。そりゃ無理か。第23回「南海の怒り」は大ダコ=スダールはただのタコ(本物だろ)なのでガックリ。第24回「ゴーガの像」はワンアイデアで比較的上手くまとまっているなと感心。夜の都会のミニチュアにワクワク。第25回「悪魔っ子」は話は良く出来ているし怪獣が出なくても面白いと思うが、悪魔っ子の女の子があまり可愛くない。第26回「燃えろ栄光」は巨大カメレオン=ピーターと工藤堅太郎の友情に感銘受け、ラストの大火災ミニチュアに興奮、工藤堅太郎は好きになった。第27回「206便消滅す」のストーリーは良いが、出てくる怪獣トドラは『妖星ゴラス』の怪獣マグマと同じキグルミじゃんと失望。どっちもただのセイウチじゃん。第28回「あけてくれ」は、ウルトラマン前夜祭のために放送出来ず、再放送まで伝説の回となった。そうすると最終回が「206便消滅す」になってしまい、なんか中途半端な終わり方で、欲求不満が残った。
『ウルトラQ』放送中に5年生に進級して11歳となったが、毎日、日記を書いていたわけではなく、むしろ、空白の日が多い。毎日いちいち書くのは面倒くさく、楽しかったことは記録しなくても覚えていられる、と思っていた。
だが、やっぱり60年近く経つと綺麗に忘れるていることの方が断然、多い。自分が書いた文から蘇る記憶もあるのだが・・・
6月8日
「今日は帰って来てすぐほり江んちへ行った。野田と長谷川が来た。野田はほり江の家でかくれんぼしたいっていったが、やめた。むかいのせいせいようち園へ行ってやきゅうやった。帰って来たらGIジョーがあった。お母さんのプレゼントだ。今日はボクの誕生日」
堀江くんの家は旧家の大邸宅で、確かに庭でかくれんぼが出来るくらいのスケール。その近くの幼稚園は既に無くなっていて、跡地で草野球が出来たのだった。
僕はクラスのチームではスコアラーだが、そこでの草野球でヒットを打ったことがあった。
その痛快な感触と、遠くへ飛んだボールの軌道は蘇った。
「GIジョー」はアメリカ輸入の兵隊人形で、関節を24箇所だったか動かすことが出来、自由にポーズを作れる。発売以来人気商品になっていて、とても欲しかったものだが、父がベトナム反戦ゼッケン運動しているのに、アメリカ軍人のオモチャは不味いんじゃないかと多少は思っていたので、「いろんなポーズをつけてマンガの参考にしたい」とか言い訳的に母親にねだっていた。
画家である母からは、マンガが上手くなりたかったらデッサンをした方がいい、とか言われていて、「あんたのマンガはデッサンが狂っている」とも指摘を受けていたので、このおねだりが「幼稚な欲望」ではなく、「正当的な要求」だという理屈が自分の中で出来ていたが、そんな理屈をつけることへの恥ずかしさもありながら言っていた。父は、GIジョーを見ても、特に何も言わないで触って動かしていた。
「めざまし時計」というタイムスリップ芝居を演出し、体育館でやったのは明白なんだが、日記の記述には何処にも見つからないので、いつ、何のイベントのためにやったのかが、思い出せない。
「お楽しみ会」の大きなやつか? いや、それにしたら体育館はぜいたくだ。他のクラスに対抗したという記憶でもない。だが、予行演習と本番をやって、本番では衣装を着けて、観客も結構いたのだが・・・
野田秀樹と鈴木和道のW主演で、家で遊んでいる友達の二人組が、めざまし時計が鳴るたびに「太古の猿人に近い時代」と「赤穂浪士の討ち入りの日」と「未来人の時代」に、3回タイムスリップする。
学級会でアイデアを出し合っている時、野田が「なにかやるたびに変な人が時計を持って現れて『時間ですよ、時間ですよ』と言って笑わせたら面白い」と言ったのにヒントを得た僕が、それなら時計が鳴るたびに時代が変わったらもっと面白い、と言ったのじゃなかったか・・・
それで台本を書いて演出もすることになり、野田と和道がタイムトラベラーとなり、めざまし時計の効果音が無かったから、僕が口で「ジリジリリン!」と叫んで、観客には意味が伝わっていない感じがあったのを覚えている。
何で、口で時計をやったのであろう・・・本物の時計では音が小さ過ぎると思ったのか・・・いや、それが「演劇的手法」なのだと思ったのかも知れない。
最初のシーンでは二人でマンガを読んでいるが、和道がアドリブで「このマンガ、雑だなあ。作者はなになに、金子修介?」と言ったのを覚えている。
和道から時々、「金子のマンガは雑だ」と言われていた。後に芸大一発合格の片鱗である絵を見る力があったのだろう・・・
僕は、後にこの芝居をマンガにして、COMに投稿して「今月の応募者」としてだけ名前が載り、プライドが傷ついてマンガは諦め、「デッサンが狂っている」と言われない映画に走った・・・のである。
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そしていよいよ7月17日、夏休みが始まる直前に『ウルトラマン』が始まった。『ウルトラマン』はカラー放送だったが、ウチは白黒テレビ。まだカラーテレビが買える財政状態ではない。
母が海音寺潮五郎の小説「天と地と」に夢中になり、石坂浩二が上杉謙信を演じる大河ドラマが始まった時に、この時に大河も初カラーとなり、ウチもソニーのトリニトロンカラーテレビを購入したのであった。1969年だから3年後だ。
それまでは放送の時に左下に出る[カラー]というスーパーをうらめしく思って見ていて、日記には雑誌のグラビアに出ていた写真から想像して、カラーの挿絵を描いていたのであった。
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to be continued…