ロマンポルノ無能助監督日記・第14回[『宇能鴻一郎の看護婦寮日記』主演女優逃亡で代打・水島美奈子]

1978年の大晦日、何故か新宿サンパークで石井聰亙とサシ飲みしていた。
どっちが誘ったのか・・・?
「今日は別に、どこにも行くあては無いけど、なんか適当にやりますよ」
と言うので、三鷹まで一緒に帰って、ウチに泊めた。
元日は、石井君は、母のお雑煮を食べて、どこかに出かけて行った。
狂映舎の仲間のところへ行ったのか、博多に帰ったのか・・・
僕らは、大晦日に何を話していたのかなぁ・・・
母は、「礼儀正しくて、大人しい人ね」と言っていた。

この年末は、12/13水曜日に0号で『炎の舞』の仕事も終わると、次の組が決まるまでは休みなので、映画を見まくろうと決めた。

五反田・東洋現像所から家への帰り、吉祥寺松竹で『博多っ子純情』(我が曽根中生監督が松竹に呼ばれて、松本ちえ子で撮った、光石研のデビューで、長谷川法世のマンガ原作、撮り方が新鮮で面白かった)と、『九月の空』(松竹のホープ山根成之監督が坂東正之助と石野真子で撮った高橋三千綱の芥川賞原作だが、ありきたりでつまらなかった)の二本立てを見たら、ガラガラだった。

12/14木曜日にテアトル東京で『2001年宇宙の旅』のリバイバル上映は、超満員。
その足で、銀座並木座に寄り、『ダイナマイトどんどん』(岡本喜八監督による、菅原文太らヤクザ同士が野球で勝負をつける大笑いのコメディ)と『最も危険な遊戯』(村川透監督による松田優作主演のクールなガンプレイアクション)の二本立てを見たが、これも超満員だった。

石井君とは、そんなことで、映画の話ばかりしていたに違いない。

まだ学芸大四年にいるカノジョとは、12/18月曜日に、歌舞伎町の新宿アカデミーで『ナイル殺人事件』(アガサ・クリスティ原作、ミア・ファロー主演の大作、ニーノ・ロータの音楽だが、日本だけラストに主題歌「ミステリーナイル」を入れて流行った)を満員で見たが、そんなに映画の話を出来る相手では無かった。小学校教師目指してるし。
・・・どの劇場も、今は無い・・・

家に帰ったら、助監督部会・幹事の上垣保郎さんから電話があって、
「金子明日から、白鳥組セカンドな。撮影は来年だけど」
と言われたのは、白鳥信一監督『宇能鴻一郎の看護婦寮日記』のことだ。
休みは終わった。初セカンド助監督である。

と、言っても、助監督はチーフ岡本孝二さんと二人だけなので、カチンコで序列最下位スタッフであることに変わりは無いが、ロマンポルノ助監督としては、いちおう「一人前」になったと認められた、ということであった。

この時、岡本さんはすでに組合映画『新・どぶ川学級』と児童映画『走れトマト』の2本を監督している。
組合の活動家でもあって、関西弁の穏やかな口調の人であったが、助監督忘年会では、組合問題で(予告編事件の)白石宏一さんが論戦を挑み、鮮やかな関西弁理論で軽〜く論破し、白石さんを悔しがらせていた。

12/19に撮影所に行くと、三浦朗プロデューサー、白鳥信一監督、岡本チーフ、脚本家の宮下教雄さんらと、試写室で、夏に大ヒットした西村昭五郎監督・原悦子主演『宇能鴻一郎の看護婦寮』を参考試写で見ることになっていた。
『看護婦寮日記』は『看護婦寮』の続編のようなものを目指すらしいが、主演の原悦子は出ないし、原作のネタは使われてしまって無いから、物語に繋がりは何も無く、すべて新たに考え出さないといけない。

原悦子さんは、それまで大蔵映画などピンク映画でスターになっていたが、日活はこの『看護婦寮』が初見参、童顔ではかなげ、可愛らしい感じの美人であった。
僕とはこの後、やはり白鳥信一監督で『看護婦日記いたずらな指』(79)と、『クライマックス犯される花嫁』(80)の2本でご一緒した。

映画は、この童顔の新人看護婦が、先輩女医にいじめられながら、「あたし・・・なんです」という宇能鴻一郎調のナレーションで、エッチ好きなことを告白しつつ、大胆にエッチなことをしてゆくのを、余すところなく見せる。
物語は、相当滅茶苦茶な展開だが、皆、セックスをする欲望に忠実、という一貫性があって、痛快でもあり、アナーキーな感じすらある。

試写室から出た時、白鳥監督は、
「ニシ(西村監督)が、こういうふうに撮るっていうのは、良く分かるけどね」と笑いながら言っていた。
三浦プロデューサーは、
「トリさんは、トリさんのスタイルでお願いしますよ」
と笑いながら言っていた。
田中組『人妻集団暴行致死事件』で「ベストワンを目指す」と言っていた表情とは随分違ってリラックスしてるが、三浦プロデューサーが白鳥監督を信頼しているのは良く分かる。

白鳥信一監督は、この時50歳で、仙台出身、東大国文科卒の白髪インテリ紳士。
日活がロマンポルノになる以前に、テレビドラマで監督デビューしていて、「お嫁さん」とか「新妻鏡」とかキャリアにある他にも、ドラマを多数撮っている。
ロマンポルノは73年の『団地妻・女の匂い』以来、ここまで18本撮っていて、宇能鴻一郎モノも3本目だ。
スクリプターの白鳥あかねさんのご主人でもあるが、絶対に一緒に仕事しないし、あかねさんの話は殆んどしないのは、あかねさんも同じであるが、若い頃の話になると、二人とも「カッコ良かった」「ほんと可愛かった」という言葉が飛び交った。
僕は、この後白鳥監督には、計3本就いたが、叱られたような思い出は全く無い。

・・・「飲みの席」で、注文を取る時、僕が、飲み物より先に「かつ丼」とオーダーしたら、「酒が不味くなる」と、言われたことがあるが。

ロマンポルノでは、年に4本程度のローテーション監督として、信頼されていた。
コンテは正確で、現場で悩むことは無く、撮影は早いが、手抜き感は全く無い。

一度誰かが「使った女優で一番いいと思ったのは誰ですか?」と聞いたら、即座に、
「泉じゅん だね」
と答えた。
泉じゅんのデビュー作『感じるんです』を76年に監督している。

画像2

この日は、参考試写を見たメンバーで、烏山の焼肉屋に行った。
宮下さんが、オリジナルのストーリー展開を、監督とプロデューサーに話し、意見を交換していて、僕は、口を挟むことは出来ないが、バイブレーターを使おう、という話が出た。

主演女優が決まったのは、いつであったろうか・・・誰がこの時期空いている、空いてない、という話がされていた。
撮影が迫っているのに、主演女優が決まっていない、というのは珍しい事態なのだろう。だが、僕は、まだ入社半年過ぎなんで、こういうこともまあ、あることなんだろうな、と思っていた。
(この10年後、自分の監督作で殆ど最後のロマンポルノ『ラストキャバレー』(88)に、主演のかとうみゆきが決まったのは、クランクインの5日前だった)

赤坂プリンスホテルにお使いに行って、プロダクションのマネージャーから、新人女優の写真を貰い受け、戻って三浦Pに渡したこともある。

結局「プレイボーイ」だったかで、一回ヌード写真を出しただけの全くの新人、演技経験ゼロの西田杏子という19歳の子に決まったが、年内に撮影所には来ていてない。

12/24クリスマスイブには、カノジョじゃない女子と岩波ホールで『家族の肖像』(ルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作で、バート・ランカスターが教授を演じる静かな文芸作で、インテリ層に受けてヒット)を見ている。
映画の話が出来る女子。かなり好きで、一緒にいると安心出来る・・・まだ手は握って無い。

会社は28日の忘年会をもって終了し、1/6までの正月休みに入った。

ということで、大晦日は、昼間はカノジョと会い、何故か、夜は石井君と飲みになった、という流れである。

正月休みは、学芸大先輩の押井守さん(まだタツノコプロに入る前で、ラジオの仕事をしていた)の家に行ってダベったり、那須さんの引越しを手伝ったりした。
那須さんは、吉祥寺のアパートから、府中の丘の上の一軒家に移った。

5万円で那須さんから買ったバイクで遠乗りをしてみたくて、環八を足立区綾瀬のカノジョの家まで走らせた日もある。

そんな正月休みが終わり1/6は、朝10時から、空いているステージで、撮影所長の退屈な訓示を、社員スタッフ全員が立って聞き、台本が出来ていたので、西田杏子と初めて会い、リハーサルの意味で、白鳥監督指導のもと、ホンを読みあわせた。
ひどい・・・棒読みもいいところだ。これを主役にするのか・・・と、思った。

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