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納涼掌編小説:「シン・二ホンジン」
いつとも知れない未来。政府系マッチングアプリで婚活し、三高男とゴールインして今では専業主婦手当をもらっている三十代の極めて平凡な既婚女性二人(仮にA、Bとしておこう)が、退屈な平日の午後にこんな会話を交わしていた。
A「暑い日が続くわねえ」
B「本当ね、まだ5月なのに」
A「摂氏40度越えの炎暑日が10日連続ですって」
B「家の鳥居が熱で白くなって困るわ……」
A「そうよね。もっと熱に強い塗料を支給してほしいわ。お国のためにせっかく頑張って子供を作ってるのに、鳥居くらいちゃんとしてないおかないと」
B「日本の伝統ですものね」
A「それに、使用人たちにも示しがつかないわ」
B「鳥居って、もともとは神社にしかなかったらしいわね」
A「そう。野蛮な迷信時代の話よ」
B「今では私たち“シン・ニホンジン”の象徴なんだけど」
A「政府は、神とか仏とか、そんな非科学的な信仰から象徴を借用して有効活用してるわけよ。象徴って、ほんと便利よね。私たちシン・ニホンジンの家を、非国民とか外国人の家から簡単に区別できるんだから」
B「それにしても暑いわ。エアコンは何度に設定してるの?」
A「摂氏35度よ。涼しいでしょ」
B「ええ、そのはずだけど……」
A「あなた、喉が渇いてるんじゃない? 冷たい藻類カクテル・ジュースでも飲む?」
B「ありがとう。いただくわ」
A「じゃあ、メイドに持ってこさせましょう。……あなた、冷蔵庫からグリーン藻類カクテル・ジュースの瓶を出して。氷とグラス二つも。早くしなさい! ……何ぐずぐずしてるの! もうお下がり」
B「今のメイド、どこで見つけたの。色が黒かったけど」
A「環境難民キャンプで見つけたの。安い買い物だったわ」
B「改良されてないわね。皮膚がふにゃふにゃじゃない。アフリカ系? 南アジア系?」
A「よく知らないのよ。どうでもいいわ」
B「そうね。でも、あんなに弱い皮膚でよく生きていられるわね」
A「いつも暑いって不平ばかり言ってるわ。汗っかきで、外じゃ一日も生きられないくせに」
B「でも、ほんとにこの暑さ、日本の科学力で何とかできないのかしら。私なんか、お国のために五人も子供を産んだせいで、甲殻がもうボロボロよ」
A「そう言えば、あなた、顔色が悪いわね。変に白っぽくなっちゃって」
B「お医者さんにも言われたわ。キチン質の形成プロセスに少し問題があるんだって」
A「え、それって夏は大丈夫なの? 甲殻がちゃんと形成されないと、冷却機能不全になるんじゃない?」
B「恐ろしいこと言わないでよ……。お医者さんは、適切な遺伝子治療で治るって言ってたわ。でもね……私、時々不安になることがあるの。原発が停止してエアコンが切れたら、私たち、どうなっちゃうんだろうって」
A「大丈夫よ、原発は国内で百基以上、稼働してるんだから」
B「チェルノブイリやフクシマみたいな原発事故が起きるのも怖いわ」
A「チェルノブイリじゃなくて、チェルノービリ。政府が決めた言葉を使わないと、いつか非国民扱いされちゃうわよ」
B「ごめん、夫が古文書の研究なんかやってるから、つい……」
A「冗談よ、冗談。あなた、いろいろ心配のしすぎよ。フクシマのあとも、小規模な原発事故はいくつも起きてるじゃない。そのたびに放射能漏れがあったけど、シン・ニホンジンは何ともなかったわ。私たちの体は、遺伝子改良のお陰で多少の放射能に対しては耐性があるのよ。このツヤツヤして硬くてきれいなキチン質の皮膚、それに、鼻と口にある汚染物質除去フィルターは、日本人の遺伝子を守ってくれてるの」
B「その遺伝子も、ずいぶん改変されちゃったけどね……」
A「150年も続いている政府のやることだから、絶対間違いはないわよ。だって実際、他の国じゃバタバタ人間が死んでいって地下に住む羽目になったのに、この国だけは人間が地上に住めて、人口が増加に転じたじゃない。今や、シン・ニホンジンが地球の支配者よ」
B「人口ももう二億人以上になってるしね」
A「ところで、あなた、次の脱皮はいつ?」
B「三日後よ」
A「じゃあ、それまではエアコンを34度くらいに設定して、安静にしているといいわ」
B「うちのメイドが喜ぶわ。夫は寒がるかもしれないけど」
A「メイドが喜んでも仕方がないわね。ほんと、外国人ってバカよね。ホモ・サピエンスの外見になんかこだわってるから、国が亡びちゃうのよ」
シン・ニホンジンの主婦たちは、本来のホモ・サピエンスにとってはまずくて飲めたものではない藻類カクテル・ジュースをストローで啜りながら、不快な金切り声で話しつづけた。
その完全に無意味なお喋りには、終わりがないように思われた……。