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“作家のドラマ”を読解する:『ウエストワールド』(2016~)

 HBO制作のドラマ『ウエストワールド』は、現在第3シーズンまでが終了していますが、まだ完結していません。昨年ネット上では、脚本を担当しているジョナサン・ノーランとリサ・ジョイが最大でシーズン6分まで計画しているとの情報も流れていました。
 しかしこのドラマは、第3シーズン最終話の、ドロレスの記憶消去(つまり死)とそれに続くセレックの最期やメイヴとケイレブの会話のシーンまでで、ドラマ的にはいったん完結しているように思えます(なぜそう思えるのかについては後述します)。
 長年映画を研究対象としてきた私に、このシリーズは二つの点で目新しさを感じさせました。
 第一に、『メメント』(2000)以来、クリストファー・ノーランの劇映画で原作者や脚本家として関わってきたジョナサン・ノーランらしい、巧みな「語り」とプロット構成の技術です。それがふんだんに予算をかけた多ジャンル的な映像作品に採用されていることに、ジャンルの刷新という新味があります。 
 第二には、ロボットの人間に対する叛乱という今では陳腐化した物語を借りながら、おそらく人類を何千年も悩ませてきた永遠のテーマ――人間の自由と運命との関係――を提出していることです。

 本稿では以上三つの点を中心にこの作品を論じます。

ドラマはいつ”完結”するのか 

 昨今は映像配信サイトの普及が加速したこともあり、ネット配信ドラマとテレビドラマの区別をつけることが無意味になりつつありますが、劇映画とそれらの境界線はまだ残っています。単発ドラマや一話完結形式のドラマは別として、何シーズンも続く連続ドラマと劇映画とではドラマの構成が違います。
 劇映画では通常、主人公が容易に特定でき、物語内容が時間的・空間的にかなり限定されています。主人公は一人あるいは一つの集団であり、その主人公がドラマツルギー的に見て決定的に重要な行為を成し遂げたところで終わるのが、伝統的な劇映画の構成です(ドラマツルギーとは、アリストテレスの『詩学』に始まる劇作法のことです。劇映画は上映時間の制約から、映画ジャンルの規範などよりもドラマツルギーの基本的原則のほうにより多く制約されています)。
 物語世界の時間や空間が限定的なのは、ドラマ的に「決定的に重要な行為」が主人公(特定の個人または集団)によってしか行われないことの結果です。しかし連続ドラマでは、主人公が誰であるか分かりにくい場合も少なくなく、その分、物語世界が時間的・空間的に膨れ上がる傾向があります。人気が出たからという理由で延長される連続ドラマでは、作者たちがドラマツルギーの基本的原則から逸脱せざるを得なくなることもあるでしょう。

 ドラマ『ウエストワールド』の主人公は誰でしょうか。個人でしょうか、それとも集団(人間、あるいは作中で“ホスト”と呼ばれるアンドロイド)でしょうか。
  第1シーズンから第3シーズンまでに限って言えば、主人公は“ホスト”であるドロレス・アバナシーだと考えるべき理由がいくつかあります
 彼女は第1シーズンの第一話の冒頭から登場しており、彼女が管理者である人間に対して嘘をつけるようになり、他の生物を傷つけられるようになったことが、同じ第一話の最後に暗示されています。調整セッションで、彼女に対する“最後の質問”として他の生物を傷つけたことはあるかと訊かれて「もちろんないわ」と答えた彼女は、その日の記憶を消去されリブートされた翌朝、首に留まった蠅を平然と叩き殺します(重要な行為を行うために必要な“変化”)。また、ドロレスは、調整セッションでの管理者たちの会話で、ウエストワールドで“最古のホスト”であると言われており(例外的存在であることの強調)、第一話の冒頭と同じ内容の彼女の声によるナレーションが最後にも聞こえています(「語り手」としての資格)。普通の劇映画ならば、彼女は間違いなく主人公です。
 しかし、ドラマの進行につれて、彼女と同じように例外的な存在が他にもいることが明らかになります。第1シーズン第二話において、自分の修理中に目覚めて逃走し、他の“ホスト”たちが修理されている様子を見てしまうメイヴもそうです。彼女はシーズン後半に入ると修理部門の技師たちに指図して自分の能力を高めさせ、逃走のために殺人までします。さらに、特定の“ホスト”たちに対して職務上は不必要な関心を抱いて不可解な行動をとるフォード博士やバーナードのように、例外的な知識をもち謎を帯びた人間も現れます、“ホスト”に対して過剰な暴力を振るいながら、ウエストワールドに隠された「迷路」を辿ろうとする黒服の男に至っては、まったくの謎でしかありません(迷路の謎が完全に明かされるのは第2シーズンも終盤に差しかかった頃です)。
 このように、脚本家たちは第1シーズンの物語が始まって間もなく、複数の登場人物に潜在的には主人公になり得るほどの謎めいた特徴を与えています。それでもやはり、ドロレスの主人公としての地位は揺るぎません。第四話まで冒頭近くにバーナードとドロレスのセッションと彼女が目覚めるシーンが置かれていること、彼女がメイヴに囁いた「激しい喜びは激しい破滅を伴う」という言葉が後者の意識の発生を促したらしいこと、黒服の男=ウィリアムも過去に彼女と特別な関係にあったこと、そして最後に彼女自身が劇的な変貌を遂げてフォード博士を殺害することから、他の主要な人物たちはドロレスとの関係においてのみ、ドラマに登場する意味をもっていると言えます。第1シーズンのドラマは、彼女の意識の発生から始まり、自分の意志によって人間のシナリオ(物語、narrative)から自分自身を解放するまでの過程が中心です。
 以上の観点から第2、3シーズンの展開を考え直してみると、『ウエストワールド』のドラマは第3シーズンの終わりまで、実は一貫してドロレスを中心に回っていたことが分かります。彼女に意識が生じたあと、第2シーズン以降は復讐と現実世界の支配に向かう彼女の行動や、“精神的成長”による目標の再設定とそのための行動がドラマの原動力です。
 ウエストワールドの”神”であるフォードは第1シーズンの最後で彼女の手で殺されます。実はドロレスの創造主アーノルドに似せてフォードが作った“ホスト”であるバーナードは、第2シーズン後半で、完成前に何度もドロレスによる“チューリングテスト”を受けていたことが分かります。彼女が一番正確にアーノルドを記憶していたからです。メイヴは第3シーズンで仮想現実の楽園で幻想に生きるためにドロレスを妨害します。黒服の男=ウィリアムやセレックは、無意識のうちに自分自身の「運命」に操られて、他者(“ホスト”および“外れ値”の烙印を押された人間)の自由を奪う敵でした。ケイレブは彼女がまだ“ループ”に囚われていた時代に自由意志に関する希望を与え、彼女が死ぬ直前に希望を託した唯一の人間です。

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