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“レトロフューチャー”SFはなぜ一瞬のブームで終わったのか?

 本稿ではSF映像作品における“レトロフューチャー”の傾向について私見を述べます。この傾向は、1980年代前半から2000年代初頭にかけて(のみ)現れ、それ以降はすっかり忘れられています。具体的な作品名としては、『ブレードランナー』(82)、『未来世紀ブラジル』(85)、『マトリックス』(99)、『メトロポリス』(2001)、『イノセンス』(2004)、『スチームボーイ』(2004)などが挙げられるでしょう。このうち後の3本は日本のアニメーションですが、それらが公開される頃になるとレトロフューチャーは文字通り「古びて」いました。テクノロジーの進歩が社会生活をすっかり変え、人々が何十年も前のSFに描かれた未来世界に対して郷愁ではなく素朴さしか感じなくなったからでしょうか? 私はそれだけではないと思います。

 レトロフューチャーや、それを具現するサブジャンルとしてのサイバーパンク、スチームパンク等は、映像作品の作者に対して物語世界の「描写」に固執することを要求し、物語内容やプロット構成を二の次にさせがちです。予算と準備期間が十分であれば、優れた作者は物語内容とプロット構成も工夫するかもしれません。しかし、そもそもレトロフューチャー的な作品を創るという選択自体が、作者の物語世界の細部に対する(必要以上の)こだわりを示すものです。

 一方で、2000年代初頭から世界の映画やテレビドラマで徐々に顕著になってきた傾向は、物語内容やプロット自体を工夫して多義的にすることでした。クリストファー・ノーランやA・G・イニャリトゥによる時系列の操作やプロットの重層化、『HEROES』や『GALATIA/ギャラクティカ』などのテレビシリーズに見られるグローバリゼーションや新自由主義下での覇権争い、性の多様性の受容などを反映したドラマは、SFに限らずその後のフィクション映像作品の発展に大きな影響を与えています。そのような状況下で、旧態依然とした物語内容を新味のない直線的なプロットを通じて見せるだけでなく、映像自体も懐古趣味に満ちているトロフューチャーの作品は必然的に見劣りがするようになったのです。

 1980年代初頭から2000年代初頭にかけての約20年間で、この潮流は独自の進化と多様化を見ました。映画においては、『ブレードランナー』のカルト映画としての人気が高まる一方、同作から影響を受けたSF文学である“サイバーパンク”が今度はまた映画に影響を与えて『マトリックス』が作られ、その後5年程度でレトロフューチャーの特徴をもつ主要な映像作品は出揃っています。それが現在では、2流以下の作品を特徴づける一つの指標にまで堕ちてしまっています。その理由は、既に述べたことから明らかでしょう。

 実際、2010年代以降のSF映像作品におけるレトロフューチャーは、模倣的な2流以下の作品にしか見られません。ITバブルによる好景気が終わり、リーマンショックと全世界同時不況が起きた2000年代後半以降、レトロフューチャーSFはそのジャンル的な特性ゆえに、アクチュアリティを失う運命にあったと言えるでしょう。

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