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【体験談⑤手術~寛解】30代筆者が、「上顎洞癌ステージ4で余命1年」と診断された話

「上顎洞癌ステージ4で余命1年」と診断された筆者が、下記のようなことをまとめて綴っております。

・まだ、癌になっていない方に気を付けて欲しいこと。
・同じ状況で不安な方への参考になりそうなこと。

今回は、「手術~寛解」の体験になります。私の症状、治療に関する詳細は、下記マガジンをご覧ください。

注)私自身は、医療従事者ではないので、あくまで「体験談」として受け取って下さい。また、人によって状況・症状は異なりますので1ケースとお受け止め下さい。

手術のための入院では、再建手術に用いる脚部や腹部のエコー検査で採取する部位のあたりをつけたり、脳外科部分を担当する医師と挨拶をしたり、手術の最後の詰めのようなことをしました。

■手術の概要(詳細は前記事を参照ください)
・手術内容:腫瘍部の摘出、摘出箇所の再建手術
・摘出箇所:右眼、右上顎洞の周辺、右鼻腔内、右上口蓋
・皮弁:左脚の腓骨・太腿、左腹直筋を材料として採取
・麻酔:全身麻酔あり
・備考:手術時の呼吸確保のため、気管切開あり

手術

手術日は、親族が院内にいてもらう(恐らく何かあった時の保険+事務的な手続き発生時の都合)ということで手術着に着替えた後、来院していた妻と両親と会話をしてから、手術室に歩いていきます。

手術台に寝て、全身麻酔(脊椎麻酔など)、呼吸器の取り付けなどをして、数分経たないうちに意識はなくなります。

この間、親族には昼に「問題なく進んでいます」と中間報告があり、夜に「問題なく終わりました」という報告と共に摘出した患部と術後の私の寝ている姿を見ていたとのことです。

摘出した患部を私は見れていないのですが、妻曰く「誇張なく、こんなに摘出して生きているのかと疑問に思うぐらいの大きい肉片で、摘出した部分が、顔の1/4以上はあると思った」らしいです。

これ以降は術後の話なので、基本何が辛かったみたいな話が多くなります。

術後~ICU

起きると真っ暗で何時か分からないのですが、夜のようでした。聞いている通り、ICU(集中治療室)のようでした。

自分を見ると管(点滴、カテーテル、ドレーンなど)が色々ついているのですが、身体を起こそうとしても起こせないので、あまり周辺も自分の状況もよく分かりません。

呼吸器がついているものの、酸素不足にならない程度の息苦しさはあるという感じです。

痛みは麻酔のお陰かありません。

ただ、意識は物凄く朦朧としていて、どことなく身体全体にしんどさがあります。常に体力が底を尽きているような感覚です。

時折、医師や看護師が様子を見に来てくれます。ただ、気管切開をしており、声帯のやや上に穴が空いている状態なので、言葉を発することは出来ません。

淡を自分で出すことが出来ないため、看護師が定期的に器具で除去してくれます。

室内で窓もなく、身体を起こせないので、常に時間も昼も夜かも分からない。寝たいが、呼吸や身体の辛さが気になり、寝づらい。というか、それでも無理して寝ているので、寝すぎて、寝れない。

起きてすぐはそんな感じでした。

この時に辛いのは、身体を動かせないこと、それにより常に床ずれに悩まされること、淡を除去するときの違和感と痛み、自分では何もできないにも関わらず言葉を発せないので意思伝達が難しいことでした。

■術後、とにかく辛かったこと
身体を動かせない(寝返りも出来ない)
・それにより常に床ずれに悩まされる
・淡を除去するときの違和感と痛み
・自分では何もできないが、言葉を発せないので意思伝達が難しい

ICUから個室に移る

本来1日でICUから個室へ移される予定(※)だったのですが、どうやら何かの手違いで入院棟(頭頚部)の個室に空きが出ず、2日ぐらいICUで過ごしました。

※術後は、特に看護が必要なため、複数人部屋ではなく、必ず個室になりました。手術によって異なり、必ずという訳ではなく、むしろ個室必須の方が少なそうな様子でした。

前述の辛さは相変わらずですが、段々と意識もはっきりして、ICUから移る直前にどこかの患者が尋常じゃないぐらい叫びまわって、クレーム※を言っているのが聞こえました。

※その患者が何かを勘違いした上で医師や看護師の話を全く聞かないという状況のようでした。

個室に移る際も身体は全く動かせないので、ベッドに寝たまま運ばれるのですが、少し振動があるだけでかなり辛く、明らかに身体が普通の状態ではないのを改めて感じました。

徐々にリハビリを始める

個室に移った後、寝ている時間も長くなってきて床ずれの違和感や痛みもピークに達してきました。これは常時あるので起き上がれるまで一番辛かったことですね。

担当医が多いので、色んな科の医師が入れ替わり立ち代わり来ては様子を聞いたり、麻酔の利きを確かめたり、手術後の傷跡を見たりしていきます。

言葉は発せないので、ホワイトボードに書くなどして意思疎通をします。

飲食は出来ず、お腹は全く空かないのですが、鼻の中も手術をしているため、鼻呼吸も出来なくて、口がとにかく乾きます。これも地味に辛かったです。

術後5日程度経った頃に徐々にリハビリとして、歩行訓練を行うようになりました。

実質足は骨折して太腿の肉もがっつり削ぎ、腹直筋も半分無くなっていて、割と冗談抜きにワンピースのゾロがミホークに斬られた時ぐらいの傷だったので「無茶言うな」と思いました。

この時、最近ではもっとひどい怪我を受けても、戦い続けているゾロは間違いなく超人だと再認識しました。

出典:第51話「”ロロノア・ゾロ海に散る”」

とはいえ、医療従事者は人間の限界をある程度理解しているからか、割とスパルタで「とりあえず、病棟を一周歩きましょう」と立つのもやっとで足が折れている人間に言ってきます。

ですが、床ずれに苦しんでいた身としては、立てるということは大きな進歩であり、立って歩くこと自体は大変でも治ってきている証左でもあるため、歩行訓練機に掴まりながらリハビリを始めていきました。

1週間過ぎた頃には、まだ数分座っているのもしんどくはあるものの、妻とロビーで(私はこの時点では言葉は発せないので、LINEを使って)少し会話出来るぐらいになっていました。

退院までの回復

それ以降も回復に伴って、辛さやしんどさは軽減し、出来ることは増えていきました。

大体、退院までの回復は下記のような段階でした。

  • 術後1週間

    • 歩行訓練の開始

  • 術後2週間

    • 会話可能なカニューレに切替

    • 個室から4人部屋に移動

  • 術後3週間

    • 水を飲むのが解禁

    • 皮弁、脚部や腹部の処置

    • シャワー解禁

  • 術後4週間

    • カニューレを外し、気管の穴を塞ぎ始める

    • 流動食の開始

    • 皮弁、脚部や腹部の処置

  • 術後5週間

    • 固形食の開始

    • 皮弁、脚部や腹部の処置

術後4週間目に摘出した患部を検査して、残らず腫瘍が取れたことを主治医から説明され、ひとまず寛解となりました。

そして、5週間目に退院の許可が出ました。以降、最初は手厚めに診察をしながら、徐々に頻度を減らしながら経過観察を5年間していくことになります。

退院時期は、医師と「こんなに早く帰って大丈夫か」といった話もあったのですが、あまりにも病院が暇すぎるのと病院食が舌に合わず、再びRADPRAT同様に早く家に帰りたいという私のわがままと実際に相当回復が早かったようで「まあ、治りも早いしいいでしょう」ということになりました。

入院後期は身体的な辛さもかなり減り、代わりに物凄く暇でした。

毎日妻が送って来てくれる寸劇的な動画だけを朝に見て、そのあとはずっとyoutubeを見るか、漫画を見るか、寝るかといった感じでした。

帰宅後は、気管が塞がっていないので常に穴のある箇所を手で抑えながら1カ月程度生活をしていたのが地味にストレスでした。

他にも辛いこと、不便、ストレスあって、間違いなく『生涯で最も身体的にしんどい時期』だったものの、甲斐あって約1年後の現在(執筆時点:2022年12月31日)に「書き怠けていたな~」と思いながら記事を執筆出来ているので万々歳という感じです。

色々な人に感謝です。

これで癌発覚~寛解に至るまでを書き終えました。経過観察1年目については、術後に右眼や口の中を一部摘出したことでどのように不便になったかなど含め、次の記事で書いていきます。

https://twitter.com/maiyamashusaku

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