シンプル
自分の中に考え方があり、自分らしさと、それとは違う客観性がある。
触れている環境にそれぞれの客観性があって、自分らしさとは少し違うけど、自分にとって楽な考え方もあるかもしれない。
難しく考えずに単純に、客観視されると、自分らしさが自分の評価になる。
ただ自分がその客観性に寄せていくと、その場所で出会う人と気持ちを寄せていくことが割と無理をしなくなって、いずれそれが自分らしさになる。
答えはそんな単純な自分自身と社会の折り合いの付け方ではあるのだが、そこにマイナスと捉えられやすい状況もある、もしくは自分が生業にしている仕事。自分の認識で大きく捉えたり、単純じゃん、なんて人に言われたり。
受け入れて生きていけるラインと自分らしさと、もっと突き詰めると本質とそれに対して自分があるべき環境がある。
JUDY AND MARYの「ラッキープール」が主題歌のドラマがあった。
最後に主人公と結ばれる相手が多分言ったことが「人生を複雑にしてもいいか」といい関係を結んでドラマが終わる。
中学生で、好きな俳優さんが出ていたのでなんとなく見ていて、少し心に引っかかっていた言葉だった。
答えはシンプルで、そこにいる人だけでも認めてくれていればいいのだけど、人との関わりが密な環境ではそうも言ってられない。
仕事では、その仕事の仕方、子育てに対する少しストレートだが人に見られても恥ずかしくない子育て、住まいの環境で注目もされずに、嫌われもしないような態度。
と一見そんなに難しくなさそうな状況が、自分の心をどんどん複雑にしていきながらやがて自分らしさを見失うこともあるだろう。
最初に勤めた会社の社長に言われたことがあった、口癖でその時には無心に疑いもしなかった、けど今思うことは割と的を得ていて、究極的にはそこに至るものなんだなと思う。
形式的に羅列すると、今では違うが一時の状況は、住環境は地方、仕事は割と大きな都市、仕事は現場に向けて、社内的な対応をして、子育てはワンオペ、対外的なつながりは子育て環境に、独身の友達、既婚者の友達、その後趣味で出会う友達。親と親戚にする対応。
それで自分を切り分けて要素だけでも、11個のコミュニティに属していたことになる。それにSNSを加えて一時的には彼女。結果13個の状況を同時に切り分けながら対応して、その時々の顔がある。
自分が誰かなんてとうの昔に忘れてしまいそうになっていた。
今は付き合いの幅を狭めて、というか転職をして、住環境と、子育て、仕事の付き合い。たまに趣味。親との関係。5個まで減っている。
知らず知らず失っていた自分の人間性が顔を出して、自分らしさが息をしてくる。
加齢でもなく、経験でもなく、自分自身が支えられる環境というのは何個まで持てるのか。
一度は考えるべき問題なのかもしれないなと思う。
全てに少しづつルール付けしてそこでの客観的な正しさを、行っていると正しさがどんどん重荷になっていく。
時にそういう状況は、あっていい。
要素であり価値観であり、故に一時的に自分らしさであったもの。
でもシンプルに、多分本来は複雑になっていけば行くほど難しくなる。
結果増えてしまったが、その大風呂敷を畳む。
思考はシンプル。そうなれて少し肩の荷が降りた。
喜びであり、また悩みのタネで、自分を見失うきっかけになったが、
一つの経験として人生の中で向き合えてよかった。
ゆえに自分のシンプルはより磨かれ、自分らしさは自分が落ち着く考えの正しさを知ることになる。
シンプルは一番答えづらい答えで、多様な価値観故に到達すること。と今の自分らしさはそう答えられるかもしれない。