自分の心
転職活動を経て、少しづつ自分は変化しているだろう。
一度就職して、退職。二回目の転職後に、今度は初めて体験する人間関係の拗れている状態により自分自身に退職してくれと言われた。
転職は失敗してしまうのだが、自分は少しその中でいちばん大事なことに気づいていく。
それまで、自分は都会で経験した仕事のルールを守りその中で自分を磨き続けてきただろう。苦しくも守られていて、結果自分は生きてこれていた。
自分の知らない環境を経験して思うことがある。
今いる会社で、必要とされていた理由は、自分の心を見せながら、それでも働き続けるという人から見たら少し変な状態。だから仕事や生活に対して自分自身を顧みなかった。縁で入ったため辞めさせる引き算をしながら自分を観察していたんだと思う。そのことに対する相手のメリットは少なかった。
結果退職を言い渡されるまでに自分は、あまり頭を使わない単純作業をくりかえしながら自分自身の問題を解決して仕事をしてきていて、自分の心が少しづつ変化しながら、仕事に対して燃え尽きながらも、やるべき仕事を優先していたこと、だからやる気を失って、今もう一度やる気が出るまで少しでもしたい仕事をしていくという心の変化になっている。
地元に役割を持つ会社だったが、仕事にやりがいがあったか?
と言われると正直自分はその会社の仕事に対してはやりがいを見つけられなかった。
ただマンパワーによる過重労働、やる気の搾取、経営者が極端なのはどこでも一緒ではあるのだが、技術の継承を行わない従業員、毎日心を伴わない一貫性のない会話。
得たものはこういう場所がある。体を作り、肉体労働経験して、仕事の業務をこなせるようになりながら、次第に自分自身が変化していくことになる。
転職と物件は似ている。
自分は現場を変わることにより、一つの仕事ではあったが、いろんなケースの物件での人間関係やいろいろな役割を求められる仕事を経験してきた。
結果自分の中の経験にかなりの数の職場の経験がある。
だからか、少し落ち着いているんだと思う。
前の気持ちが落ち込んでいる自分がこの経験をしていたら、自分は立ち直れないのかもしれないと思うが、今の自分は少し違う。
社会の見方が変わって物件をこなすように転職をして、そこで与えられた役割を全うしてその中で自分が成長していく。
図面を仕事にしてきた自分物件を名刺にしたように、自分の転職した仕事で名刺を作るようにそんな人から見たら少し怖い転職活動を繰り返すことになっても別のことが出来て嬉しいし心は怯まない。
いつかのタイミングで、自分が図面を生業とした仕事を起業したように、経験した仕事で起業もする時があるかもしれない。
なんだか、自分の仕事に対する考え方が大きく変わった。
孤独な仕事を維持してきた心。頭脳労働で培った起点のある行動。それに今では体まで強くなり、社会に対して自分は名刺を作る。
次の仕事が始まる。気持ちを入れ替えてまた新しい学びの中で仕事をしていこう。肉体労働が自分に選べるようになれば、大分自分の中で心のゆとりになる。
気持ちは切れない。また一から頑張る。