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「ラーメン二郎」挑戦記―聖地での初体験と心の葛藤

十年前、私はラーメン二郎本店に足を踏み入れた。二郎好きの間では「聖地」として知られているあの三田本店だ。

ラーメン二郎といえば、ただの食事ではなく、闘いに近い。山のように盛られたヤサイと麺を前に、黙々と食べきることだけが許され、周囲との会話は厳禁、残すことはもってのほかという暗黙のルールがあった。もちろん、店がそう明言しているわけではない。だが、私の心の中にはそうしたイメージが染みついていた。

それでも、一度はその闘いに挑戦してみたいという気持ちがあった。ラーメン二郎の話題になるたび、友人たちは口々にそのボリュームと味を語り、「なぜか定期的に食べたくなっちゃうんだよね」と笑い合っていた。その笑顔を前に、私もいつか二郎デビューを果たそうと決意していたのだ。

そしてその日が来た。店の前に着いたとき、思わず足がすくんだ。並んでいる人たちは皆無言で、ただ粛々と順番を待っている。私もその列に加わり、緊張感を背中に感じながら静かに待った。列が少しずつ前進し、店の扉が近づくにつれ、心臓の鼓動が高鳴っていく。店に入ると、まず目に入ったのは、赤く光る食券機だった。

「普通のラーメン」で良いだろう。そう自分に言い聞かせて、食券を購入した。普通に食べきれる範囲で、初めての挑戦だから無理はしない――そう思ったのだ。

カウンターに座り、食券を店員に渡す。しばらくして、目の前に置かれた丼を見て、言葉を失った。「これが普通なのか?」。その山盛りのヤサイと麺の量は、私の想像を遥かに超えていた。他のラーメン店で「大盛」と呼ばれるような量が、ラーメン二郎では「普通」なのだとそのとき初めて知った。顔が青ざめるのを自覚しながら、深呼吸して箸を取った。

一口目、濃厚なスープが口の中に広がる。二口目、もやしのシャキシャキとした食感が心地良い。だが、その心地良さも長くは続かなかった。ボリュームに圧倒され、胃が徐々に重くなっていくのを感じる。店内は相変わらず静寂に包まれ、隣に座る人たちは無言で丼と向き合っている。まるで一種の儀式のように感じた。私も負けじと麺を啜り続けたが、半分ほど食べたところで、箸が止まってしまった。

「これ以上は無理だ…」

そう思った瞬間、背中に冷や汗が流れた。ここで残したら、ラーメン二郎の戦士たちに顔向けできないのではないか――そんなプレッシャーが押し寄せてきた。しかし、いくら気持ちを奮い立たせても、体は正直だ。胃はすでに限界を超えており、これ以上は一口も入らない。

私は小さなため息をつき、丼を見つめた。店内の空気は重く、周囲の客たちは淡々と食事を続けている。私だけが時間が止まったように感じられた。もう少し、もう一口だけでもと思ったが、体は動かない。

ついに私は席を立つ決意をした。無言で、足早に店を後にする。振り返ることもなく、逃げるように田町駅に向かった。その日は何も考えられず、ただ虚しさと恥ずかしさだけが心に残った。ラーメン二郎を残してしまった罪悪感は、私の中で長い間尾を引いた。

それ以来、ラーメン二郎には一度も足を運んでいない。もちろん、友人たちが「二郎系ラーメン」に行こうと誘ってくることもあったが、私はそっと話題を逸らすか、予定があると嘘をついて断ってきた。ラーメン二郎は、私にとって「未踏の聖地」であり続けたのだ。

あれから十年が経過した。街中で二郎系ラーメンの看板を見るたびに、あの日の記憶がよみがえる。全国に広がった二郎系ラーメンの店は、多くの人に愛され、そのファンも多い。しかし、私にはまだその世界に再挑戦する勇気が湧かない。

最近、ふと思うことがある。もう一度、あの聖地に行ってみようか、と。今度は、小サイズを頼めばいい。それなら、あの日のような無残な敗北は避けられるかもしれない。過去の自分と決別し、もう一度二郎との闘いに挑むことができるかもしれない。

そんな思いを抱きつつも、私はまだ、二郎を口にしていない。心のどこかで、あの闘いの記憶が再び蘇るのを恐れているのだろう。それでも、いつか再びラーメン二郎に挑む日が来るかもしれない。その時は、小さな勝利を収めることができると信じている。

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