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文芸サークルの風雲児

文芸サークル「たんぽぽ」は、週に一度、古びた公民館の一室に集まる小さなグループだ。メンバーは4人で、それぞれが趣味の範囲で小説を書いている。サークルの空気は和やかで、誰もが優しく、批判を恐れずに意見を交わす――といいたいところだが、実際にはある「問題児」の存在が、微妙な空気を生んでいた。

その問題児とは、佐久間亮。佐久間の小説は、とにかく酷い。彼の書く文章は、小説というよりは彼の妄想を日記にしたようなものだった。常に彼の主張や考えで構成されていて、とても読めた代物ではない。しかし、彼自身はそれに全く気づいておらず、むしろ自分の才能に絶対の自信を持っている。

「いやぁ、佐久間さんの小説、いつも心理描写がうまいですよね!」

先週も、メンバーのひとりである安藤がそんな歯の浮くようなお世辞を言っていた。実際には彼も、佐久間の小説を読むたびに胃痛を覚えているのだが、あまりに無邪気に自作を語る佐久間を前に、率直な感想を述べる勇気が持てないのだ。ほかのメンバー、清水と藤本も同様だった。

ある日、サークルの会議で一大決定が下された。

「みんなで文芸誌を作りませんか?」

清水の提案に、安藤と藤本は歓声を上げた。サークル結成以来初めての大きな企画だ。しかし問題は佐久間の作品だった。あのレベルの低い小説を誌面に載せるのはさすがにまずい。どうにかして彼には別のものを書かせるか、外部扱いにする必要がある。

そこで3人はある作戦を立てた。それは、佐久間をひたすら褒めちぎるというものだ。

「佐久間さん、やっぱりあなたの作品って群を抜いていますよね!」

「他のメンバーと一緒にするのは失礼だと思うんです。」

「単独で長編を書いたほうが、あなたの才能が最大限活きると思います!」

佐久間はこのおだてにまんまと乗った。「そうか、僕は別格だったのか」と、得意満面で長編の執筆に取り掛かった。

佐久間が「長編小説を書いてみよう」と決意してから、文芸サークルの雰囲気はさらに微妙なものになっていた。彼が取り掛かる長編の題材は、最近彼が熱を上げている「ある女性」をモデルにした恋愛小説だという。

清水は溜息をつきながら安藤に耳打ちした。

「あの話、聞いたか?」 

「例のデートのやつ?」 

「デートじゃないだろ。ただ一回、彼女が好意でご飯に付き合っただけって聞いたぞ。」 

「それを佐久間さんが勘違いしてるんだよなあ……。」安藤は、困ったように首を振った。

その「デート」と称された出来事は、数か月前のことだった。サークルの誰もが知る地元の人気カフェで、佐久間とその女性が一緒にランチをしているところを偶然目撃した人がいたらしい。それを聞いた佐久間は、「そうなんだよ、彼女とデートしてさ!」と、これ見よがしに得意げに語ったという。その場に居合わせた安藤も、複雑な表情を隠せなかった。

「いやぁ、それでさ、彼女が『また会いたいね』って言ったんだよ!」

「へぇ……そうなんですね。」

「うん、僕たち、運命感じるんだよね。」

安藤はそれ以上言葉を挟むことができなかった。後から聞いた話では、その「また会いたいね」は単なる社交辞令で、むしろ女性側はその食事がきっかけで佐久間に少し距離を置きたいと思ったようだった。周囲に「付きまとわれている」と相談するほど困り果てているらしい、という話まで耳に入った。

そんな背景を知っているサークルのメンバーにとって、佐久間が「彼女との運命的な恋愛」をテーマにした長編を書き始めたというのは、正直なところ悪夢のような話だった。しかし、本人には一切悪気がないだけに、誰も止めることができない。

「今回の小説、めっちゃ自信あるんだ!」

佐久間は毎週のように集まりで進捗を報告した。彼はノートパソコンを持参し、冒頭部分を得意げに読み上げた。

「運命の出会いは、いつも突然訪れるものだ。雨が降りしきる午後、僕は街角のカフェで、天使のように微笑む彼女を見つけた――。」

安藤、清水、藤本の3人は、顔を見合わせた。まさにあの女性との出会いをそのまま書いているのだろうと察しがついた。しかも「雨が降りしきる午後」という描写は大げさで、実際には晴天だったという事実を知っているだけに、余計に変な空気が流れた。

「えっと……すごく情景描写がリアルですね。」

清水がとりあえず褒めると、佐久間はますます調子に乗った。

「そうだろう?やっぱりさ、実体験を基にすると説得力が違うんだよ。ほら、僕、彼女と深い話もしたからね。」

彼の話を聞きながら、安藤たちは内心で頭を抱えた。「深い話」と言っても、おそらく女性側は軽い世間話をしていただけだろう。それをここまで誇大解釈できる佐久間の思い込みの強さに、彼らは改めて驚くばかりだった。

佐久間はますます執筆にのめり込み、彼女への一方的な感情を物語の中で膨らませ始めた。ある日、彼はこんなシーンを読み上げた。

「『君は僕の運命だ』彼は彼女の手を取り、真剣な眼差しでそう言った。彼女の頬はほんのり赤く染まり、唇がわずかに震えている。『私も……あなたに同じ気持ちを抱いているわ』」

清水が思わず顔を伏せると、安藤はコーヒーを飲む振りをして咳払いでごまかした。藤本だけが平静を保ち、「このシーンって、何か元になった実体験が?」と質問を投げかけた。

「まあ、ほとんどが僕の想像だけど、ほら、あの時の雰囲気をベースにしてさ!」

佐久間の笑顔は無邪気そのもので、少しでも否定するのがはばかられるほどだった。

数週間後、佐久間は文芸誌に載せるどころか、自費出版で一冊の本を仕上げてきた。そのタイトルは『運命の人』。

そこに描かれていたのは、女性との甘美な恋愛模様。しかしその描写は一方的で、彼の理想が盛り込まれすぎている。読んでいるだけで背中がむず痒くなるような内容だった。

清水と藤本も、感想を述べることができないまま苦笑するばかりだった。「これ、彼女が知ったらどう思うんだろう……」と、3人とも胸の中で同じ不安を抱えた。

そして数日後、佐久間が文芸サークルの集まりに現れた。彼の顔はやつれ、肩を落としていた。

「どうしたんですか?」と安藤が尋ねると、佐久間は力なく答えた。

「彼女が読んだらしいんだけど、ものすごく怒られた……。」

どうやら彼は、出来上がった本を知り合い中に配ったらしい。すぐにモデルの女性に知れ渡ることとなり、小説の内容を不快に思ったそうだ。さらに彼女は、「そもそも私たち、そんな関係じゃない」と断言した。

「しかもね……小説としての出来もボロクソに言われたんだよ。語彙が足りないとか、構成が雑だとか、妄想丸出しでキモチワルイとか……。」

その指摘は、これまで3人が口にできなかったことばかりだった。

振られた上に小説を酷評されて落ち込む佐久間だったが、これをきっかけに一念発起したらしい。数週間後、彼は意気揚々と新作を持ち込んできた。

「今回は失恋をテーマにした作品を書いたんだ。タイトルは『痛みを超えて』。」

彼が持参した原稿は、失恋を題材にした私小説だった。だが、内容はまたしても彼の自己陶酔が全開だった。主人公は悲劇のヒーローとして描かれ、元恋人に対する未練がこれでもかと綴られている。

安藤たちは相変わらず辟易したが、なぜか彼のことは嫌いになれない。小説に対する熱意と行動力だけは本物なので、なんだかんだ3人は彼に一目置いていたのだ。「彼の生き様自体がもう小説みたいだよな」と清水がつぶやくと、藤本も頷いた。

後日今度は藤本が、佐久間をモデルにした風刺的な小説を書いた。その作品はとある文芸賞で佳作に選ばれ、ますます佐久間を奮い立たせることになるのだが、これはまた別の話である。

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