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通信制限と119冊の読書―入院生活で得た貴重な時間の過ごし方

入院からひと月と一週間。いよいよ退院を明日に控え、少しだけそわそわしている。

先月下旬に突如として訪れた悲運な出来事。あの金曜日もフットサルで気持ちよく汗を流して、帰宅したらビールを飲んで、最高の週末を迎えるはずであった。いつも以上に身体が軽く、プレー中も息があがらず、既に1G2A(1ゴール2アシスト)の活躍をしていた(怪我による妄想かもしれない)。それがまさか、ボール保持していたところにタックルをくらって痛みでうずくまるような、テレビでしか見たことがない瞬間が自分の身に起こるなんて、思いもしなかった。足を押さえながら、なんか今スポーツ選手みたいだ…ぼんやりそんなことを思った。

金曜の夜に診察を受け、翌日には入院。週明け月曜日に手術と、頭が処理するより先に日程が進んだ。診察を受けて一時帰宅した金曜日の夜に考えていたのは、あーさすがにビールの気分じゃないな、くらいのことである。

当初は10日ほどの入院と考えていたのだが、結局一ヶ月を超えてしまった。松葉杖二本では、物を持ち運ぶことすらままならない。体重の2/3荷重の許可が出て、松葉杖一本で歩けるようになった段階で退院することにしたのだ。ここまで回復してきても、まだ普通の歩行には程遠い。普通に歩ける状態というのがいかに偉大であるか思い知る。いま『ジョゼと虎と魚たち』を見たら、また感じ方が違うだろう。

一ヶ月以上休みが続いたのは学生時代以来だ。これだけ大きな出来事があると、習慣や考え方にも変化があった。

たとえば、怪我前は三つの日々のルーティンがあった。毎日ブログを書いて、サブの短歌ブログを書いて、室内運動(腕立て伏せ30回、腹筋90秒、スクワット30回)をやっていたのだが、運動は当然中止せざるを得ず、短歌ブログは途絶えてしまった。四年間続いているブログだけは執念で残した。今後はブログを継続しつつ、また新たなルーティンを加えるつもりだ。

それから、今の自分の立ち位置というか、仕事やキャリアのことを考えた。現場から離れているからこそ見えたり、考えたりできることがあるものだ。現状でよいのか、自分のポテンシャルはどうなのか、今後どうなりたいか。渦中にいると考えられないし、時として考えたくもなくなることについて、あれこれ思いを巡らした。おかげで自分の中でひとつ目標のようなものもでき、早速行動へ(動けないけど)。達成できたら大体的に内容を公表したいものだ。

そして、これは変化というよりは環境がそうさせたのだが。入院期間中、通信制限があった関係で動画やネット利用ができず、ひたすら本やマンガに費やす日々だった。制限があれば人は観念するもので、それはもう大変集中できた。マンガが大半とはいえ、長編小説や論文のような新書もこなしながら入院期間中に119冊。8月だけでも77冊なので、そこそこ読めたのではないか。

700ページを超える大ファンタジー。感受性を失ってしまった大人こそ読むべきかもしれない。

論文かと思った。読み切ったときの達成感はひとしお。

ちなみに、通信制限についてはオチがある。どうも病院のWi-Fiは患者も利用できたらしく、退院二日前に気が付く始末。案の定、YouTubeをチマチマとつまむようになったので、使えないと思い込んでいて良かった。

長い入院生活も実質今日で最後。私の夏は始まる前に終わってしまったようだ。さみしいというのはあまりないが、病室だって住めば都になるものだ。身の回りを片付けながら、物思いに耽る。

あの入院期間があったから今の自分があると言えるよう、「アフター怪我」の新たな自分を作っていく所存である。

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