【カタカムナ音読法で♡】
子どもの「国語力」を飛躍的に伸ばす究極のメソッドを、長年家庭教師をされて来た松永暢史先生から教わって、「日本語」の魅力に取り憑かれた。
「国語力」は全ての教科を学ぶ基礎となるので、「国語力」を身に付けることは本当に大切なことだと思う。どの教科の試験問題も日本語なのだから、読解力がなければ、正解を導き出すのは難しい。物理や数学もしかり。
この混沌とした世の中で、自身の人生を豊かに幸せに生きる為にも、日本の将来を背負って立つ子どもたちが、しっかりと母国語を使って、他国の人たちと平和な未来を切り拓いて行く為にも、「国語力」は何よりも優先されることではないかと思う。
私たちは、物事を「思考」する時に言葉で考える。言葉がままならないと、「思考」することは難しくなる。
例えば、ある国が別の国を侵略して植民地化する時に最初に行うことは、母国語の使用を禁止させ、その国の人たちの「思考」をストップさせることだ。
だから、私たちは母国語を失った時に母国を失うこととなる。
ちょっと物騒な話ではあるが、現に今でもこのような悲劇は行なわれている。
さて、「カタカムナ音読法」は、最初に「あいうえお」の5つの母音の発音から始まり、五十音の正しい発音を練習する。
松永先生の口の形や、発音を真似して、何度も何度も練習する。
何度も、先生のお手本を見て、聴いて練習することで、自分の日常の「発音」がクリアになっていくのを感じるが、それと一緒に、耳も肥えきて、相手の「発音」に敏感なる。相手の言葉を聴き取る力、理解する力も付いてくるのだ。また、相手のいい加減の「発音」が氣になったりする。
そうやって、基本の五十音の「発音」の矯正をしてから、カタカムナの音読に入る。
意味のよくわからない、呪文のようなカタカムナのウタヒを音読する。
そして、その次は…「古事記」「万葉集」「古今和歌集の仮名序」「竹取物語」「伊勢物語」「土佐日記」…と言うように年代の古い順に音読を進めていく。
このように、日本の古典を音読していくと、世界でも稀な言語である日本語の素晴らしさや、作者である当時の日本人の感性の豊かさを「文字」からではなく、「音・響き」を通して体感できるのだ。
古典の文法を学び、現代語訳をしてただ意味を解釈するだけの古典の授業では得られない素晴らしい体験で、学生の頃あれだけ古典が苦手だったのに、この歳になって改めて日本語の素晴らしさと、日本人の豊かな感性を知ることができたのはすごく嬉しいことだ。
そして、この古典は今の私たちの言葉に繋がっていて、豊かな感性は私たちの遺伝子に引き継がれている。
さて、明治時代以降、「西洋のものなら何でもよい」と言われ、封建社会の日本は劣っているからと、西洋のものを取り入れて「近代化」を目指し、今日に至っている。
が、果たして日本の文明は本当に西洋に劣っていたのかしら…と思う。
私たちの豊かな感性は、自分たちも自然の一部と捉え、自然と共生して生きる知恵を持ち、互いに調和をして生きることを好んだ。
西洋の「力づくの社会」と、「調和の社会」どちらか幸せで、高度であろう。
「カタカムナ音読法」で、日本の古典の「響き」を体感することで、普段私たちが使っている「日本語」の本質に触れ、忘れかけていた日本人の根っこに立ち戻ることができる。
「言葉」が「思考」を作る。
「言葉」で自分の考えを伝え、相手の「言葉」に耳を傾ける。
お互いの「響き」に耳を澄ませ、「共振」させ、調和する社会を作るには、「カタカムナ音読法」で、日本の古典に触れ、私たちの豊かな感性を取り戻すことが大切だと思うし、何より楽しいことだ。
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