20230305_グッドバイ、1995年。
大川隆法が死んだ。
僕の中の1995年が、また一つ終わった。
なぜ大川隆法で1995年を思うのかというと、この上なくクソッタレな形で僕らがブルーハーツを奪われた年が、他でもない1995年だったからだ。
ラジオで唐突にヒロトが解散を宣言してからは、信じられない速さで何もかもがガラガラに崩れ落ちていった。
河ちゃんが幸福の科学にハマってああなったのを『JAPAN』のインタヴューで堂々公言した直後、今度はファンクラブの会長がオウムの出家信者になった報せが飛び込んできた。
当時の週刊誌には面白半分に「宗教バンド」とあんまりな異名をつけられ、それがまた屈辱だった。
あれは、オウムに出家したFC会長を取材した『QJ』に書いてあったのかなぁ。解散直前の頃のヒロトが飛び入りで乱入したライヴで「あなたは神を信じますか」とヤケ気味にがなってたなんて情報も入ってきて、それも心が痛かった。
そんな具合にズタボロになっていた真っ最中に、ヒロトとマーシーが「また一緒にバンドやります!」と電光石火でハイロウズ始めた時は、そりゃまぁ僕も狂喜した。1stアルバムの楽曲は、河ちゃんをディスってるようにしか思えない歌詞ばかりが並んで、それがまたスキャンダラスでゾクゾクきてしまった。
僕も単純なので、生まれたばかりのハイロウズ聴いて、「ヒロトマーシーありがとう! 河ちゃんザマーミロ‼︎」と、テンションぶち上げて浮かれているた。
でも今思えば、初期ハイロウズ聴いて河ちゃんを必要以上にこき下ろすことで、ブルーハーツを失った悲しみを相対化して精神のバランスを保っていたのかもしれない。
ハイロウズ結成当初のヒロトも、夜ヒット・カメラマン暴行事件を筆頭とする偽悪的・露悪的なパフォーマンスが目立ち、肩肘張りまくりで自然体とは程遠い様子なのは明らかだった。
これはまったくの憶測だけど(当の本人が本当のことを教えてくれるなんて絶対ありえないし)、きっとヒロトも、自分の中のブルーハーツを葬り去るために必死だったんじゃないだろうか……いや、憶測なんだけど。
あれから28年もの月日が経ったけど、解散宣言から年末の夜ヒット事件まで、1995年ってやつはアッという間の電光石火で過ぎ去っていった。しかも、一生忘れえぬ“あの”1995年を締めくくるイベントが夜ヒットのカメラマン暴行事件というのが、またパンチが効いているではないか。
しかしね。俺こんな調子でね、死ぬまで1995年の思い出話ばかり繰り返して歳をとり続けていくんだろうね。
ただ、あの頃の自分に教えてあげたい。モラトリアムの時代が終わるのが怖くて、池袋の庄やで安酒ばかりかっ喰らってた大学4年生の自分に。
「おい1995年のお前! 未来の俺がちょうど今の思い出を書いた文章、インターネットで超たくさんの人に読んでもらったぞ⁉︎」
<後記>
これを読んでいるほとんどの方がご存じの通り、このnoteは、一昨日の夜中(夜勤の休憩中でした)にtwitterで連投したツリーの再録になります。
バズを狙ったワケでもないのに(そもそもそんなスキル知らない)あれほどの反響があったことに、とても驚いています。
中でも特に印象的だったのは、1995年をリアルタイムで体験していない若い世代と思われる方々から「初めて知った」という新鮮なリアクションを多数いただいたことです。
僕も長文をしたためるとなったら、過去の思い出話ばかりを選ぶような歳にすっかりなってしまいましたが、若い世代の方々にそういう反応をいただけるなら、おっさんも書くモチベーションを高く保てそうです。
今回の長文を読んでいただいた皆様に、改めて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。