20240224_再録・黒石寺蘇民祭初参戦記【3】五穀豊穣、蘇民将来<1>(2009.2.1〜2)
夜10時。ついに「水垢離」(みずごり)の瞬間がやって来た。
ウヤー! と一同気合いを込めて、下帯(白ふんどし)一枚、剥き身の裸姿になり、薪で温まる休憩所から、寒風吹きすさぶ寺の境内へ飛び出す。
が!
「×△◎▼□※☆◆~~~~~!!???」
「寒い」とも「冷たい」とも「痛い」ともつかぬ、経験したことのない感触が、全身の肌という肌に襲いかかる。
巨大な氷で全身をプレスされているような感触というか、体中の皮膚を無数の洗濯バサミで引っ張られているような感触というか。
そして、尋常ざる冷気に襲われるのは身体の表面だけではない。
冷気は皮膚を突き刺し、筋肉と骨と血管の芯まで浸食する。
聞くところによると、この時の気温、氷点下2度。
「水垢離」(みずごり)
午後10時に鳴らされる梵鐘の音を合図に祭が始まる。浄飯米(おはんねり)を持った祈願者の男女が水垢離(みずごり)をした後「ジャッソー、ジョヤサ」(邪(ジャ)を正(ソ)すの略)と掛け声を発しながら本堂を三巡し、五穀豊穣を始めとする幸福を祈願する。
(Wikipedia『蘇民祭』より)
垢離(こり)とは、神仏に祈願する時に、冷水を浴びる行為のこと。水垢離(みずごり)、水行(すいぎょう)とも言う。垢離は漢語には見当たらず、純粋な和語と考えられている。神や仏に祈願したり寺社仏閣に参詣する際に、冷水を被り、自身が犯した大小さまざまな罪や穢れを洗い落とし、心身を清浄にすることである。神道でいう禊と同じであるが、仏教では主に修験道を中心に、禊ではなく水垢離などと呼ばれ行われることが多い。
(Wikipedia『垢離』より)
「ジャッソー!(ジョヤサ!)ジャッソー!(ジョヤサ!)」
「ディーディズカフェ」と墨で書かれた角燈を片手に、半ばヤケ気味にジャッソージャッソー絶叫するDEEDEE'Sチーム一同。
……って誰か、カメラに目線もくれず、悩ましげなポーズで身体をクネらせてる奴がいるぞ!
……俺じゃん!(泣)。ナサケネエ!
そうやってジャッソージャッソー叫びながら練り歩いている間に……
とうとう山内川の冷ややかに澄んだ流れが、眼前に迫ってくる。
無数の角燈に照らされて光る川面が、視界からぼうっとぼやけてくる。
人間という生き物は、恐怖が迫ると意識が遠のくようにできているのか、僕の目の前の景色が、すべてユメ・マボロシになったかのような感覚に襲われる。
半ば夢遊病者になったような感触のまま、口だけはジャッソージャッソーと動いているような状態で、いよいよ山内川の岸に立つ。
目の前の裸の男たちが次々と、意を決して入水し、叫びながら、手桶に汲んだ冷水を頭に浴びる。
叫ぶ文句は「五穀豊穣、蘇民将来」(ごこくほうじょう、そみんしょうらい) 。
川の周りを取り囲む、おびただしい数のカメラマンの群れ。
男たちが水を浴びるたびにフラッシュがあちこちから瞬き、あたかもその光景は、光の渦の中で男たちが踊っているかのように見える。
手桶がついに、僕のもとに回ってきた。
もはや逃げも隠れもできない。
どうにでもなれと、ひと思いに川の中へ飛び込む。
僕はこう見えても元水泳部なので、昔は水相手に覚悟を決めるのは得意だったのだ。
聞くところによると、この時の山内川の水温、2度。
得てして水温というものは、気温よりも高くできているもの。
かなり冷たいのは確かだが、ここまで外の空気が寒いと、もはや2度の冷水は、さほどの苦痛ではない。
「ごこくほーじょー、そみんしょーらーい!」
水を満パンに汲みあげて重くなった手桶を、両手にひっ掴み、ひと息に頭上に振りあげる。
ざば、ざば、ざばーと、細切れのスローモーションのように、2度の冷水が全身の皮膚を乱暴に覆い尽くす。
身体の芯から、ぼうっと炎が燃えあがるような錯覚を覚える。
新雪積もる寒空の中で浴びる冷水は、むしろ身体を熱くするのだ。
「うぉー!」「オリャー!」
「行くぞオラー!」「ジャッソー!」
一発目の水垢離を済ませ岸に上がり、すっかり高揚しきった男たちが思い思いの絶叫を挙げながら、小走りに石段を駆けあがる。
この僕にも、地元や東京の生活では絶対に出てこないような声が、自然に湧きあがってくる。
「ジャッソー!」
この僕ですら、この時点でだいぶ得意気になってきた。
【つづく】