人生で最も能動的になった瞬間がニートになることを決意したことだった#008
私は、人生を生きてきて、自分を律することに成功したことがなかった。常に感情系が私の行動原理において優位であり、反対に思考系ではいつもなりたいものがあったにもかかわらず、それになれなかった。感情的に突発的に夢を追い始めたと思ったら3日ぐらいで自分の成長の遅さに嫌になったりした。
感情系でプレイしていたゲームですらその影響は出ていた。私は常に感情系で動いていたためか、常にゲームは友達とプレイしていた。その方が面白いし、動機もある。
私はずっとゲームで上手くなりたいと思っていた。
が上達のための工夫は全て失敗に終わった。なぜなら、プレイする理由に友達以外を置けなかったからだ。そこに上達を置こうものなら、たちまち感情系が怒り出す。上達のためになんかプレイしないぞ、と。
20歳になり働き始めて気づいたことがある。思考系でずっとやりたいことを抱えながら感情系で生きてきた自分。自分に足りなかったのは前頭葉の耐性であった。普段から自分を律することをしなかったために、面倒くさいことへの耐性が全く無くなってしまっていた。それが、働くことで雑用をするようになり気付けた。と同時に、仕事をした日のアフター5はその後も自制的に動けるが、休日が2日続くと2日目にはまた怠け者に逆戻りしてしまうことに気づいた。
そこで、耐性をつけることをとにかく意識して休日を過ごしてみた。自分を律した回数を数えながら生活してみた。すると、自分の習慣に自然と目がいくようになった。自分が今まで時間をどのように使っていて、それがいかに感情系に支配されてるかに気づいた。
昔、Kurzgesagt - in a nutshellというyoutubeチャンネルで、習慣化の方法が動画化されていた。
このようなものを人生でたくさん挑戦してきたが全て失敗した。
昔の偉人を見てみると、
アリストテレス(古代ギリシャの哲学者)
アリストテレスは、自己統制や自制心について多く語っています。彼は『ニコマコス倫理学』で「徳の実践」や「中庸(ちゅうよう)」の概念を提唱し、過剰な欲望や衝動を抑えることが人間の幸福に繋がると述べました。自分を律することが良い人生を送るためには欠かせない要素であると強調しています。
マルクス・アウレリウス(ローマ帝国の皇帝)
マルクス・アウレリウスは、『自省録』という著作の中で、自分の感情や欲望を抑え、理性に従って行動することの重要性について深く考察しました。彼はストア派哲学を学び、自己制御や自己律を実践することが精神的な強さや平穏を保つために必要であると述べています。
孔子(中国の哲学者)
孔子は、儒教の教えの中で「己を修めて人を治める」という言葉を残しています。自分を律し、自己修養を重ねることが、社会や他者との調和を築くための基礎であると説いています。
エピクテトス(古代ギリシャの哲学者)
エピクテトスは、ストア派の哲学者であり、自己制御を重視しました。彼は「自分がコントロールできることとできないことを区別し、コントロールできることに集中するべきだ」と教えました。彼の考え方は、ストレスや困難に対する反応をどう制御するかに焦点を当てています。
おそらくこのような文献を大量に見てきたにも関わらず、今に至るまで自分を律することができなかったのは、全て言葉の指す意味を理解していなかったからだと思う。"指月の例え"のような状態になっていた。
自分を律することが重要だというのは、少し自分を律することができるようになって気づくものであった。
そして、私の兼ねてからの願望である、"休日"に自分を律して自分の思考系が欲していたことができるようになった。休日というのがミソで、休日に律することに出来るなったのは人生で初めてだった。
すると、急に仕事でしている内容が思考系でも感情系でもやりたく無いものになってきた。別に入った時からそれは変わらなかったがそれでも出来ていたのは、気分と新鮮さによってのみだった。自分が進学では無く就職をした方が良いなと思っていたのは、学生段階で自分を利することができないから就職した方がまだマシ、このまま学生になって遊び続けるのに飽きたからであった。
そして就職し、自分を律することができるようになってから、自分のやりたいことができるようになってから、仕事の業務内容に対して一切の興味を失った。ここは子供のままかもしれないが、当たり前な話、やりたいことがある分、それ以外はやりたくないという反応は当然なんじゃ無いかと思う。逆にこれで思考系で自分を操作してもやりたいことが無い場合は仕事を続けていただろう。だがまだ22になったばかりだし、まだ夢を追っても間に合うはずだ。自分にはその能力があると信じている。
だが、仕事を辞めたいと親に言い出せない。というのも、親は仕事を私にさせたがっている。就職の大切さを私に押し付けてくる。当然、親が就職しているから私がそのお金を使って夢を追う猶予期間となるのだが。
私の親は、特に母自身があまり自分を律している印象が無い。仕事はできるみたいなのだが、家事はできればやりたく無いというタイプ。家事は前頭葉に効く有効な雑用である。
就職は大切だが、それより20代の挑戦の方が大切なような気がする。もちろん夢を諦めてからでも会社で働くのは遅く無いし、別に20代の時間で就職したことで手に入る役職に価値を感じないし、お金はバイトすればいい。確かに椅子に座って黙って作業することで月給が貰えるという状況は極めて安全である。
だが、安全を捨ててでも私は夢に挑戦したい。就職なんか、夢を諦めた後ならどこでも変わらない。
希望を持たなければ絶望しない、という名言があるが、希望を持たずに生きられない自分にとって、絶望する覚悟で挑まなくてはならない。そのために仕事を辞めてニートになり、自分を理性的に思考系で制御して夢を追いたい。
そのために親にはまだ私に投資して欲しい。