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心地光明の如く【楠学問から学ぶ】楠木氏×五島秀一

10月19日 心地光明の如く【楠学問から学ぶ】楠木氏×五島秀一」(大阪)
ことのはじまりは、お二人が新幹線の車内で偶然に再会したことからでした。
それもまた重要なタイミングであったのでしょう。

初めて名を明かしてご登壇いただいた楠木氏ですが、楠学問の真髄からはじまり、これまでの自身の身に起きた驚きの出来事、これについては楠正成公が実際はどういう人物だったのかを深く洞察する必要がありました。

何度も死にかけたという楠木氏、それは楠正成公の霊力がどれだけのものであったのか?を物語っています。

日本の霊的実力者を抹殺する動きがあったこと。
それは念力とも言いましょうか。
そしてそれは今でも続いていること。

しかし攻撃を止めることは「戦いの意志」を表します。
分裂は戦いであることから
「受け止める 受け流す 受け止め流す 受け入れる」が楠学問の教えです。
そして受け止めるための鉾を持っていることが大事です。(楠木氏)

また「祈り」「浄化」のために、日本中を旅している楠木氏曰く、
スピリチュアリストの方々は、「歌う、舞うといった行為」で意味があり封印されている土地のエネルギーや霊魂を、無責任に開けてしまっています。閉じることのできない人が開けてはいけません。

楠正成公の血を引く楠一族の方々は、まさに、映画『すずめの戸締まり』の「閉じ師」なのだと知るのです。

閉じ師:常世に通じ、そこから災いがもたらされる「後ろ戸」を閉める仕事のこと

日本に生まれているからこそ、多くの人に知ってもらいたい。今は楠学問で伝えようとしていることを、粛々と丁寧に丁寧にして行く人が増えると嬉しいと思っています。

丁寧に生きる時間を使い、すべてのモノやコト、それにカタを大切にしていく。考えるのではなく、感じる感覚も大事にしていくことです。

「戦」い「争」う[戦争]。「戦」い自体を「略」するために[戦略]があり、そのために「戦」わない「術(すべ)」[戦術]を考えましょう。

「教育」とは子どもに「教」えて「育」てる。という意味だけでなく、子どもを「育」むことで「教」えてもらう。という意味が入っています。その「教」えてもらうこととは、「心の豊かさやたしなみ」です。その「心の豊かさやたしなみ」が「教養」の一つになります。

全ては畏怖、そして敬い。だから畏敬。大事に大事に、そして丁寧に丁寧に、時には新しい事や発見、そして常識を覆す考え方や行動の取り方などにも敬意を持ちながらも、決して崩してはならない粛々と繋げられてきた礼儀に対しては、謙虚に忠実にそして真摯に、礼儀と礼節を心地光明の如く、繋げていきましょう。

命を生かすこそ生命。それを活かすこそ活命。それを素敵に振舞い純に粋る。純粋に、生粋に、一人一人が長寿より、永寿より、嘉壽でありますように。
楠学問より

2024年10月19日
文責 Shuオフィス

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