禊と神産み「イザナギの儀式」
イザナギとイザナミの時代
古事記の記述によると、イザナミは火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)を産んでお亡くなりになった。これは物理的には火山の噴火を表していると言えるでしょう。
イザナミの墓の近くにあるのは広島県と島根県の間にある比婆山。その至近距離にあるのが島根県のほぼ中央部にある三瓶山です。
三瓶山の火山活動は約10万年前にはじまり、3900年前(縄文時代)まで大噴火が続きました。
同じ頃、3900年前(BC1900年)の中国は、中国最後の王朝と言われた夏王朝の時代です。
夏と周の間には殷王朝がありますが、殷王朝のハプロタイプ(父母それぞれから受け継いだ遺伝子座の一対)は、日本の縄文人とまったく同じです。
したがって3900年前、日本人が居住するエリアは現在の中国にもあったのかもしれません。
住吉三神と綿津見三神が生まれた場所
古事記の記述によると、イザナギが禊をしたとき、綿津見三神と住吉三神が同時に生まれたとあります。
住吉三神が生まれた場所は宮崎県とされています。しかし綿津見三神の拠点は福岡県。生まれた場所は同じでなければおかしい。
住吉三神の子孫ははっきりされていないが、綿津見三神の子孫は阿曇氏です。
その阿曇氏の本拠地は福岡県の志賀島(しかのしま)です。と考えると、住吉三神が生まれたのも「志賀島」ということになりましょう。
山陰地方でイザナミに死なれたイザナギは、陸路でなく海岸伝いに福岡の志賀島に渡った。そしてイザナギは穢れを落とす(邪気を流す)ために、志賀島に上陸する前に海で禊をしたと考えられます。
大祓祝詞のイザナギの禊の仕方
速川の瀬に坐す瀬織津比売(せおりつひめ)
瀬の浅いところは瀬織津比売
これは川の穢れを海へ運ぶ
次に出てくるのは速開都比売(はやあきつひめ)
これはいくつもの潮流の流れ込むところへ運ぶ
次に気吹戸主(いぶきどぬし)
これは息吹を吐く、おそらく渦を巻くということ
さらに根の国に罪穢れを解き放つ神がいる
これを速流離比売(はやさすらひめ)という
これより先は地底のマグマの火層かもしれませんが、いずれにしても川の流れで発生した邪気は、速開都比売、すなわち潮流の流れにしたがって邪気を流したことがわかります。
潮流から読み解くイザナギの禊の場所
志賀島近辺の潮流は東北から南西に向かって流れていて、これは鬼門から裏鬼門へ流れているということです。
志賀島はこの潮流を遮る場所に位置するので、イザナギが穢れを落とすとしたら、島の下の南端か上の北端となる。でも南端は陸続きだから無理でしょう。だとすればイザナギが禊をした場所は北端となります。
島の北端には「沖津宮」があり、そこにあったのは「御手洗」です。
御手洗は顔を洗うという意味、つまり顔を洗った時に生まれたのが、アマテラス・スサノオ・ツクヨミです。
古代の貴人は、皆、南に向かって瞑想をしました。もしイザナギが南に向かって瞑想をしながら禊をしたとすると、南はツクヨミで九州から西の国を表し、日本から遠く離れた韓国、インドのあたりは月讀族が支配したことになります。
左目は日本の東側の大半をアマテラスが支配しました。
鼻からスサノオが生まれた。すなわち沖津宮と志賀島の間の潮流を指していることになります。スサノオは潮流が流れる一帯を支配する日本海一帯、北九州を中心に海の警備を任せられた。そう考えるとスサノオが出雲にやってきたことも頷けます。
イザナギの儀式
イザナギは志賀島の沖津宮で浄めの儀式を行った。そして顔を南に向けて禊をされました。
2023年4月、住吉の旅にて、イザナギの儀式を行います。
そして何千年もかけて日本に溜まった邪気を祓います。
2023年1月 Dr.Shu 五島秀一