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僕が寿司テロから派生して考えたこと

醤油差しを舐めたり、回ってる寿司に勝手にわさびを入れたりする寿司テロ、Twitterとかでちょっと前に流行りましたよね。

皆さんはあの現象をどう観ていましたでしょうか。

僕は寿司テロリストたちが批判されすぎじゃないかと言う立場で見ていました。
と言うのも回転寿司はお客さんの手の届く範囲に誰でも取れる寿司が回っているわけで
物理的には誰でも簡単にああ言うことができるわけです。
世の中にはアホなことをしちゃう人は一定数、昔も今もこれからもいるわけで回転寿司会社もそれを全く予期していなかったわけではないでしょう。

ああいう形で炎上してしまうとみんなが顔を覚えてしまい、社会的に殺されてしまいます。殺人犯よりもやってることは100倍可愛いのに、殺人犯よりも100倍くらい有名になってしまっているんです。そこのギャップに僕は同情してしまいます。

Twitterで炎上した動画を眺めているとみんな割と本気で怒っていて過激な意見も散見されます。「社会的に抹殺しろ。」とか「こう言う奴らには徹底的にわからせたほうがいい。」とか、大体こういう文脈です。

もちろん寿司テロリストたちを擁護するリプライもありましたが、それに対しても「綺麗事はもういい」「実際にこいつらの被害あって同じことが言えるのか」などとコメントがついていました。

どう思われますか。

僕はそんな彼らに「あなたたちは実際に被害に遭ってないのに炎上に油を注ぎすぎだ」と言いたい。

確かに回転寿司の会社にとっては大損害でしょうが、問題は寿司テロリストとお寿司の会社で裁判やって終わりなはずです。
これは芸能人の不倫報道について、特別好きでもなかった人が集まって叩く構図と同じものを感じます。

人は自分が正しいと思った時に一番凶暴になる。みたいな言葉ありませんでしたっけ。それです。
あなた達社会的正義を武器に人を叩きたいだけじゃない?
的なね。

僕は何か問題が起きた時に人ではなくシステムに原因を探すようにしています。
なので今回の場合では回転寿司側のシステムに原因があった、と観ていたんです。
回転寿司は手の届くところに寿司が回っているのが楽しいと言うのが売りでそれで今まで稼いできたのだから、今回のようなリスクは折り込み済みだろう、と言った感じです。

これが寿司テロ騒動をTwitterで眺めていた時に僕が考えていたことです。


話は少し飛びます。

ここ半年ほど僕はカナダのバンクーバーというところのモールにある日系の小売業の店員をしているんですが、
ここ最近万引きが多いんです。
よく服の中からちぎれた別の服のタグが見つかります。

それに気づいた会社側がとった対応はスタッフを増員し店頭に常に二人は立っているようにする事と、入ってきたお客さんに挨拶をすると言うものでした。

結果から言ってこれはほとんど意味をなしていないように感じます。
あくまで抑止のレベル、売り場は広いのでスタッフを何人配置しようが盗ろうと思えば簡単に盗れる状態のままです。
しかもしかも、カナダでは万引き犯だと言うことが確定してもスタッフの身の安全のために追わない方がいいという常識?鉄則?があります。

この状況を打開する良い万引き防止案が思いつかないこと。
人件費のことを考えると少数の万引き犯のことは諦めて見逃す方が会社としても得になりそうというジレンマに僕は悩みました。

僕の中でズルいことをした人が得をするのは間違っているという考え方と、問題の原因は人ではなくシステムに探すべきという考え方、僕の中の二つの思想がぶつかり合ったんです。

結果、客層が悪ければ商売は成り立たないという結論に至りました。
小売店やレストランなど大衆を相手に商売をしている業態はできるだけたくさんの人がアクセスしやすいようにしなければなりませんが、たくさんの人たちが来ると言うことは変な人もたくさん来ると言うことです。
万引きや寿司テロのようなイタズラ行為、もっと治安が悪ければ強盗とかも起こり得るでしょうが、企業はそういう障害にいちいち対応してられないです。なぜなら対策を講じるのにもコストがかかるから。

僕のバイト先の会社も、言ってしまえばできるだけ万引きされないように祈りながら普通に購入してくれるお客さんにものを売って売り上げを立てる、
回転寿司も、寿司テロみたいなことをやってくれるなと客質の良さに期待しながら経営するのが最善だったのだろうと考えたんです。


レストランとかスーパーとか、大衆相手の商売は大衆の倫理観が高くないと成り立たない。

大衆の倫理観が低いが故に経営の難易度が上がる状況は会社を経営する側にとっても大衆側にとっても好ましくない状況です。 
なぜなら経営者は例え商売のチャンスがあっても売り上げが出しにくいので商売を持続させにくいですし、その結果その商売が潰れてしまえば大衆はレストランやスーパーという便利なサービスを受けることができないからです。

この二つから得た教訓はこうです。
「日本ってルールとかが多すぎて窮屈!とよく言われますが、みんなが少しずつ窮屈な思いをしているがゆえに享受できているサービスがたくさんある。」です。
当たり前になっているだけで。

24時間営業、駅や公園に公共のトイレがある、コンビニでトイレが借りられる、フードコートでバッグを置いたまま注文しに行ける、夜でも外を出歩ける、路上で酔い潰れても何も盗まれない、等々。
倫理観が高い水準で維持されていることによって、日本だから実現している公共サービスや、特段気にしなくても良くなっていることがめちゃくちゃあります。
それを実感した時、窮屈に感じる社会のルールもとても価値があるものに思えるはずです。

これが寿司テロの一件をきっかけに自分の経験を交えて僕が考えたことでした。

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