日記⑦――デリシャスパーティープリキュアの39話が素晴らしすぎる件について
デリシャスパーティープリキュアの39話である「お料理なんてしなくていい!?おいしい笑顔の作り方」が素晴らしい神回だったので、その感想をここに書き残しておこうと思う。
今回のエピソードの冒頭で、ユイがおばあちゃんのレシピを元においなりさんを作ろうとするところから始まる。ユイはおばあちゃんの言葉やレシピに大きな信頼をよせているようだ。
そして、サッカーの試合に出場するユイだが、玉木わかなというユイの友達はサッカーの才能があり、中学二年生ながらすでにスカウトが来ているという。だが、玉木わかなのサッカーの才能は、わかなの父親(玉木ましば)の犠牲のうえに成り立っていたことが判明する。玉木ましばは、会社員として働くかたわら料理が苦手であるにもかかわらず娘のわかなの為にお弁当や食事を手作りで作っているのだ。(ちなみに玉木わかなの母親は不在であり、玉木の家庭は父親しか居ないようである。)
ここですでに、今回のエピソードのテーマは提示されている。今回のエピソードのテーマをわかりやすくいうなら、「料理の才能が豊富にあったユイのおばあちゃんの言葉は、料理の才能が無い玉木ましばの苦境を救うことができないのではないか?」というものである。
玉木わかながサッカーの才能を発揮できるのも、父親である玉木ましばの犠牲があってこそのものなのだ。絶対的な才能の影で献身的に奉仕する玉木ましばの苦境は、やはり料理の才能が豊富にあったユイのおばあちゃんが残した言葉では救うことができない。そしてなにより、絶対的な才能をもっていたおばあちゃんの残した言葉にこだわるユイでは、玉木ましばの苦境や玉木わかなの居心地の悪さを解決することもできないのである。
物語は進むとセクレトルーもまた料理が苦手であり、完璧主義者であったセクレトルーは料理が苦手な自分にコンプレックスを抱いたゆえに、食べ物の記憶を消していく悪行に走ってしまったことが示される。この意味において、セクレトルーは玉木ましばと同様の悩み(料理ができないという悩み)を抱え込んだ人物である。さらに、絶対的な才能をもっていたおばあちゃんの言葉を信じているユイと、完璧主義者であり自分の弱さを受け入れられないセクレトルーは鏡像関係にあるといってよい。それゆえ、ユイがおばあちゃんの言葉の限界性を悟ったとき初めて、ユイはセクレトルーの行動の動機に心を向けるのである。
物語の終盤において、玉木親子は定食屋で一緒に食事をとる。このシーンだけで、玉木ましばの犠牲のうえに成り立っていた危うい玉木親子の関係性はより安定したものへと変化したことが示されている。さらに華満らんが「鬼に金棒」ということわざを、「鬼に缶詰」と言い間違えてしまうが、「でも、その方がおいしそうじゃない?」と言って間違えたことわざを肯定するのだ。それはつまり、手作りという「正しさ」にこだわらない生き方をユイたちが理解したこともきちんと示されている。この点においてユイたちは、ユイのおばあちゃんを「乗り越えた」ことが示されているのだ。
素晴らしき神回でした。