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PDCA/SWOTと人類史ーヒトはなぜ、新しい情報に振り回されるのかー


はじめに

経営や問題解決の原則の一つに、「シンプルなフレームワークを愚直に実行する」ということがある。その代表が、PDCAサイクルとSWOT分析である。これらのフレームワークを愚直に実行していれば、危機的な状況に陥る可能性は極めて低い。危機的な状況に陥るどころか、むしろ自分が思い描いた理想の未来に近づくことができる。

ではなぜ多くの人は、この原則を愚直に実行できないのだろうか。なぜ常に新しい、または“その他の”情報に飛びついてしまうのか。例えばPDCAは古くてOODAなどが大切だ、と思ってしまうことや、ITからRPAになり、ICTになりDxになったことである。なぜ多くの人は、という問いを立てたが、この“多くの人“の筆頭は私本人である。そのため以下に記載する内容は、原理原則を守らない言い訳にならないように、私自身に対して最大限に注意を払いたい。

本論に入る。そしてまず結論から述べる。

ヒトの注意機能は数秒しか保てないようになっている。そしてそれは、危険を回避するために重要な機能を果たしてきたからである。そのためヒトは何かに集中することよりも、新しい情報を得るなどにより、自らの死角を無くそうとしてしまう。つまり、愚直に原理原則を繰り返すことが、そもそもDNAのレベルで設定されていない。

ではなぜそうなっているのか

人類史を参考にしながら考察する。人類、つまりホモ属の歴史は、約200万年前から始まるとされている。アウストラロピテクスといった類人猿まで含めると、その起源は約700万年前まで遡る。類人猿は木の上で生活していたテナガザルから派生した。森林の砂漠化により、食料を求めて木の上から降りなければならなくなった。安全な木の上から、逃げも隠れもできないサバンナに出て行ったのである。

当然ながら、そこにはライオンなどの肉食動物が待っている。類人猿の頃から我々は、大型であったり群れを作る肉食動物に比べて極めて弱い。そのため襲われると捕食される。選択肢は二つである。逃げるか戦うか、つまり、逃走か闘争か、である。

闘争に必要なものは、武器と仲間である。ヒトが石槍などの武器を持ち、仲間と共に狩りをするようになったのは50万年前とされている。ではこの間の650万年の間、生き延びるために必要な能力は何か。

それは、危機回避能力である

回避は、察知と対応とで構成される。繰り返しとなるが、ヒトは極めて弱い種である。そのため対応には限界がある。そう考えると、類人猿の頃から生き延びるために不可欠な能力は、危険察知能力である。進化の歴史は事前準備ではない。そのため危険察知能力を高めたのではなく、危険察知能力が高い種が生き残ったと言える。

この危険察知能力については、神経科学の研究から考察されることが多い。その内容は、ヒトの注意機能は数秒しか保てないようになっていることである。想像してほしい。サバンナで水を飲んでいる。その水に夢中になっているとどうなるか。その時に肉食動物が襲ってきたらどうなるか。そう、捕食される。だから何かに夢中になるよりも、常に周囲に気を配っている、簡単に言えば、キョロキョロしている種が生き残ったのである。そうやって、700万年という途方もない時間を生き延びてきたのである。

先述の武器や仲間を手にした50万年前と言っても、個体では相変わらず弱く、また仲間同士の殺し合いを回避する必要もあるため、危機察知能力は変わらずに求められる。

人が大きな集団を持ち、定住するようになったのは農耕以降である。農耕革命は約1万5000年前とされている。この間に、類人猿からホモ・サピエンスへと進化を遂げた。この進化は脳の大きさと比例している。

ではホモ・サピエンスは、約700万年の歴史を無に帰すような脳の進化を持っているのか。答えは想像の通り、そうではない。脳の進化は、元々持っている脳の上に、新しい脳(神経回路)を作っただけである。そのため類人猿から、さらにいうと4億5000万年前の魚類の時からの脳を、今なお持っている。

ホモ・サピエンスの歴史は、神経科学の観点では、前頭葉の歴史と言っても良い。前頭葉の歴史は認知革命と呼ばれる、約7万年前となる。闘争か逃走かを司る脳の部位は、辺縁系である。辺縁系と前頭葉の戦いは、4億5000万年と7万年の戦いとも言える。闘争か逃走かという脳の機能を、注意機能を司る前頭葉が完全に克服できていると言えないのは当然である。

話を現代まで進める

今は農耕革命の後、産業革命、科学革命を経て、情報革命の時代である。そして、人工知能革命へと足を踏み入れている。しかし私たちの脳は、闘争か逃走か、の影響を強く受けている。その状態で、情報が溢れる現代と向き合うと、何が起こるのだろうか。

自らを脅かす情報を漏らしているのではないか、何かを見落としているのではないか、新しいことをしなければ取り残されるのではないか、といった姿勢を取ってしまうのは、人類史から考えると当然のことと言える。私たちはそうやって、肉食動物などから身を守ってきたのだから。

繰り返しになるが、現在は情報社会である。狩猟時代ではない。気を抜いても、命を取られることはない。今すぐこの場で寝ても、間違いなく目を覚ますことができる。我々の祖先が生きてきた時代とは、安全性が大きく異なるのである。

現代を生きている我々にとって必要な生存戦略

情報社会に振り回される私たちだが、ありがたいことに先人の“情報”も残っている。

経営の神様である稲盛和夫氏は、「私たちは一つのことを究めることによって初めて真理やものごとの本質を体得することができます」と言っている。

また投資の神様であるウォーレンバフェット氏は、「お金儲けの秘密は、知性よりも忍耐力である」と言っている。

最後に、鬼滅の刃における我妻善逸は、数ある技の中で、雷の呼吸 壱の型しか使えない。彼の師匠の教えを示した話題は、「一つのことを極め抜け」である。

長くなったので、結論にする

ヒトの注意機能は数秒しか保てないようになっている。そしてそれは、危険を回避するための重要な機能を果たしてきたからである。そのためヒトは、何かに集中することよりも、新しい情報を得るなどにより、自らの死角を無くそうとしてしまう。つまり、愚直に原理原則を繰り返すことが、そもそもDNAのレベルで設定されていない。

しかし現代を生きる私たちに必要なことは、原理原則をきちんと守ることである。新しい情報が不要とは言っていない。だがあくまでも、原理原則が土台にあり、新しい情報はその上乗せに過ぎない。具体的に言うと、インプットのうち半分以上を原理原則にして、新しい情報は半分以下、25%以下で良いのではないだろうか。

いずれにしても、PDCAとSWOTは強力なフレームワークである。“キョロキョロ”せずに、愚直に使っていきましょう。

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