情理と向き合うことについて
最近、学生時代と社会人で一番変わった考え方は何か?ということを聞かれて、ふと立ち止まって考えることがあった。
そのときに自分の中で色々と逡巡したときに、「これかな!」と思ったことがある。それは社会は最終的には「情理」で動くということだった。
学生時代は世間のことを何もわかっていなかったので、自分の実力さえあればどんどん出世することができるということを思っていたが、それは当然持っているものとして、より必要なのが上の人から引き上げられるかどうか?ということだった。
最近、サイバーエージェントの藤田さんと幻冬舎の見城さんの共著「憂鬱でなければ仕事じゃない」という本で、藤田さんが「IT企業では絶対に押さえておかないといけない人たちがいる。そういう息がかかった人から可愛がられないと生き残り続けることができない」というようなことを書いてある一節があった。
そのときに、改めて上の人から引き上げられるか?ということが大事なのだということを感じた瞬間だった。
優秀な人が一番苦手とするところ、、!?
ただ僕自身もそうだったし、周りで努力している同年代を見回すと、そういうことが面倒くさい、苦手という人が結構いる。
というか、勉強に励んだり自分でコツコツやるタイプの人間は全員そうなのではないか!?と思ったりもしてまう。
だから、僕はちょくちょく引き上げられることの大事さを話をするときに顔をしかめられたりするが、正直僕だって可愛がられることは得意ではないし、できれば実力だけで評価されたいと思ってしまう。
でも芸能界や政界、スポーツの業界、どんな世界でも結局、バッターボックスに立つための権利は実力+情理なのだから認めざるを得ない。
「こいつを成功させてやろう」、「協力したらもっと結果が出るな」と思ってもらえるかどうかというのはすごく大事だし、そう思ってもらうためにはどういう振る舞いをしたらいいか?ということを考える必要はあるのではないだろうか?
ゴマを擦るということではない!
そういうとなんかゴマ擦りみたいだなと感じてしまうかもしれないけど、そういうのは結局、見抜かれるからあまり意味がないだろう。
やっぱり挨拶や礼儀を怠らない、時間・約束を守るという当たり前のことをするのはもちろんのこと、素直であること、勤勉であること、ポジティブ思考であるかどうかは結構見られている。
特に時間にルーズだと一瞬で信頼を失くすし、素直かどうかは結構見抜かれているので、表面上取り繕っても逆効果になってしまうのは間違いない。
ということを考えたときに、この世界では自分一人では生きていくことはできないし、色々な人から協力を仰ぐ必要があるという点において、対人関係能力というのも求められるのだ。
なので、もし努力しているのに認められない、自分のライバルが贔屓されていると感じるのであれば、そうなってしまう原因は自分にあるということをまずは意識するといいだろう。
人間というのは感情を持つ生き物で、その集合体が社会、会社、組織だから。